3年前から入退院を繰り返し、2回医師から「もうダメかもしれません。」と言われたのに復活してきた91歳の義母。3回目の復活は叶いませんでした。

そのあとはとにかくバタバタ、なんせ私は親の死に目に遭うのは初めてですから何にも分からない。葬儀屋さんに言われたことをハイハイと聞くのみ。13日通夜、14日葬儀でした。


これね、6/4にたまたま撮った写真。良い顔で写って、これを遺影にしました。(流石にブログに生写真は載せられないのでAIイラストに(笑)
去年12月に敗血症で市民病院に入院し、その後老健で3か月。もう大丈夫、スタスタ歩けるし階段も上がれると6/3に帰宅。耳はますます聞こえなくなってましたが、おしゃべりおばあさんは完全復活していました。それが6/9に体調不全で救急搬送、意識が戻らずたった3日で逝ってしまいました。亡くなった6/12はダンナの誕生日。息子の誕生日に逝くなんてね。
確かに今回は今までと違った雰囲気はありました。あーこれは厳しいかなぁって。
6/12の朝10時に私が見に行った時は比較的呼吸も血圧も安定してたけど、家に帰って来た11時過ぎに病院から電話があり、慌ててダンナと引き返すとすでに心停止していました。

そのあとはとにかくバタバタ、なんせ私は親の死に目に遭うのは初めてですから何にも分からない。葬儀屋さんに言われたことをハイハイと聞くのみ。13日通夜、14日葬儀でした。
実は今仕事が忙しくて、13日は午前中息子と竹の選別、積み込みをし、14日は早朝からダンナと息子は配達。お棺の中の母を1人にする時間がかなりありました。でもね、私は病院で死化粧をしてもらい、義姉さん達が到着するまでの間(ダンナは一旦帰宅で、市役所やら町の回覧の準備やらで2時間ほどいませんでした。)の約2時間、義母と病室で2人で過ごし、色々話が出来ましたから。私から一方的にですがね。
明るくておしゃべりで器用で強い、男勝りの義母、町内では有名な張り切りおばさんで、家族葬レベルでやったのですが、沢山の町の人が弔問に来てくれました。
同居32年ですから、強い姑vs鬼嫁の対戦は何度も勃発したけど晩年は母も弱くなって、おしゃべりだけど気のいいおばあちゃんになり、特に孫には極甘でした。
竹細工は勿論、編み物、洋裁大得意で、老健では自分で編んだポシェットを介護員さんや入所者に配りまくっていました。勿論お棺にも入れてあげました。

これから母の大量の私物(ホントに凄い量)の片付けや相続、法要の段取りなど色々やらないといけませんね。
残された義父は・・なんだかお気楽で久しぶりにあった親戚に喜んでたりでショックな雰囲気ゼロですが、73年連れ添った妻ですからきっと寂しさはあるでしょうね。母が老健にいた時は「ばあさんがウチにおると色々指図してうるさいで、元気で老人ホームにいてくれやあ良いわ〜。」なんて言ってたんですよ。
明日15日はダンナは市長・市議会選の立会い7時間からの夜はバンドライブ。私も町の掃除からの昼はライブ出演からのダンナのバンドの応援。こんな時にライブに出るだなんて!って言う人もいるでしょうけど、私もダンナも主催側でキャンセル出来ず。(実際には私もダンナもクタクタで明日は休みたいんだけど・・苦笑)
まあ、母が心配せずに頑張って音楽やりなよって、呆気なく逝ってくれたのかもなんて・・・。(母は私とダンナの音楽活動はとても応援してくれてました。母も歌好きでしたから)

これね、6/4にたまたま撮った写真。良い顔で写って、これを遺影にしました。(流石にブログに生写真は載せられないのでAIイラストに(笑)