2020年2月23日午前10時。
防府駅前に戻ってきました。阿弥陀寺の方のご厚意により、実に1時間以上も予定を巻けています。
じゃあ、ちょっと予定には無かったこともしてみましょうか。
とりあえず、駅の観光案内所で自転車を借ります。(これは予定通り)
本来の予定では、ここから東進して勝間神社址に行くつもりでした。
せっかくですので、もらった「英雲荘周辺マップ」を頼りに少しだけ南側にも寄り道しましょう。
てことで、昨晩おいしいお寿司をいただいた「うめ田寿し」さんの前を通り……ちなみにその道は例の「萩往還」です。
最初のポイントは、車塚古墳です。
古墳と言いつつ神社じゃないかって?
まあまあ、細かいことは置いといて。まずはお参りでもしましょうか。
こんな石を方まで持ち上げる?
……まあでも米俵を持ち上げるよりは楽、なのか?
さあ、拝殿に……ネコチャン!!!
失礼、取り乱しました。
さて、右隣にもなにやら拝殿っぽいのがありますね。
トンネル?
惜しい、実はこれこそ、古墳の隧道(石室につながるトンネル)です。
この車塚古墳は6世紀のものと推定される前方後円墳ですが、
なんと前方部分と後円部分の両方に石室があります。
この写真の隧道は、後円側ですね。
ちなみに最初に写真を載せた(猫がいた)拝殿は、後ろにちゃんと本殿もあります。
この神社を作るときに前方後円墳を削ったんですよね。もったいない。
もう一方、前方側の隧道。
なんか資材が……。
掘削の跡が……いやまあ削ったのは何百年も前ですが。
天御中主神社の由緒書。
「宇宙最高の元始神」って表現がすごい。
しかし、よくまあわざわざ削るなんて面倒なことを。
さ、次に行きましょう。
ちなみに足ですが、もちろん痛いです。
痛くなかったら、さっきの神社で裏まで見に行ってます。
ですが幸いなことに、自転車だとまったく問題ありません。
痛いところと自転車のペダルを踏み込むところとがズレているんでしょうね。
自転車でも痛かったら、もう諦めるところでした。
お次。
鋳物師大師塚古墳
自転車で10分もかかってます。まあ信号待ちもしたし。
これまた6世紀(車塚古墳よりは時代が後)の古墳です。
石室が比較的大型であることが特徴だそうです。
「大師塚」の由来は、石室内に弘法大師像が安置されているからだそうです。
では、いざ入ってみましょうか。
さっきの車塚古墳と比べて、石材のサイズが大きい印象ですね。
なるほど、信仰の場になってますね。
Uターンしつつ、石室と隧道の境目(天井)をパシャリ。
いまさら崩落なんてことはそうそうないでしょうけど、とは言えびびる。
石室側から外を見るってのは、これまでの人生であまり経験が無かったなぁ。
さて、次へ。
……あんまり目標物がないので、角に着いては地図とにらめっこするのを繰り返しました。
この道で合っているはず!
ところで右側がガクンと落ち込んでますが、やはりかつて海だった名残でしょうか? それとも塩田?
さて、大師塚古墳から10分弱。
ようやく到着しました。
なんか目の前、前述のガクンと落ち込んだエリアに石碑がありますが……ちょっと足的に無理。
目の前の石碑はあきらめつつ、本体側(道の反対側)に目を向けましょう。
到着しました!!
伝、菅原道真公上陸地点!!
ここは、太宰府に左遷された菅原道真が、現地に向かう途中でここ防府に上陸した場所と伝えられているそうです。
いくら「伝」だからって、巨石をドンと置いとかなくても……。
さすが神となった男、菅原道真。
「聖蹟」ときましたか。
何か書いてあるんですが……風化していてよく読めない。
「文化四年」とあるので、1807年ですね。200年以上風雨にさらされていれば、多少の風化は仕方ない。
正門チックな柱は1989年のものでした。
京都がらみなようですね。
さあ、寄り道はここまで。
本来の目的地である勝間神社址を目指しましょう。
駅から南方向に200mほど進んでいますが、とはいえルート的にどんどん東へ向かうようにしているので、たいしたロスではありません。
さきほどの場所から100mもせず、こうしたカラフルな道に出ます。
ここ、自動車は通行禁止です。
ご覧の通り人もいないので、大変気持ちよく自転車をこげます。
タモリさんならもう気づくかもしれませんが、ここ、もと線路です。
南側、沿岸の工場地帯までこの道が延びています。(良ければGoogle MAPで確認してみてください)
さて、航空写真から分かるかもしれませんが、この道を通ると少し西に戻ってしまいます。
まあでも、安全・快適には変えられない!
