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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

若宮八幡社

2022-07-03 13:02:02 | 神社仏閣
東海地方も、梅雨入りから “ 13日間 ” という、
観測史上類例を見ない短さで梅雨が明けました。
早川は勝手なもので、
梅雨の只中にあっては「早く明けないかなぁ」と願いながら、
こうも早く明けると「いやいや早過ぎるでしょう」などと思います。
本日(7月3日)は久しぶりの雨模様ですが、
それでも心配なのは猛暑と水不足。

いま日本に猛暑をもたらしている要因は二つとされています。
一つは “ ラニーニャ現象 ” 。
もう一つは “ ダイポールモード現象 ” 。

ペルー海域の水温が低くなる “ ラニーニャ現象 ” は、
気象情報番組で繰り返し解説されるため知ってはおりましたが、
“ ダイポールモード現象 ” は、早川にとって言葉自体が初耳。

なんでも “ ダイポールモード現象 ” なるものは、
東インド洋の海面水温が低くなり、
西インド洋の海面水温が暖かくなる大気海洋現象のことなのだとか。
“ ダイポールモード現象 ” には “ 正 ” と “ 負 ” の二現象があり、
気象上の複雑な発生機序や相関関係は措くとして、
“ 負のダイポールモード現象 ” が発生すると、
日本列島は降雨量が減少し猛暑に見舞われるのだそうです。

一見何の関わりもなさそうな事象、遠く離れた場所での現象が、
次々に連鎖反応を起こし、大きな影響を及ぼす仕組みのことを、

“ テレコネクション(遠隔相関)”

と呼ぶのだそうですが、こうした話を聞きますと、
つくづく「地球は一つの生命体」との感を強くすると共に、
何となく思い起こされるのが、
近年の医学研究により明らかにされつつあるところの、

“ 脳腸相関 ”

こちらも人体上、離れた場所に位置する “ 脳 ” と “ 腸 ” とが、
実はお互いに影響し合っていると説かれます。
古来、脳がストレスを感じると下痢や便秘になりやすい、
良好な腸内環境はメンタルをも良好な状態に導く等々、
経験則としては知られていた “ 脳腸相関 ” ですが、
それらを裏付ける研究結果が相次いで報告されるようになり、
今では「腸は第2の脳」と言われるように。

又いささか論点はズレますが、仏教においては、
過去にとった行動が “ 因 ” となり、
巡り巡って現在の “ 果 ” がもたらされている、或いは、
現在の行いが “ 因 ” となり、未来の “ 果 ” を左右する、
“ 因果相関 ” というものが説かれたりもします。

“ テレコネクション(遠隔相関)” にせよ、
“ 脳腸相関 ” にせよ、
“ 因果相関 ” にせよ、
何かと何か、どこかとどこかは繋がっていて、
思わぬところで影響し合っているのでありましょう。

                 

そういうわけで、遥かインド洋の海面温度が影響を及ぼし、
期せずして梅雨が明けたのでありますが、
こちらは、まだ梅雨入りして間もなかった頃の、

城山八幡宮境内に揺れる紫陽花。
城山八幡宮「城山」の「城」とは、
立て札にある「末森(すえもり)城」のことでありますが、
今は “ 空堀(からぼり)” の址にその名残りを留めるのみ。

武将たちが攻防を繰り広げた場所という意味においては、

ここも又「つわものどもが夢のあと」。


栄枯盛衰、毀誉褒貶の中に移ろいゆく世の中。



城址というのは、
言わば “ 無常 ” の余韻を聴くことが出来る場所なればこそ、

ことのほか紫陽花が似合うように感じます。

                 

さて、名古屋市中心部、栄(さかえ)の南側に建つ、

若宮八幡社を参拝してまいりました。


こちらの立て札解説文には、

文武(もんむ)天皇(在位697~707)の頃に創建され、
延喜年間(901~923)に再興し、御祭神として、
仁徳天皇・応神天皇・武内宿弥を祀ると書かれています。

