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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

勾玉(まがたま)

2024-07-07 15:05:38 | 雑感
母は随分と前に旅立ち、
用いていた着物やそれらが収まっていた桐箪笥等々は、
少しずつ処分していったのですが、
文机は手つかずのままになっていました。
先日、引き出しを明けてみましたところ、
奥の方から、こんなモノが出てきました。

勾玉(まがたま)であります。
観光地の写真と共に仕舞われておりましたので、
おそらくは旅行好きだった父に連れられて、
訪れた先で購入したのでしょう。

生前の母は、満月を観れば手を合わせ、
ウグイスの鳴き声を聴けば祝詞を唱えと、
今風に言えば “ スピリチュアル ” な人でありました。
私自身は、そんな母の姿を、
感性豊かな人だなぁ・・・と好ましく眺めつつも、
内心(脳内お花畑か!) と突っ込んだりしておりましたが、
いま我が身を客観視するに、
母の感性を色濃く受け継いでいることに気付かされます。
良くも悪くも「血は争えぬ」ということでありましょうか。

それはともかく、この「勾玉」なるもの、
こう見れば観るほど不思議な形状ですよね。
その源流は縄文時代にまで遡ることが出来るとされ、
“ 八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)” は、
「三種の神器」の一つに数えられているにも拘らず、
勾玉が何を表しているのかについては、
動物の牙だったのでは?
いや胎生初期の胎児の姿であろう、
いや人間の魂を象ったものに違いない、
いや月の満ち欠けを模している・・・等々、
様々な説が立てられてはいるものの、
未だ明確には分かっていないのだそうです。

“ 巴(ともえ)” 文様説もその一つ。

神社などで見かける “ 三つ巴 ” 紋の一つに似ています。
なるほど “ ともえ ” かぁ・・・と感じ入ったところで、
武満徹(1930~1996)師がエッセイの中で、

“ ともえ ” に触れておられたことを思い出しました。

『幾種もの輪・ともえ等は、
 その簡明さのために私をとらえる。』
(武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」新潮社刊)

師は、京都・化野念仏寺を参拝したことを記しつつ、
数々の形態や文様の中でも、長大な歴史に耐えたものには、
謎めいた力学が働いているとして、こう綴っておられます。

『輪とか ともえは、呪術的なもの、
 自然宗教的な世界観からうまれたのだろうが、
 その象徴性は近代におよぶにつれ弱まっている。
 植物模様・動物模様などは装飾にながれてダテであり、
 ともえなどにある念(おもい)はない。』(引用元:上掲書)

“ 円環 ” とか “ ともえ ” には、
人間が大自然と対峙した時に自ずと湧き上がる、
畏怖畏敬の “ 念(おもい)” が宿っているけれど、
植物模様・動物模様などは、
デザイン性が優先されてオシャレになっていったものの、
“ 円環 ” とか “ ともえ ” に宿る “ 念 ” には欠けると。

もしそうであるとしたならば、
「勾玉」なるものは、
大自然への畏敬の念が込められたものであり、
大自然への感謝の想いを象徴したもの。
しかしながら、

『その象徴性は近代におよぶにつれ弱まっている。』

偉大な作曲家の言葉は、
自然に対する畏敬の念や感謝の想いが、
私たちの中から失われつつある、との警句にも聴こえます。


“ MAGATAMA ”
~ 勾玉龍神 ~

皆様、良き日々でありますように!


               










経世済民

2024-03-24 15:50:01 | 雑感
去る令和6年3月21日、
日本銀行の「資金循環統計」において、
個人金融資産が “ 2141兆円 ” と、
過去最高を記録した、との報道がありましたが、
その翌22日には、
内閣府が行った調査結果として、
日本の “ 6割を超える ” 人々が、
「経済的にゆとりがなく、将来への見通しが立たない」
と発表されました。

相反する二つの報告、大きく矛盾する二つの結果は、
日本社会が「格差社会」であることの証左でしょうか。

先日、或る経済学者が過去に放ったとされる、
「高齢者は集団自決した方が良い」
という発言が取り沙汰されました。
前後の文脈ということがありますので、
切り取られた文言だけをあげつらうことは控えます。

