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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

Lotus and Dragon

2022-08-28 14:46:44 | 自然
久しぶりに訪れましたのは、

名古屋市・丸の内に所在する桜天神社。


この春までは、毎朝の出勤時に参拝し、及ばずながら、

職場で触れ合う学生諸氏の学徳向上を祈念しておりました。


若者たちとの交流を思い出してなのか、

何となく懐かしさを覚えます。


先程、オクラを刻んでいて、ふと気づいたのですが、
オクラの断面は、

“ 天神梅花紋 ” のようにも観えます。

                 

ゆく夏を惜しむシオカラトンボ



晩夏に憩う琉球三筋(リュウキュウ ミスジ)



今夏、気ノ池の蓮は、その数こそ少ないものの、

凛とした姿を現していました。

気ノ池の蓮は、白を基調としつつ、
花びらの周縁から先端部にかけては薄桃色。
よくよく観察しますと、
花びらには大小の葉脈が幾筋も通っているのが観て取れ、
その構造原理は、私たちの体内に張り巡らされている、
大小の血管と全く同じであることが分かります。

御承知置きのように、
蓮は “ 汚泥 ” の中に在ってさえ美しい花を咲かせることから、
損得勘定や欲望渦巻く人間社会、苦悩煩悩にまみれた人間世界、
言わば “ 汚泥 ” を生きる人間生命へ向けた指針の一つとして、
仏教を象徴する華として採用されたと伝わります。

毎日のように蓮を眺めておりますと、
“ 汚泥 ” とは言うものの、“ 汚泥 ” こそは、
栄養豊富であるということに、自ずと気づかされます。

“ 汚泥 ” の中に在ってさえ美しい花を咲かせる蓮は蓮として、
その蓮を美しく咲かせている、
もしくは美しく咲かせることが出来るのは、
他ならぬ “ 汚泥 ” でありましょう。

すると蓮という花は、
“ 汚泥 ” の利用・活用に長けた生命体・・・、
という風に捉えることができるのかも知れません。

人間は誰しもが、その内界に闇を抱え、時には怨み、憎しみ、
嫉妬、嫌悪等々の感情に悩まされることがあろうかと思います。
そうした所謂 “ 汚泥 ” とも表現できるような心的状態の数々は、
実のところ、エネルギーに満ち、滋養・栄養に富むものであり、
そうした “ 汚泥 ” を存分に利用・活用して、
「自分だけの花を咲かせよ」と、
蓮は、そのように歌っているようにも思われてまいります。


“ 蓮龍協奏 Concerto for Lotus and Dragon ”

皆様、良き日々でありますように!


               








泰山木(タイサンボク)

2022-06-12 14:58:18 | 自然
朝5時頃、昇って間もない太陽の光は、

日中とは又ひと味違う世界を見せてくれます。


一木一草までもが声を合わせて歌う様子は、

名付けて “ Dawn Chanter ” 合唱団。


気ノ池も、朝の光に照らされて、

束の間、水面は光の玉で溢れます。


ハルジオン(春紫苑)とヒメジョオン(姫女苑)を、
早川は見分けることができませんが、聞くところでは、
ハルジオンは蕾が横を向き、ヒメジョオンは上を向くのだとか。
すると、朝日を浴びるこちらは、

ハルジオンでしょうか?

ニールス・ボーア(1885~1962)が提唱した「原子モデル」は、
“ 電荷を帯びた粒子の軌道は、その波長の整数倍に位置する ”
として、量子力学を大きく前進させたと伝わります。
朝の光に浮かぶ蜘蛛の巣は、

テキストで見かけるボーアの原子モデルを彷彿とさせます。
又この蜘蛛の巣を、空間に生じた “ 波紋 ” と見立てますと、
万物が “ 波動 ” であることを証しているかのようでもあり、
或いは私たちの世界が「円」と「中心」、「点」と「線」、
それらの「動き・流れ・巡り・運び」で成り立っていると、
そのように歌っているかのようにも感じられます。

                 

東海地方も、そろそろ梅雨入りとなりそうですので、

貴重な晴れ間に与れる内に、名古屋天神・上野天満宮へ。


天神くん



晴明殿



晴明殿の正面ガラスに印された “ 陰陽太極図 ” 。

先程ニールス・ボーアに触れましたが、量子力学の確立に貢献し、
量子力学における様々な解釈の中で主流とされる、
“ コペンハーゲン解釈 ” を唱えたボーアが生涯好んだデザイン、
それが “ 陰陽太極図 ” でありました。

ボーアが “ 陰陽太極図 ” を好んだ理由は、
ボーアの持つ東洋哲学志向と共に、この “ 陰陽太極図 ” が、
時間と空間・物体の位置と運動量・粒子の物質性と波動性等々、

『二つの性質が「相補って」一つの事象は成り立っている』

という、
量子力学の「相補性」概念を端的に表しているからなのだとか。

この辺りは、科学と人文の汽水域。
エビデンスとナラティヴの交わるところでもあり、
取り扱いには慎重さが求められますが、そこは他ならぬ、
「量子力学」の礎を築いたボーア本人が説くところでもあり、
太極思想の “ コペンハーゲン解釈 ” とでも申しましょうか、
“ 陰陽太極図 ” を眺める度に、そこから新たな光芒が放たれ、
大小の気付きやヒントを授かるように思います。

                 

さて、石に刻印された「天満緑道」の「天満」とは、

名古屋天神・上野天満宮の「天満」のことで、
この緑道を辿りますと上野天満宮に到るのですが、


今の時期は、

紫陽花が風情を添えてくれます。


そこに加えて、緑道の脇に立つ泰山木(タイサンボク)が、

開花期を迎えていました。


泰山木は、モクレン科の樹木で、

学名を “ Magnolia Grandiflora ” 。


その名の通り、まことに “ Grand ” な、

大きな花が咲いていました(直径30~40cm)。

早川が写真を撮っておりましたところ、
御婦人の方々からお声がけを頂きました。
方々は、この地に永くお暮らしだそうですが、
「この泰山木に花が咲いたのは、ついぞ観た事がない」とのこと。

すると、樹木の持つ個体差ということもあるのでしょうが、
「この泰山木」の花を観ることが出来たのは、

貴重な巡り合わせだったのかも知れません。

皆様、良き日々でありますように!


               









春の釣り鐘

2022-04-09 14:11:05 | 自然
当ブログ「それでも世界は希望の糸を紡ぐ」は、
基本的に毎週日曜日に更新しておりますが、

今週は都合により日曜日の更新が出来ませんので、
1日前倒しで、本日土曜日に更新させて頂きます。

                 

当地転居以来、5年に亘り勤務した職場を辞したことは、
先週のブログに書かせて頂きました通りですが、
その報告と感謝を捧げに朝日神社を参拝してまいりました。

境内の桜は、既に花期を過ぎて葉桜でしたが、


葉桜には葉桜ならではの風情というものがあります。



こちらは1週間ほど前の覚王山・日泰寺


                 

こちらは1週間ほど前の気ノ池周辺の桜。



「花曇り」とは、よく言ったもの。



桜の頃は、曇天と春雨が続きます。


                 

束の間、紫モクレンとの共演が楽しめるのですが、

それはまさしく「束の間」のこと。


快晴の空色が、美しい桜を更に美しく見せるのは、

春空の青が、桜色の反対色だからなのだそうですが、これを、
自然界が響かせる “ 大対位法 ” と言うのでありましょう。


気ノ森・第2道場の桜


                 

桜の花びらがクモの巣に掛かっていました。

これからの季節、気ノ森はクモの巣だらけであります。


この新芽を萌え出させているのも、私を生かしているのも、

遠く離れた、あの太陽のチカラよなぁ・・・などと、
普段は忘れ果てている “ 太陽系住人 ” としての自分を自覚し、
柄にも無く神妙な想いで巡らせた視線の先、


むむ・・・紫陽花の若葉に “ 春の影絵 ”

皆様は、何に観えますでしょうか?
早川には、猫がオーケストラを指揮している姿、
そんな風にも観えるのですが如何でしょう。

この見えざるオーケストラを、仮に “ 気ノ森管弦楽団 ” とした時、
この季節、“ 気ノ森管弦楽団 ” イチ推しの楽器と言えば、
こちら、

春の釣り鐘(スノーフレーク)


自然界の “ 楽の音 ” は、常に平和と調和を祈り、
「愚かしい戦争はやめよ」と謳っているのですが、

私の聴覚では捉えることが出来ません。






               







