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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

寅の月

2017-02-04 17:50:05 | 仏教
立春を迎えました。

何が映っているのか分かりにくくて申し訳ありませんが

近くのお寺の白梅に花蜜を求めるメジロであります。

『梅に鶯』の先入観からか?いつも鶯と間違えますが、
ウグイスは滅多にお目にかかれませんね

               

暦の上で2月は《寅の月》。

毘沙門天王尊の聖地、奈良・信貴山・朝護孫子寺では、
その昔「寅の年・寅の日・寅の刻」に御本尊が出現された・・・
という御縁起に由来して、
例年2月下旬に「寅まつり」が盛大に催されます。

毘沙門天と申しますと、その身を甲冑で固めて鬼を踏み、
矛や戟といった武器を手に執る像容が多く見受けられ、
古来、上杉謙信を始め武家・武将の信仰が篤く、
現代にあっても自衛隊の特殊車両の装甲板に、
毘沙門天の「毘(び)」という字が書かれる事があるため、
軍神・戦闘神というイメージが強いかと思います。

しかしながら毘沙門天について説かれた
《毘沙門天王功徳経(びしゃもんてんのうくどくきょう)》には、
その御姿について

『左の手に宝塔を捧げ
 右の手に如意宝珠の棒を取り』

と書かれていて、武器の類いは手にされておられません。
甲冑は纏っておられますが、その理由は
仏道精進を妨げる四種類の魔物から身を守るため・・・
と記されています。

また力説されておりますのは《五種心》

1、父母孝養(ぶもこうよう)
2、功徳善根(くどくぜんごん)
3、国土豊饒(こくどぶにょう)
4、一切衆生(いっさいしゅじょう)
5、無上菩提(むじょうぼだい)

これら五種の幸せと成就を願ってから毘沙門天に祈れ、
と謳われていて、巷間知られるような戦闘神とは異なる
《慈悲・福徳の尊格》である事が分かります。

               

とは申せ、
毘沙門天王功徳経には、毘沙門天の功徳の一つとして確かに、
軍(いくさ)に勝つ「勝軍の福」が説かれていて、
このことが戦国の武将に信仰された理由でもありますが、
先程の《五種心》の内『一切衆生の幸せを祈れ』という、
その《一切衆生》の中には当然のことながら、
敵方の兵士とその御家族も含まれる事を忘れてはならず、
毘沙門天が「勝軍」に込めた真意は、殺し合いの勝ち負けや、
自己の勝利と利益だけを求める所にはありません。

               

鎌倉時代、
モンゴル軍が九州北部に侵攻した《文永・弘安の役》の際、
70歳を越えた叡尊(えいそん or えいぞん)上人は、

「日本の武士達に死傷者が出ないように、
 蒙古軍の兵士達も損害少なくして自国に戻れるように、
 我が国、彼の国、一切衆生が無事であるように」

そのように祈ったと伝えられています。
伝聞には諸説ありますので何とも申せませんが、
当時の日本に《全人類ファースト》を唱えた人がいたものと、
私自身は心の奥底に留めたいと思います。

只どれほど伝承として美しく、理想として高くとも、
「敵・味方」「自己・非自己」という相対的立場を超えて、
全体を慈しむような在り方は、柔弱・曖昧と批判され、
競争原理を旨とする現実世界では機能不全に陥り、
利害得失で動く現代社会では失笑を買う在り方かも知れません。

それでも尚、
戦闘停止と双方の無事を祈ったとされる叡尊上人の逸話は、
大乗の精神とはどうあるべきものなのか?
大乗の菩薩とは何を目指すべき存在なのか?
そのことを現在と未来に問いかけているように感じます。

               

こちらは、近くのお寺の山門に祀られた毘沙門天王尊

立像の多い毘沙門天像にあっては珍しい座像でありますが、
『左の手に宝塔を捧げ、右の手に如意宝珠の棒を取り』
と経典に書かれた通りの物を持っておられます



皆さま、ご体調等崩されませんように!






              











父母恩重経

2015-02-17 09:46:20 | 仏教
仏教の経典を巡っては、

「真経」か「偽経」かが論じられる事がありますが、
そういう難しい問題は、仏教学者の方々にお委ね申し上げる事にして、

日々の祈りにいそしむ者にとっては、
もとより真偽の別などあろうはずもなく、
全ての教えを、精神遺産として押し戴くばかりです。


そうした仏教経典のひとつに

「仏説 父母恩重経」

というお経があります。
読み方は「ふぼおんじゅうきょう」とも「ぶもおんじゅうきょう」とも。


父と母から受けた恩が、いかに重くて、有り難くて、広大か、を
ときに諄々と、ときに切々と説く経典です。

経名には「父母」とありますが、その内容は
仏陀が聴衆に向けて

「あなたの母が、あなたを出産する時に、どれほど苦しんだか」
「あなたの母が、赤ん坊のあなたを、どれほど慈しんだか」
「あなたの母は、どんなにお腹がすいても、まずあなたに食事を与えた」
「あなたの母は、ずっと古着で我慢し、あなたには新しい衣服を着せた」
                ・
                ・
                ・
という具合に、おもに母親の恩徳というものを深く静かに謳ってゆきます。


   「この世に生まれた誰しもが、かつて母親のフトコロを寝床とし
    母親の膝を遊び場とし、母親の乳を食物とし、
    そして何よりも母親の愛情を、自身の命となしたはず・・
    思い出せなくても、よく考えてごらん」

お経という形で奏でられる生命の交響詩、とでも申しましょうか、

その音楽を浴びているうちに、集まった聴衆は、すっかり忘れていた
親への感謝と申し訳なさで、想いは溢れ、胸は張り裂け、
やがて会場は感動の嗚咽に包まれます。


後半、恩重経は響きを鋭くし、さらに心を震わせる旋律を歌います。
    

   「裸で、何も持たずに産まれたあなたが
    親から授かった愛情と、受けた恩義は想像を絶していて、
    それらは本当に筆舌に尽くし難いのだよ・・
    
    にもかかわらず、今のあなたはどうですか?
    
    本当の孝養を行っていますか?
    親の誉れを汚してはいませんか?
    親に寂しい思いをさせてはいませんか?」

と。

さらにブッダは、嫁姑問題や老いた親が病気に倒れたらどうする等々、
過去・現在・未来を問わず、人間である以上避けては通れない
諸問題に触れながら、人間はどうあるべきか?を語ります。



感極まった聴衆のひとり、阿難(アナン)が、
   
   「涙を払いつつ、座より起(た)ち・・」


今ひとたび、この経典について尋ねた後、他の聴衆と共に
仏陀の足下に五体投地の礼拝を為す、という荘厳な楽句を経て、
この一篇の交響詩は終わります。




今日は、母の命日。

孝行息子からは程遠かった私は、
親不孝を詫びながら遺影に向かい、

「父母恩重経」を唱えることに致します。