てことで、山陽本線の高架横を流れる川まで戻ってきました。
(厳密にはこの川、駅までは流れていません。暗渠かもしれませんが)
ようやくここから東進を再開しますが……ここから先、ちょっと道が狭くなります。
まだ当分は歩道側がちゃんと存在するので大丈夫なんですが、目的地直前はそれすらなくなります。
具体的にはここら辺から。
初日に行った佐波神社のあたりが国衙の北端だとしたら、こちらは南端ですね。
しかしおっかない道。
※足が痛まないとはいえ、自転車を早くこぐほどの余裕は無い。そしてそこそこ車が通る。
あ、ちなみに今の写真の左奥、山頂付近にあるのが大平山の送信所(テレビとか)です。
大層眺めが良いようなので、行ってみたかった。
さて、今の写真中央、木々が茂っているエリアの向こう側が、目的地です。
勝間神社址
ええ、見ての通り、現役ではありません。
鳥居や、神殿が載っていた台、手水鉢なんかの石で出来た物は残ってますね。
※石碑の銘文は漢文だったので諦めました。
では、あらためて。
注連縄がかなり新しいですね。ひょっとして年次で付け替えているとかでしょうか?
えー、ちなみに先ほどまでの古墳や上陸地点を差し置いてこちらが本命だった理由ですが……。
この旅では毎度おなじみ、映画『マイマイ新子と千年の魔法』の聖地だからです。
ここ!
ここに主役2人が座って「ざぶ~んざぶ~ん」言っていたんですよ!!
※後ろ側、少し高くなっていた場所にもかつて線路がありました(by映画)
昔はこの神社の前あたりは全部海だったっておじいちゃんが言っていたんだそうなんですよ!
ふう、満足。
さらば!
手前を左右に走っているのが、前述の線路跡。ちなみに中央の山は、防府天満宮がある山。右の山は、毛利博物館がある山。
足が痛くてものすごい歩みが遅いとは言え、建物がないので5分で見終わってしまった……。
さて、時刻は11時をまわりました。
そろそろお昼ご飯の場所へ行きましょう。
目標は、海!
今回の移動範囲。
自転車さまさま。
続きます。
防府駅前に戻ってきました。阿弥陀寺の方のご厚意により、実に1時間以上も予定を巻けています。
じゃあ、ちょっと予定には無かったこともしてみましょうか。
とりあえず、駅の観光案内所で自転車を借ります。(これは予定通り)
本来の予定では、ここから東進して勝間神社址に行くつもりでした。
せっかくですので、もらった「英雲荘周辺マップ」を頼りに少しだけ南側にも寄り道しましょう。
てことで、昨晩おいしいお寿司をいただいた「うめ田寿し」さんの前を通り……ちなみにその道は例の「萩往還」です。
最初のポイントは、車塚古墳です。
古墳と言いつつ神社じゃないかって?
まあまあ、細かいことは置いといて。まずはお参りでもしましょうか。
こんな石を方まで持ち上げる?
……まあでも米俵を持ち上げるよりは楽、なのか?
さあ、拝殿に……ネコチャン!!!
失礼、取り乱しました。
さて、右隣にもなにやら拝殿っぽいのがありますね。
トンネル?
惜しい、実はこれこそ、古墳の隧道(石室につながるトンネル)です。
この車塚古墳は6世紀のものと推定される前方後円墳ですが、
なんと前方部分と後円部分の両方に石室があります。
この写真の隧道は、後円側ですね。
ちなみに最初に写真を載せた(猫がいた)拝殿は、後ろにちゃんと本殿もあります。
この神社を作るときに前方後円墳を削ったんですよね。もったいない。
もう一方、前方側の隧道。
なんか資材が……。
掘削の跡が……いやまあ削ったのは何百年も前ですが。
天御中主神社の由緒書。
「宇宙最高の元始神」って表現がすごい。
しかし、よくまあわざわざ削るなんて面倒なことを。
さ、次に行きましょう。
ちなみに足ですが、もちろん痛いです。
痛くなかったら、さっきの神社で裏まで見に行ってます。
ですが幸いなことに、自転車だとまったく問題ありません。
痛いところと自転車のペダルを踏み込むところとがズレているんでしょうね。
自転車でも痛かったら、もう諦めるところでした。
お次。
鋳物師大師塚古墳
自転車で10分もかかってます。まあ信号待ちもしたし。
これまた6世紀(車塚古墳よりは時代が後)の古墳です。
石室が比較的大型であることが特徴だそうです。
「大師塚」の由来は、石室内に弘法大師像が安置されているからだそうです。
では、いざ入ってみましょうか。
さっきの車塚古墳と比べて、石材のサイズが大きい印象ですね。
なるほど、信仰の場になってますね。
Uターンしつつ、石室と隧道の境目(天井)をパシャリ。
いまさら崩落なんてことはそうそうないでしょうけど、とは言えびびる。
石室側から外を見るってのは、これまでの人生であまり経験が無かったなぁ。
さて、次へ。
……あんまり目標物がないので、角に着いては地図とにらめっこするのを繰り返しました。
この道で合っているはず!