武内宿禰(たけのうち すくね)については、
御存知の方も多いかと思いますが、何代もの天皇を補佐し続けた、
伝説上の名臣・忠臣として記紀神話に登場します。
伝説上の人物ということもあって、その生没年は不明ですが、
『因幡国風土記』では推定寿命400歳、
『公卿補任』では没年時295歳、
『水鏡』では没年時280歳、
『帝王編年記』では推定寿命300歳・・・とされていて、
それゆえに “ 武内宿禰 ” は、特定の実在人物とは考えにくく、
忠節を尽くす功臣に付与された名誉ある役職名、
それが “ 武内宿禰 ” だったのでは?とする説もあるそうです。
そうだとすると宮廷内の片隅では、

「おまえさぁ、“ 武内宿禰 ” に選ばれたんだって?」
「うん、おそれ多いんだけどね・・・」

というような会話が交わされていたのかも。
いや、もしかしたら本当に長大な寿命を永らえて活躍した、
“ 武内宿禰 ” その人が実在したのかも知れません。

本殿の拝所、向かって右手辺りに置かれていた、

白龍の彫刻


若宮八幡社の境内は広く、

連理稲荷社あり、


天神社を始めとする摂社・末社あり、



白龍大神を祀りしところの、

若宮龍神社あり。


上掲の龍神社に鎮まる白龍大神とは、

高龗神(たかおかみのかみ)であると書かれています。
先に白龍の彫刻を御覧頂きましたが、
もしかしたら何か関わりや由緒が有るのかも知れません。



皆様、良き日々でありますように!


               









伊勢へ

2022-06-26 16:25:54 | 神社仏閣
折しも梅雨の季節、
「宝塚記念ファンファーレ」は原則として生演奏なので、
毎年天候には気を揉むのでありますが、
本日は晴天に恵まれ、TV視聴ではありますが、
阪神の空高く鳴り渡る金管の咆哮を聴かせて頂きました。

                 

さてコロナ禍の下にあっては、勤務しておりました職場の性質上、
移動、特には県をまたぐ移動を控えておりましたので、
長らく父祖の地・伊勢を訪れることが出来ずにおりましたが、
退職して2ヶ月、幾重にもコロナ対策を励行しつつ、
久方ぶりに祖霊鎮まる伊勢の地を訪ねてまいりました。

今こうして命あることに感謝を捧げるべく外宮へ。

外宮境内に入り、すぐに見えるのが “ 勾玉の池 ” 。


一之鳥居をくぐり、



二之鳥居を過ぎ、



外宮の社殿が見えてまいりました。

主祭神は豊受大御神(とようけのおおみかみ)。
手前に広がる敷地は、2033年に斎行されるところの、
第63回式年遷宮において遷座される新しい社殿の建設予定地。


遷宮予定地の奥に小さな御社が御覧頂けるかと思いますが、
ここには、

“ 心御柱(しんのみはしら)” が収められていると聞きます。


深閑とした浄域に建つのは “ 風宮(かぜのみや)”

祀られているのは、
級長津彦命(しなつひこのみこと)級長戸辺命(しなとべのみこと)
共に風雨を司る神々。


“ 土宮(つちのみや)”

祀られているのは “ 大土乃御祖神(おおつちのみおやのかみ)” 。
『伊勢外宮神前祝詞(いせ とつみや しんぜん のりと)』には、
“ 伊勢の國 度会の 山田の原の底津磐根に ” とありますが、
この “ 山田の原 ” の土地神が “ 大土乃御祖神 ” 。
“ 山田の原 ” の「山田」は、近畿日本鉄道(近鉄)の停車駅、
現「宇治山田(うじやまだ)」周辺地域に重なると伝わります。


“ 多賀宮(たかのみや)”

豊受大御神の荒御魂(あらみたま)が祀られています。


神奈備(かむなび)のヒコバエ



神宮を参拝する度に “ リセット感 ” を覚えます。



浄域に生命を育む一木一草の全てが “ ただならぬ ” もの。







皆様、良き日々でありますように!