只、小心者の早川は、こうした文言に接しますと、
「確かに自分などは早く死んだ方がいいのかもなぁ」
などと、ひととき暗澹たる想いに沈みます。

とは言え、沈んでばかりもいられません。
そもそも経済学者が専門とする「経済」とは、
「経世済民(けいせいさいみん)」の略語。
「経世済民」とは、

『世の中を経(おさ)め、民を済(すく)う』

ことに他なりません。
つまり「経済」活動というのは、
物を売ったり買ったりすることではなく、本来的には、
『世の中を経(おさ)め、民を済(すく)う』活動。

『世の中を経(おさ)め』の『世の中』には、
新生児から高齢者まで幅広い年代の方々が命を営み、
『民を済(すく)う』の『民』には、
健康な人、病気の人、能力の有る人、無い人、
多種多様かつ多岐多彩な人々が含まれているはず。
それらの誰しもを余すこと無く、また洩らすことなく、

『経(おさ)め、済(すく)う』

ことを目指すのが「経済」学者の使命であり、
「経済」事象の根幹ではないのかと、
青臭くも個人的にはそのように思うのであります。

“ 持つ者 ” と “ 持たざる者 ” とが明らかな社会というのは、
人と人とが、和合よりも分断に傾いてゆく社会。
「格差社会」とは “ 角(かど)の立つ ” 社会、
“ トゲトゲしい ” 社会と申せましょう。
この辺りのことについて、
鴨長明(1155~1216)は記しています。

『自分が貧乏で、隣家が裕福であれば、
 朝晩、自分のみすぼらしさを恥じて、
 家を出入りするにも気兼ねしなければならない。
 自分の家族が金持ちの家庭をうらやむのを見たり、
 富裕な人々が自分を蔑む素振りを感じるにつけ、
 心は時々刻々に揺らいで、少しも休まることがない。』
(鴨長明「方丈記」~煩悩の俗世間より/早川意訳)

「方丈記」が書かれたのは、今を去ること約800年前。
「格差社会」は、今に始まったことではなかったんですね。

私自身、日々の労働によって生計を立てている以上、
広い意味で「経済」活動に従事する人間でありますが、
長明師の言葉を借りれば、
『自分のみすぼらしさを恥じ』ざるを得ない身の上。

『世の中を経(おさ)め、民を済(すく)う』

そのようなこと、出来るわけがありません。
それでも尚、
「経済」なる言葉の奥に仄めいているであろう、
『経世済民』の想いだけは、
心のどこかに灯し続けたいのであります。


“ Leaves transform into the Dragon ”
~ 樹葉、龍に変ず ~

皆様、良き日々でありますように!


               









流(りゅう)は龍(りゅう)

2024-02-18 17:01:11 | 雑感
本年は「辰年」ということもあり、

折に触れて “ 龍 ” に想いを馳せるのでありますが、
龍に纏わる諸説の中には、
龍が降雨・止雨を司る《水神》であるため、
水の流れる河川そのものを龍と見做す説があります。
つまり、
「流(りゅう)」は「龍(りゅう)」。

確かに「河流・川流」は、
「河龍・川龍」として何ら違和感なく、
また古来「龍脈」と伝えられるものも、
「流脈」と捉え得るものかも知れません。

                 

西洋と東洋を、どこで分けるのか?
という辺りはひとまず措くとして、
“ 龍 ” という想像上の生き物は、
古来より西洋では悪しきもの、東洋では善きもの、
という風に捉えられてきたかと思います。
その違いは図像に顕著で、
西洋の龍は禍々しい両翼を広げ火焔を吐く凶兆の魔物、
東洋の龍は宝珠を掴んで水を司る吉祥の霊獣と、
概ねそのような姿で描かれてきました。

その背景には、
地理・宗教・政治・経済等々を含んだ文化の違いや、
精神風土の差異があるわけですが、
実のところ、
「西洋の龍は悪、東洋の龍は善」という種別は、
大雑把に過ぎるというもの。

西洋の龍も悪さを働くものばかりではなく、
善行に勤しむ龍がいたり、また、
東洋の龍と言えども善なるものとは限らず、
悪行を為すものもいます。

中国は元魏の頃(4~5世紀)に成立したとされる、
「正法念処経(しょうぼうねんじょきょう)」には、
生前の行いが良かった人は「法行龍(ほうぎょうりゅう)」に、
悪かった人は「非法行龍(ひほうぎょうりゅう)」になる、
といったことが記されています。

「法行龍」とは世界の創造に携わる龍。
「非法行龍」とは世界の破壊に加担する龍。

とは言え、
創造は、破壊あればこその創造であり、
破壊は、創造あるがゆえの破壊であれば、
「法行・非法行」二種の龍は、二つで一つ。
分けられるものではないと思います。

「正法念処経」の経説は経説としても、
少し思いを致せば分かるように、
生前の行いが良かったと言われるような人物にも、
何かしら後ろ暗い過去が有るものですし、
生前の行いが悪かったと思われる人間にも、
きっと誰かの心に明かりを灯すことがあったはず。

私たちは、
誰しもが「叩けばホコリの出る身」であり、
誰しもが「かけがえのない希望の種」。

オスカー・ワイルド(1854~1900)は言いました。

『全ての聖人には過去があり、
 全ての罪人には未来がある』

                 

別段意図したわけでは無かったのですが、
龍の川に小舟を浮かべて下るにうちに、
オスカー・ワイルドの岸辺に流れ着きました。

『全ての聖人には過去があり、
 全ての罪人には未来がある』

というわけですから、
ここには過去から現在を通って未来へと流れる、
“ 時の河川 ” というものも謳われている気がします。

冒頭、
「流(りゅう)」は「龍(りゅう)」として、
河川等の “ 水流 ” を “ 水龍 ” と解きましたので、
過去から未来へと移ろう時間の流れ「時間流」は「時間龍」。
「時の龍神」とでも申しましょうか。

また明日から時間に追われながら働くのか・・・、
そう考えるといささか憂鬱ですので、
いざ「時の龍神」と共に・・・、
そんな風に想って老骨に鞭打つものであります。


“ Chrono Dragonus ” ~ 時の龍神

皆様、良き日々でありますように!


               









竜形九似あり

2024-01-21 15:59:05 | 雑感
本年令和6年の干支は「辰」つまり「龍」。
十二支の中で、
唯一 “ 想像上の生き物 ” であります。

龍は、洋の東西を問わず語られ続けて数千年。
その裾野は広大にして奥行きは深遠である為、
とてものこと早川の筆の及ぶところではありません。

困った時は大師匠を頼みとし、
南方熊楠(1867~1941)の「十二支考」から、
少しばかり引かせて頂きます。

中国は清代(1636~1912)前期に成立した、
今で言うところの百科事典「淵鑑類函」に載る話。

龍を描く絵師のもとに夫婦が訪れます。
夫婦は制作途中の龍画を一瞥するなり、
絵師に向かって告げます。

「絵師さんよ、
 あんたは龍の雌雄を同じ姿に描いているけれど、
 それちょっと違うんだよね。
 オスの龍は鬣(たてがみ)が尖って、鱗は密生し、
 胴体の上部は太く、尻尾に向けて細くなる。
 メスの龍は鬣が円みを帯びて、鱗はまばら、
 胴体よりも尻尾の方が太いんだよぉ・・・」

絵師は自分の描画にケチをつけられたと思い、
内心の不満を露わにします。
その様子を観て取った夫婦は、

「あぁ、気分を害してわるかったですね。
 ワタシら “ 龍 ” の夫婦だから、
 とくと御覧あれ・・・」

言うや否や、
夫婦は雌雄一対の龍となり、
天へ昇っていきましたとさ。

                 

中国は明代(1368~1644)中期に記された、
大百科全書「本草綱目」の中において、
龍は、その姿を形作るパーツが、

頭は駱駝(ラクダ)、角は鹿、目は鬼、
耳は牛、項(うなじ)は蛇、腹は蜃(ミズチ)、
鱗は鯉、爪は鷹、掌は虎・・・と、
九種類の生き物に似ると解説されていて、
これをして、

『竜形九似あり』

分かりにくいのは “ 鬼 ” と “ 蜃 ” でしょうか。
“ 蜃 ” については、
諸説あるものの大別して二種。
ひとつは “ 巨大ウミヘビ ” 。
ひとつは “ 巨大ハマグリ ” 。

どちらにせよ、
“ 蜃 ” なる謎の生物が海中に生息していて、
“ 気 ” を吐くことで海上に “ 楼閣 ” が出現し、
「蜃気楼」として畏れられた、
という伝説はよく知られたところ。


頭(顔)はラクダ、角は鹿、目は鬼、耳は牛、鱗は鯉・・・、

皆様、良き日々でありますように!


               








ところ変われば・・・

2023-08-27 14:16:35 | 雑感
父祖の地、伊勢・鳥羽を訪れてまいりました。

先ずは外宮を参拝します。

東海に転居して良かったことの一つは、
伊勢へのアクセスが便利であるということ。

上掲写真は、外宮・北御門口鳥居ですが、
この鳥居近くの参道脇に御厩(おうまや)があります。

御存知の通り、往古には神々への報恩感謝の証として、
本物の生きた馬を奉納する習わしがあったものの、
奉納する側も奉納される側も色々と負担が大きいため、
時代が下るにつれ、馬を描いた絵画を納めるようになり、
「絵馬」の起源となりました。

つまり現代に在って、生きた馬が奉納され、
“ 神馬(しんめ)” として飼育されている神宮神社というのは、
極めて少ないということであります。

この日は、
その “ 神馬 ” を拝見することできました。

馬名は「笑智(えみとも)」号。
「笑」は人類の叡「智」ということでありましょうか。
人は、とかく「勝利」を求める生き物でありますが、
「勝利」は、ひととき小我を満たす幻に過ぎず、
「笑利」は、永く自他ともに分かち合える福徳。

                 

さて、
伊勢の街を歩いていて、ふと思い出した古謡があります。

「物の名も、所によりて変わるなり、
 難波の葦は、伊勢の浜荻」

言い回しの異なるパターンが幾つか有るようですが、
おおよそ上記のような歌。
南北朝時代(1337~1392)に編纂された連歌集、
「菟玖波集(つくばしゅう)」に載せられた歌とも、
詠み人知らずの俗謡とも伝わります。

大意としては、

「同じ物や習俗であっても、場所が変われば呼び方も変わる。
 難波では “ 葦(あし)” と名付けられている植物が、
 伊勢では “ 浜荻(はまおぎ)” と呼ばれているように。」

確かに、
同じ文物でも土地土地によって呼称が異なるわけですが、
面白いのは、文物に限らず、
同じ事象や現象であっても、場所や地域によって、

「受け止め方」

が大きく変わるというケース。

例えば火山噴火に纏わる現象。
火山が噴火した際、地底のマグマが噴出し空高く舞い上がり、
上空で冷却され “ 髪の毛 ” 状の細長い物体となって地上に降下する、
そのような自然現象があります。

なんでもハワイ諸島の民間伝承では、
この “ 髪の毛 ” 状落下物は、

「女神 “ ペレ ” の毛髪」とか「エンジェル・ヘアー」、

などと呼ばれ、
大変にめでたく喜ばしい吉兆のサインとされているのだとか。

トコロ変わって我が邦・日本の江戸時代、東北地方某所、
おそらくは火山噴火があったのでしょう。
“ 髪の毛 ” 状落下物が確認されたものの、なにせ往時のこと、
コレが「姑による虐待」に堪えられず自ら死を選んだ、
お嫁さんの怨みが籠った “ 髪の毛 ” であるとされ、
件の姑はもとより地域住民の方々は、

