雨模様の朝です。そのためではありませんが、今日は休養日です。
明日は東広島市の小田山に行くので、今日はそのための休養日です。タカ長には初めての山ですが、この山は「こたさん」と言うようです。
子どもをめぐる報道を耳にするとき、いつも違和感を感じていることがあります。その違和感をひと言で言えば、すべてが「お願い基調」になっていることです。家庭での問題、学校でのこと、そこでの指導の基本は「お願い基調」のようにタカ長には見えるのです。
一方的に言おうものなら、それはいじめとか、何とかハラスメントだとか。タカ長が育った環境とはまったく違うので違和感を感じるのかも分かりません。
タカ長が幼少のころはこのような豪華な食卓ではありませんでしたが、箸の使い方は一方的な指導だったように思います。親から何度言われても出来なかったら、親の箸でピシッと打たれました。要するに一方的な指導です。
テレビ番組でキレイなタレントさんが箸をおかしな形でもって食事をしているのを見た記憶があります。幻滅。親の顔が見たくなりました。
箸がまともに使えない人を見ると、100年の恋もさめるような気がします。
トイレの躾けも一方的でした。「うんこが出ない」と言うと、「座っていると出る」と言って、毎朝同じような時間にトイレに行かされました。
「家を一歩出ると戦場のようなものだ。戦争しているときうんこが出たくなったら勝てないだろう」と親父に言われていた記憶が妙に鮮明に残っています。幼少の子どもに言う話ではないような気がしますが、その頃は「戦時中」だったのでタカ長にも説得力がある説明だったのでしょう。
お蔭さまで排便習慣はシッカリ身につきました。世の中に便秘の人がいることが信じられない思いです。
タカ長たち兄弟には同じ年の従弟が近くにいました。そこには毎日のように行っていました。4人兄弟で育ったようなものです。
そこの叔母さんには分け隔てなく躾けられました。と言うか、毎日のように叱られながら育ちました。風呂の入り方をやかましく言われていた声は今でも耳に残っています。
今はものを教える側と教わる側の線引きがあいまいになっています。でも、それは間違いだと思います。
親と子、先生と生徒、師匠と弟子。そこには厳然とした一線があります。そこをあいまいにして、先生が友だちのようになった頃から、世の中がおかしくなってきたと感じています。
そのように思い返してみると、タカ長たちはユニークな子育てをしたような気がします。ダメなものはダメ、まさに一方的な躾けでしたが、子どもたちは健全に育ってくれました。
そのささやかな経験から言うと、今の風潮のほうがおかしいように感じます。
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