ところで右側がガクンと落ち込んでますが、やはりかつて海だった名残でしょうか? それとも塩田?
さて、大師塚古墳から10分弱。
ようやく到着しました。
なんか目の前、前述のガクンと落ち込んだエリアに石碑がありますが……ちょっと足的に無理。
目の前の石碑はあきらめつつ、本体側(道の反対側)に目を向けましょう。
到着しました!!
伝、菅原道真公上陸地点!!
ここは、太宰府に左遷された菅原道真が、現地に向かう途中でここ防府に上陸した場所と伝えられているそうです。
いくら「伝」だからって、巨石をドンと置いとかなくても……。
さすが神となった男、菅原道真。
「聖蹟」ときましたか。
何か書いてあるんですが……風化していてよく読めない。
「文化四年」とあるので、1807年ですね。200年以上風雨にさらされていれば、多少の風化は仕方ない。
正門チックな柱は1989年のものでした。
京都がらみなようですね。
さあ、寄り道はここまで。
本来の目的地である勝間神社址を目指しましょう。
駅から南方向に200mほど進んでいますが、とはいえルート的にどんどん東へ向かうようにしているので、たいしたロスではありません。
さきほどの場所から100mもせず、こうしたカラフルな道に出ます。
ここ、自動車は通行禁止です。
ご覧の通り人もいないので、大変気持ちよく自転車をこげます。
タモリさんならもう気づくかもしれませんが、ここ、もと線路です。
南側、沿岸の工場地帯までこの道が延びています。(良ければGoogle MAPで確認してみてください)
さて、航空写真から分かるかもしれませんが、この道を通ると少し西に戻ってしまいます。
まあでも、安全・快適には変えられない!
てことで、山陽本線の高架横を流れる川まで戻ってきました。
(厳密にはこの川、駅までは流れていません。暗渠かもしれませんが)
ようやくここから東進を再開しますが……ここから先、ちょっと道が狭くなります。
まだ当分は歩道側がちゃんと存在するので大丈夫なんですが、目的地直前はそれすらなくなります。
具体的にはここら辺から。
初日に行った佐波神社のあたりが国衙の北端だとしたら、こちらは南端ですね。
しかしおっかない道。
※足が痛まないとはいえ、自転車を早くこぐほどの余裕は無い。そしてそこそこ車が通る。
あ、ちなみに今の写真の左奥、山頂付近にあるのが大平山の送信所(テレビとか)です。
大層眺めが良いようなので、行ってみたかった。
さて、今の写真中央、木々が茂っているエリアの向こう側が、目的地です。
勝間神社址
ええ、見ての通り、現役ではありません。
鳥居や、神殿が載っていた台、手水鉢なんかの石で出来た物は残ってますね。
※石碑の銘文は漢文だったので諦めました。
では、あらためて。
注連縄がかなり新しいですね。ひょっとして年次で付け替えているとかでしょうか?
えー、ちなみに先ほどまでの古墳や上陸地点を差し置いてこちらが本命だった理由ですが……。
この旅では毎度おなじみ、映画『マイマイ新子と千年の魔法』の聖地だからです。
ここ!
ここに主役2人が座って「ざぶ~んざぶ~ん」言っていたんですよ!!
※後ろ側、少し高くなっていた場所にもかつて線路がありました(by映画)
昔はこの神社の前あたりは全部海だったっておじいちゃんが言っていたんだそうなんですよ!
ふう、満足。
さらば!
手前を左右に走っているのが、前述の線路跡。ちなみに中央の山は、防府天満宮がある山。右の山は、毛利博物館がある山。
足が痛くてものすごい歩みが遅いとは言え、建物がないので5分で見終わってしまった……。
さて、時刻は11時をまわりました。
そろそろお昼ご飯の場所へ行きましょう。
目標は、海!
今回の移動範囲。
自転車さまさま。
続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます