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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

“ しかたないニャア・・・”

2019-10-20 13:45:20 | 自然
この季節、気ノ森を歩けば頭は蜘蛛の巣だらけになります。
寒々しい坊主頭に絡みつく蜘蛛の糸をはらうため、
自ずと立ち止まった視線の先に・・・、

小さな命の証しが在りました。

盛夏から中秋にかけて度重なった雨風や、先日の台風でさえ、
吹き飛ばすことも打ち落とすことも出来ません。

季節外れの蝉の抜け殻に、ふと感じるものを覚え、
虚心に立ち尽くすうち、静々と足元の地面から聴こえてきたのは、
微細にして不思議な調べ。

おそらくは、地中深くに潜んで静かに命を養いながら、
羽化を待つ何千という蝉の幼虫が、地上を夢見て歌う、
かそけき合唱と察します。

               

父が好きだったキンモクセイ

私の嗅覚を通して楽しんでくれるといいなぁ・・・


などと思っておりましたら、にわか雨。

秋は、梅雨の頃よりも雨量が多いそうで、


雨宿りに駆け込んだ先には先客がいらっしゃいました。
僕も使わせて頂いていいですか?とお尋ねしたところ、

“ しかたないニャア・・・すこしだけニャ ”


うつろい ~ キンモクセイの章 ~



              







アオスジアゲハ

2019-09-15 13:57:03 | 自然
気ノ池。
池の水面から4~5mほど垂直に切り立った崖の端に茂みが広がり、
その辺りをこうヒラヒラとアオスジアゲハが舞っては止まり、
止まっては舞う・・・を繰り返していました。
ザッと目視するだけでも数十頭(蝶の単位は「頭」なのだとか)。

ただ、その茂みに至るまでには、
丈は腰くらいながらも鬱蒼とした藪が広がっていて、
アオスジアゲハに気付かれないよう静かに藪に分け入るも、
老いたる早川は、つる草等に足を取られてコケるのであります。
当然のことアオスジアゲハはワーッと驚いて飛び去り、
早川はそのままの姿勢で、ジッと気配を消して待ちます。

程なくしてアオスジアゲハが戻って来た頃合いを見計らって、
早川はゆっくり身体を起こし、再び歩を進め、又コケて、
アオスジアゲハは驚いて去り、早川は又気配を消して・・・と、
出来の悪いコントのようなことを繰り返しつつ撮りました。
毎度、ヘタな写真で申し訳ありませんが何枚か御覧下さい。















アオムシ~サナギ~成虫と、
その生涯において劇的に様態を変化させることから、
蝶は古今東西を問わず〈復活・再生・新生〉の象徴。

台風15号がもたらした被害により、
未だ10万を越える世帯が停電中と聞きます。

上記台風に限らず、
諸々の自然災害を始め、病気・失敗・不和・困窮・・・、
様々に襲い来る人生上の艱難辛苦の数々が、
復活・再生・新生へ繋がる〈希望のサナギ〉となることを、
心から祈念するものであります。


              










マイアの息吹き

2019-05-19 14:14:36 | 自然
お見苦しい写真で申し訳ありませんが、
気ノ森周辺で感じられる、
5月の女神“ Maia・マイア ”の息吹きをいくつか・・・。

               

別段何ということもないスズカケの樹なのですが、

そのそばを通る度、
自分でも奇妙な程しみじみとしたものを覚えます。

おそらくはそれは、
「スズカケ」という名前が、その名の通り季節によっては、
無数の鈴が枝に掛けられたように見えることに由来するので、
樹木のままに楽器・大きなベルツリーに思えること。
あるいは、
「スズカケ」が修験道の法衣「鈴懸(すずかけ)」に通じて、
かつて参拝したところの大和の吉野山や
出羽の湯殿山・月山・羽黒山の光景が脳裡に浮かぶこと。
そして、それらの場所で授けて頂いた教えが、
在家を本義とし、俗世間をこそ尊い曼荼羅と見なすこと。

そうした諸々の事と想いとが錯綜して、樹に近づく度、
「しみじみ」とした感興を覚えるのかも知れません。

               

キンセンカは、その花弁の重なりが、

千手観世音菩薩の御手の重なりに思えて、
しばらく訪れていない京都・蓮華王院・三十三間堂の、
あの圧倒的コラールの御前に額づく日を夢見ます。

               

5月賛歌の美しい声部を担うのは、ヒルザキツキミソウ。

アカバナ科の月見草は、文字通り、
月の光に呼応するかのように夕方から咲き始めますが、
同じアカバナ科の月見草でも、こちらは昼に咲くということで、
「昼咲き月見草」と名付けられたのだとか。

昼は太陽の光が強くて見えないだけで、月も星もそこに在り、
それらの光も又、地球に届けられているということを、
ヒルザキツキミソウは歌っているようにも感じられて、

『青いお空のそこふかく、
 海の小石のそのように、
 夜がくるまでしずんでる、
 昼のお星はめにみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。』(「星とたんぽぽ」より)

ふと、金子みすゞ先生の一節を思い出しました。

               

日々に色づく桜の実

実の中には種があるわけですが、
思えば「種」という漢字は「禾(のぎ)」+「重」。

「おまえの重心はどこなのか?」

心の重心、身体の重心を見失いがちなワタクシめには、
耳の痛い問いかけを聞く思いがします。

               

何となく気持ちがほぐれるのは、今年もまた

ホタルブクロに巡り逢えたからでしょうか。

心の耳に聴こえてきたのは、自然という、
堂宇なき聖堂・社殿なき神社・楼閣なき寺院にあって、
5月の風が揺らして鳴らす、釣り鐘の音でありました。



              









ガブリエルの左手には 2018

2018-06-10 14:10:05 | 自然
名古屋市・千種公園は面積こそ広くはありませんが、
ユリの名所として知られており、訪れた日(6/3 日曜)は、
早朝にもかかわらず既に多くの方々が来園されていました。



ユリには50種を越える品種があるそうで、
こちらはコラーロビーチ品種

その名の通り、陸地に広がるサンゴ礁。

こちらはエル・ディーヴォ品種

「エル」はミカエル・ラファエル・ガブリエルの「エル」。
「ディーヴォ」は「ディーヴァ(歌姫)」の男性形と解き、
いささか強引ではありますが「神々の調べ」とでも。

こちらはフレミントン品種の立ち姿

皆さま御存知のように、
ユリの茎は意外なくらい強く丈夫に出来ています。

天空に向かい真っ直ぐに伸びる姿は、
世界の神話に共通して現れる宝剣や霊杖のイメージと重なり、
花の構造は円錐曲線を始めとする幾何学的特徴に溢れ、
花弁の枚数〈6〉・雌しべ雄しべの総数〈7〉は、
洋の東西を問わず全文明の根底で響き続けている数字・・・、

と諸賢によって既に語り尽くされたことの数々も、
こう実際に観察するうちに神秘の輪郭が浮かび上がり、
大天使ガブリエルが捧げ持つ花として、
なぜユリが選ばれたのか?が、あらためて実感されます。

こちらはクーリエ品種

日本では、慶び事・祝い事に白いユリが尊ばれます。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)や
ヤン・ファン・エイク(生年不詳~1441)他多くの画家は、
白いユリを手にした大天使ガブリエルが、
神の意志や言葉を伝達する為に降臨する場面を描きました。

白いユリが「クーリエ(使者)」と名付けられているのは、
大天使のそうした役割に由来するのでしょうか。

大天使ガブリエルの起源は

メソポタミア文明に遡るという説もあるそうで

花響(はなゆら)の中、アレコレと想いを巡らせるうちに

飛天を始め、天翔けるアジアの天使たちまでもが降臨し、
ユリの園はひととき幻想の海・・・

と、いつも以上にボーっとするワタクシめを

現実に引き戻してくれるのはヒメハナバチの羽音でありました。

               

金管楽器・開口部のような花の姿を観て

うろ覚えながら思い出しましたのは、
旧約聖書の中で語られる「最後の審判」。

聖なるトランペットを吹き鳴らし、音と音楽の力を以って、
この世を去った人々や、生きながらにして心を滅ぼした人々、
それら全てに向けて、復活・再生の道を示すのが、
大天使ガブリエルではなかったかと記憶します。

               


cantabile con sentimento



sonare con passione


これからは雨模様の日々、
皆さま、御体調等崩されませんように!