               










秋葉山 圓通寺

2022-05-29 14:18:18 | 神社仏閣
何年か前に授かった御札を納めるべく、

秋葉山 圓通寺(あきばさん えんつうじ)を参拝しました。


圓通寺は、

熱田神宮・東門から南へすぐの場所。


こちらは圓通寺境内に建つ、

十一面観世音菩薩を祀る御堂。


こちらの御堂には弁財天が祀られています。


                 

久しぶりに圓通寺を訪れましたところ、境内の一角には、

新しく毘沙門天像が祀られていました。
幡(のぼり旗)に記された奉安日から察するに、
昨年(令和3年)末頃に鎮座されたものと思われます。
毘沙門天王は、寅年に所縁のある尊格なので、
もしかしたら本年(令和4年)の干支、
壬寅(みずのえとら)を迎えるにあたっての記念事業として、
発願造立されたものなのかも知れません。

近くに寄りますと、こういった感じ。

『毘沙門天王 功徳経』には、毘沙門天の姿は、
「右手に宝珠棒を執り、左手に宝塔を捧げ持つ」とありますが、
こちらの尊像は、右手に三叉戟(さんさげき)を執るという、
巷間流布するスタイルで造られています。

幡には、毘沙門 “ 尊天 ” と染め抜かれていますが、
“ 尊天 ” と聞きますと、早川にとりましては何を措いても、
洛北・鞍馬山に鎮座する鞍馬寺の “ 尊天 ” であります。
鞍馬寺では、
千手観世音菩薩・毘沙門天・護法魔王尊、の三尊を融合し、

《 三身一体 “ 尊天 ” 》

として祀っておられます。
早川は20代前半から鞍馬寺に詣でるようになって以来幾星霜、
ここ数年は組織勤めに明け暮れ、足も遠のいておりますが、
“ エア参拝 ” とでも申しましょうか、ともすると、
心は鞍馬・貴船の地を彷徨っているような次第であります。

当ブログでは、何度も書かせて頂いております事ながら、
鞍馬寺に纏わる最も有名な伝説と言えば、以下の二説。
一つは、
今を去る “ 650万年前 ” 現在の鞍馬寺・奥之院所在地に、
金星から護法魔王尊が降臨、今なお奥之院の地下世界にて、
人類救済に向け御修行中・・・というもの。
もう一つは、
鞍馬寺に預けられた牛若丸、後の源義経(1159~1189)に、
鞍馬山に棲む “ 天狗 ” が剣法等の武術を教え授けたというもの。
以上二説のうち前説は、ほとんど “ MARVEL ” の世界。
護法魔王尊降臨伝説が醸成された経緯は複雑で、
筆力の乏しい早川が軽々に論じられるものではありませんが、
鞍馬寺に祀られている護法魔王尊の尊像は “ 天狗 ” の姿。
後説は源義経という歴史上の実在人物を巡る伝説ながら、
気になるのは、やはり “ 天狗 ” なる存在でありましょう。
かくの如く現実と夢幻とが壮大なスケールで融け合う “ 場 ” 、
それが鞍馬山であり、人々を再生へと導く霊山の一つと心得ます。

                 

話を元に戻しまして秋葉山 圓通寺。
この寺院の御本尊 “ 秋葉権現 ” なる尊格は、
古来、火伏せ・火難除けに霊験ありとされてきました。
海外の石造り建築と違い、わが邦は長きに亘り、木と紙の家屋。
現実的な防火対策と共に、火防祈願は必須であったことから、
“ 秋葉権現 ” は広く信仰されてきた歴史があり、東京の電気街・
秋葉原の地名も “ 秋葉権現 ” に由来するものと伝わります。
では、この “ 秋葉権現 ” の姿たるや如何に?
既に御承知置きのこととは存じますが、
これが “ 天狗 ” なのであります。

とは言え、世に「権現(ごんげん)」と称される存在は、
その名の通り「権(かり)に現れた」ことを意味します。
つまり “ 秋葉権現 ” イコール “ 天狗 ” ではなく、
何者かが「権(かり)」に “ 天狗 ” の姿として「現」れたのが、
“ 秋葉権現 ” ということであります。
では、その「何者か」とは果たして誰なのであり、
“ 秋葉権現 ” と称されはするものの、
“ 天狗 ” にしか見えない尊格の正体とは一体誰のことなのか?
それが、

“ 不動明王 ” なのであります。

                 