「嫁のタタリ」とか「呪いの髪の毛」、

と大いに恐れおののいたというのであります。

地球物理学、地球化学、地質学、
そして火山学等々が発展した現在であればこそ、
“ 髪の毛 ” 状落下物は「火山活動に伴う産物」であり、
ある意味 “ 只それだけの事象 ” と知ることが出来ます。
しかしながら、
未だ科学による解明が進んでいなかった時代には、
“ 只それだけの事象 ” が、
一方で「女神の毛髪・エンジェル・ヘアー」という物語を生み、
一方で「嫁のタタリ・呪いの髪の毛」という怪談を生む。

この辺りが、物理現象と人間意識との交わりが生む世界、
その “ 不思議さ ” でありますが、
実際のところ、如何に科学が発展を遂げようとも、
この “ 不思議さ ” は無くなるものではありません。

物理宇宙と意識宇宙が抱える “ 不思議さ ” というものに、
真摯かつ圧倒的博覧強記で向き合ったのが、
南方熊楠(1867~1941)であることは周知のところ。

熊楠先生は、

『ここに一言す。不思議ということあり。
 事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。
 理不思議あり。大日如来の大不思議あり。(後略)』
(土宜法竜師(1854~1922)への書簡)

と語り、
「心不思議」と「物不思議」とが交わるところでは、
存在それぞれの在り方・生態・動態・立場・環境等々により、
無数の「事不思議」が生成と消滅を繰り返すとして、
そこのところを、
時に植物学、時に比較民俗学の手法を用いつつ、
意識と世界とが織り成す多次元性に挑まれたのでした。

思えば仏教では “ 水の流れ ” という自然現象も、
私たち人間には「河川」と映り、
天界の住人には「宝石の鉱床」と捉えられ、
魚には「自己の住み家」に他ならず、
餓鬼には「燃え盛る血膿」に見える、
いわゆる『一水四見(いっすいしけん)』が説かれます。

次元の異なる4つの世界が重なっているということですが、
“ 水の流れ ” を認識する側の視点から、
“ 水の流れ ” という認識される側からの視点へと、
立場を変えてみますと、『一水四見』は、

『一見四水』

に他ならないとも申せましょう。

う〜ん・・・いけません。
外国語を出来の悪い翻訳ソフトにかけたような、
意味不明な文章になってまいりました。
自分でも何を書いているのか分からなくなってきましたので、
稿を改めます。

                 

帰路、電車の発車時刻まで少し時間がありましたので、
鳥羽駅の東北側出口へと足を運びますと、
そこはもう鳥羽湾・佐田浜(さだはま)の海が広がっています。

“ 鳥羽マリン・ターナミナル ” と称される通り、
ここは各種の遊覧船や観光船が出入りする港。


おやっ?・・・

目を惹く遊覧船が繋留されています。


“ 龍宮城 ” と掲額されていて、

船首には亀に乗った浦島太郎、後部上方には乙姫さま・・と、

そうなのであります。
全国には “ 龍宮 ” 伝説が有りますが、
ここ志摩半島にも “ 龍宮 ” 伝説が残されていて、

志摩市に所在する伊雑宮(いざわのみや)、或いは、
鳥羽市に所在する伊射波神社(いざわじんじゃ)には、
海女さんが龍宮から持ち帰った “ 玉手箱 ” が納められている、
というのであります。

通常 “ 玉手箱 ” と聞きますと、
何となく有り難いもの、貰えたら嬉しいモノと思いますが、
上記、海女さんが龍宮から持ち帰った “ 玉手箱 ” なるもの、
これが実は「取り扱い要注意」の厄介な代物なのだそうです。

ひとくちに “ 玉手箱 ” と言えども、
各地各所によって随分と異なるもの。

「物の名も、所によりて変わるなり、
 難波の葦は、伊勢の浜荻」

古謡が詠っているのは、

「同じ物や習俗であっても、場所が変われば呼び方も変わる。」

という程のことなのかも知れませんが、
どうもその奥底には、
唯識および唯識哲学の世界が息を潜めているように思われます。


“ Dragon calls fortunate clouds ” ~ 天龍、瑞雲を呼ぶ

皆様、良き日々でありますように!