照ろうが、降ろうが、

2021-08-22 16:08:24 | 自然
降り続く雨、降り止まぬ雨、薄明かりが射したかと思えば、
一天にわかに搔き曇り、雨、また雨、ずっと雨・・・。

ふと1982年公開のSF映画「ブレードランナー」を思い出しました。
“ ブレードランナー ”と称される特任捜査官と、
“ レプリカント ”と呼ばれる人造人間との闘いを描いた作品は、
日常的に降りしきる酸性雨の中で繰り広げられるという設定で、
その設定の通り、2時間に及ぶ映画は全編が雨、雨、雨。
観るものは次第に陰鬱な気持ちに陥ってゆきますが、
そこがリドリー・スコット監督の狙い目でもあり、
“ 雨 ”の真意を、私たちは映画のラストで知ることになります。

映画「ブレードランナー」については、
ヴァンゲリス大師匠のサウンドトラックおよび作曲技法も含めて、
いずれ稿を改めて想いを巡らせてみたいと思います。

               

前線が停滞する以前から撮り置いていた、
気ノ池・気ノ森で目にするものを幾つか、お目汚しまでに。

古代インドを源流とする仏教なれば、

仏尊と相対する際に行う「合掌」も又、
古代インドの礼儀作法に由来すると伝わります。

「合掌」の仕方の中には「蓮華合掌(れんげがっしょう)」、

また「十二合掌」と呼ばれる、十二種類の合掌方式の中には、

「未敷蓮華合掌(みふれんげがっしょう)」、
「初割蓮華合掌(しょかつれんげがっしょう)」という風に、

蓮の華を象り、蓮の華に託された心を表す合掌があります。

「合掌」は、誰しもが、

いつでも、どこでも咲かせることのできる、

蓮の華と言えるかも知れません。


               

シオカラにとって、蓮は、

憩うにもってこいの場所。

蓮は蓮でも、こちらは気ノ池の“ 睡蓮 ”。


今年は、例年に比べて少ないような・・・。


少し陽が射して、池畔に置かれた飛び石には、

バッタが現れましたが、またザァーッと雨が降り出し、

恨めしく上方へ視線を転じますと、

珊瑚樹が赤い実を結んで笑っていました。

               

天地は正大。
照ろうが、降ろうが、

花のブラスは、音なき音を高らかに鳴らし、

至るところハート展。




              








一日花

2021-08-08 17:20:33 | 自然
本日の名古屋は最高気温39℃。
皮膚を灼く陽射しの下、アスファルトからの反射熱等も加わり、
実際の気温はおそらく40℃超えと思われます。

地球上の住所ということで申しますと、
当地は〈北緯35度・東経136度〉近辺・・・つまり、
赤道から北へ35度、グリニッジ子午線から東へ136度に位置します。

この位置にしてこの猛暑であるならば、より赤道に近い諸国、
例えばインド、アフリカ、中南米の諸国は如何ばかりか?と、
本日の世界の天気を見てみますと、これが意外なことに、
インド・デリー:最高気温31℃、
エジプト・カイロ:最高気温35℃、
ベネズエラ・カラカス:最高気温31℃・・・。

気象は地球上の遠く離れた場所と場所、気候と気候、
環境と環境とが、複雑に連鎖連環しながら起きる現象ですので、
緯度経度で単純に推し量れるようなものではありませんが、
その上で尚、当地を始め日本各地で40℃に届くような状況は、
日本が既に熱帯気候国であることの証左であるように思われます。

果たして熱中症対策の喚起励行だけで事足りるのかどうか?

               

かくも厳しい暑さの中、暦の上では“ 立秋 ”を迎えました。
当然のことながら、その実感はありませんが、
自然界とは不思議なもので、アブラゼミの鳴き声の中に、
ツクツクボウシの声が聴かれました。

気ノ森は日中にあってもこの通り、

あまり陽が射し込まず薄暗いまま。


気ノ池に熱を冷まされた風が渡り、

緑陰に深く呼吸することが出来ます。


毎夏、心を通わせる気ノ池の蓮は、

未だ数輪程度しか咲いていません.


こちらは昨日(8月7日)午前8時頃の蓮。



撮影角度の違いにより背景が変わり、同じ蓮には見えませんが、
確かに上掲写真と同じ蓮、本日(8月8日)午前8時頃。

私は、蓮に「一日花」の印象を持ちませんが、
蕾から開花、そして散華に至るまでの速さを観る限り、
「一日花」と呼んで差し支えないと思われます。


昨年(2020)の気ノ池の蓮


皆様、良き日々でありますように!