現代においては、

「あいつさぁ、ちょっと売れたからって、
 最近 “ 天狗 ” になってるよね・・・」

という風に、
高慢な人間の代名詞とされる “ 天狗 ” ですが、
それはあくまでも “ 天狗 ” の面相で特徴的な長い鼻と、
得意げな様子を表す「鼻たかだか」という言葉とが、
後世において掛け合わされたまでのこと。
“ 天狗 ” の性格が高慢であるとするのは誤解でありましょう。
むしろ信仰・伝説・民話等々から浮かび上がってくるのは、
「天狗さま」「天狗どの」と慕われ親しまれてきた歴史。

“ 天狗 ” として現れる秋葉権現の姿で、共通する特徴は概ね二つ。
一つは、
右手に剣を執り、左手に羂索(けんさく、けんじゃく)を持つ、
というもので、これはまさしく不動明王の姿に他なりません。
もう一つは、背中に大きな翼を生やす、というもので、
この大きな翼は、どこか西欧の天使の翼を彷彿とさせます。

天使の造形が東へと伝わり、古代インド発祥の不動明王と融合。
“ 天狗 ” 仕様の秋葉権現は、日本の修験道において果たされた、
天使と不動明王との “ ハイブリッド尊格 ” ・・・、

などと申しては叱られもしましょうが、
鞍馬寺の護法魔王尊といい、圓通寺の秋葉権現といい、
“ 天狗 ” という異形の尊格には、
遥か遠い場所、遠い次元の響きを聴く思いがしてなりません。

                 

さて秋葉山 圓通寺を後に致しまして、

こちらも久しぶりの熱田神宮へ。


弘法大師・空海上人(774~835)が植えたとされる大楠。

本日は、この角度から。


ふと気配を感じ、視線を転じてみれば、

いらっしゃいました・・・熱田の霊鳥。



皆様、良き日々でありますように!



               






高牟神社

2022-05-22 15:54:00 | 神社仏閣
早朝の気ノ池・気ノ森

風が吹いていない時は、池面が水鏡となります。


アオサギも、しばらく羽根を休めたら



それっ!



バサッ!



スイーッ・・・と


                 

先日、初めて参拝してまいりましたのは、
名古屋・今池の地に歴史を刻んで千有余年とも伝わる、
こちらの高牟神社。

高牟神社の「高牟」は「たかむ」と読みます。


こちらが本殿



参拝客が引きも切らず訪れておられました。



高牟神社の御祭神は、

◯高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
◯神産霊神(かみむすびのかみ)
◯応神天皇(ほんだわけのみこと)

の三柱で、社伝に由りますと、
第13代:成務天皇の時代(131年頃)に産霊神二柱が鎮座され、
第56代:清和天皇の時代(858年~876年)には産霊神に加えて、
応神天皇が祀られるようになったとのこと。
応神天皇とは、すなわち “ 八幡神 ” のことであります。
なんでも、
応神天皇の神像は香木で彫り上げられた “ 束帯乗船 ” 坐像、
つまり正装して船に乗る姿と伝わり、この言い伝えを以て、
世に “ 出船八幡 ” 、又は一帯の旧地名「古井(ふるい)」に因み、
“ 古井八幡 ” とも呼ばれ尊崇されてきたのだそうです。

御承知置きの通り、
産霊神とは、私たちを含む天地・アメツチの一切を、
“ 産霊(むすび)” の力によって創造生産、育化育成する神として、
古事記や日本書紀に登場します。

                 

高牟神社が鎮座する場所の旧名が「古井」であり、
この神社が “ 古井八幡 ” とも称されてきたことは先に記しました。
「古井」とは文字通り「古い井戸」の意でありますが、
「古い」と言うのは、
あくまでも後の時代の人々から観て「古い」に過ぎず、
井戸をリアルタイムで活用していた人々にとっては、
常に「新しい」井戸であり、
おそらくは清冽な泉が滾々と湧いていたのでありましょう。

その泉の名残りを想わせる手水舎

手水舎は「てみずしゃ」とか「ちょうずや」とか、
様々な呼称がありますが、この辺りが日本語の煩瑣なところで、
「海」などは「うみ・あま・かい・うな・あ・うん・み」と、
文字列や文脈に従って読み分けられることを余儀なくされます。
手水舎については、
早川は個人的に「ちょうずや」と呼んでおります。

手水舎の格子には 、
“ 古井の霊水は信仰の水 ” ゆえ、おろそかにしないよう、

との但し書きが貼り出されています。

日本各地には霊山・霊地・聖所・聖域と呼ばれる場所がありますが、
そこには概ね “ 御神水 ” “ 御霊水 ” とされる水が湧いています。
例えば山形県に所在する湯殿山神社の御神体は、
神像でも神器でもなく、地底から湧き出る “ 湯 ” そのもの。
聖なる “ 湯 ” と、その “ 湯 ” を産出する山塊そのものが、
神々の “ 社殿 ” であるがゆえに “ 湯殿山 ” であります。

「むすび」と謂いますと、
「産霊(むすび)」「 結(むす)び 」「 掬(むす)び」・・・、
などが思い浮かびますが、この土地の旧名「古井」が示す通り、
その由来となったような霊泉が湧いていたのであれば、
産霊(むすび)の神の「むすび」が、
霊泉の水を両手で「すくう」行為を意味するところの、
「掬(むす)び」に通じていると考えるのは自然のこと。

感謝の心で水を「すくう」ことは、
巡り巡って、水に「救われる」ものと心得ます。

                 

高牟神社の境内には、

天満天神も祀られています。


こちらは、

北野天神社に隣接する高牟龍神社。


境内の一角に勧請された稲荷社へと通じる鳥居参道は、

稲荷神の世界へと通じる “ 緋色の回廊 ” 。

                 

「産霊(むすび)」「 結(むす)び 」「 掬(むす)び」と、
想い尽きせぬ「むすび」の世界でありますが、
身近なところでは、握り飯のことを「おむすび」と呼びます。
「おむすび」の由来には諸説ありますが、
古神道の行法に「緒産霊(おむすび)」なる作法があり、
その動作というのが、臍下丹田(せいかたんでん)の辺りで、
左右の両手を握り合わせて震わせるというもので、

この所作が、握り飯を作る時の動きを連想させることから、
握り飯のことを「緒産霊(おむすび)」と言うようになった、
という一説があります(上掲写真、自撮り “ 緒産霊 ” イメージ)。

説の真偽はさて措き、
そもそも人はこの世に産声を上げてから、
呼吸によって地球の大気と「むすばれて」生き、
摂取によって地球の恵みと「むすばれて」活動する存在なれば、
それを意識するしないは別としても、誰しもが、
その生涯を「むすび」の世界に送ることに違いはありません。
最近よく耳にする “ グラウンディング ” とは、
地球と自身との「むすび」に集中する瞑想法と言えるのかも。

この辺りを想いますと、

高皇産霊神(たかみむすびのかみ)
神産霊神(かみむすびのかみ)

といった「むすび」の神々に感謝を捧げ、拝を為すというのは、
人間生命を生きる者にとっては特別な意味を持つものと、
そのようにも感じられてまいります。



皆様、良き日々でありますように!


               








“ お礼参り ” 続行中

2022-05-15 18:06:36 | 神社仏閣
組織勤めを無事に終えられたことへの感謝を捧げに、
本日も神社仏閣へと短い足をフル稼働・・・と、その道すがら、
むむっ!遥か上空に未確認飛行物体を発見!



と思いきや、

飛行船でありました。


そういうわけで、早川は “ お礼参り ” 続行中。

本日(5月15日)は、まず名古屋・大須の北野神社へ。


当ブログでは、幾度となく書かせて頂いておりますが、
「大須観音」として名高い、北野山・真福寺・宝生院の山号、
北野山の「北野」とは、

菅原道真公(845〜903)を祀る北野天満宮のこと。


大須観音の北東側は人影もまばらで、

静かに参拝することが出来ます。


天満天神と言えば、この “ 梅花紋 ” でありますが、

大須観音の源流が天神信仰に在ることを物語るかのように、


真福寺・宝生院(大須観音)の寺紋は、

御覧の通り “ 梅花紋 ” であります。


ということで、

北野神社から大須観音へ


本日は日曜日ということもあって、

堂の内外は、大勢の参拝客で賑わっていました。


♫ 遍路は続くよ、どこまでも・・・



さて本日の “ お礼参り ” の締めくくりは、

大須の富士浅間神社であります。


隣接する稲荷社の参道には、

早くも紫陽花が揺れていました。


皆様、良き日々でありますように!