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 ~ それでも世界は希望の糸を紡ぐ ~

早川太海、人と自然から様々な教えを頂きながら
つまずきつつ・・迷いつつ・・
作曲の道を歩いております。

ヘンデル先生

2018-12-02 15:28:00 | 音楽関係
12月に入り

クリスマスツリーが街の各所を飾り


どこか空しい・・・

いや楽しい時期が訪れます。

               

これから年末にかけて、
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827)作曲・
交響曲第9番と並んで多く演奏されますのが、
ジョージ・フレデリック・ヘンデル(1685~1759)作曲・
オラトリオ「メサイア」。

この「メサイア」の中で歌われる「ハレルヤ・コーラス」は、
ヘンデル先生が作曲なさった音楽の中でも特に有名です。

ロンドン・ブルック通りの小さな家。
ヘンデル先生に雇われた家事手伝いの方は、
雇い主が作曲部屋に籠りっきりで、
せっかく用意した食事にも手を付けない事に困り果てた末、
「先生、大丈夫ですかぁ?」と声をかけて部屋の扉を開けます。

するとそこには、
溢れる涙を拭いもせず呆然と立ち尽くす人影が・・・。
人影は、その身を心配して部屋に入って来てくれた
家事手伝いの方に向かって叫びます。

「間違いない、目の前に見えた!
 大いなる御国が、大いなる神ご自身の姿が!」

それはヘンデル先生が、
「ハレルヤ・コーラス」の楽譜を書き上げた、
まさにその時であったといいます。
(P.カヴァノー著「大作曲家の信仰と音楽」教文館より取意)

またヘンデル先生が、
どれほど〈音楽の精神性〉を重んじたかを物語る伝説として、
オペラ「セルセ(クセルクセス)」の中で歌われるアリア、
かの「オンブラ・マイ・フ」を書き上げた時、
感涙にむせびながら近くの森に入り、少し開けた草原に跪き、
書き上げたばかりの楽譜を月の光に当てながら

「ありがとうございます、ありがとうございます・・・」

と、嗚咽のままに繰り返す姿が目撃されたと伝わります。

偉人にありがちな尾ヒレの付いた伝説かも知れませんが、
それはもしかしたら、楽曲を授かったことへの感謝を捧げ、
まだインクも乾かない楽譜に、
大自然の力を注ぎ込む儀式だったのではないでしょうか。

「オンブラ・マイ・フ」という楽曲の光から生まれた伝説を、
私は信じており、その光景を脳裡に描いては、
『道』の尊さ・深さに打たれるものであります。

               

ヘンデル先生は、
楽曲が売れないことによる多額の負債・50代での脳卒中・
そこからの再出発・病気を糧として開いた新しい音楽世界等々、
大変な紆余曲折を経ておられます。

ヘンデル先生に限らず、
偉大なる作曲師匠の方々が紡がれた音の一つ一つには、
苛酷な運命や宿命との闘いで流された血と涙が滲んでいる事を、
ひとときたりとも忘れるものではありません。



I respect all great composers.


              









エビデンスの光

2018-11-18 15:17:07 | 音楽関係
快晴のもと、本日の城山八幡宮は、

七五三の参拝客で賑わっていました。

               

脳について最新の研究と知見が掲載される月刊誌
「BRAIN and NERVE」に興味深い論文がありました。

ピッツバーグ大学病院・精神医学研究部門の
宮前丈明医師による研究論文
「音楽経験と脳 - 音楽演奏経験がもたらす脳の可塑性」

この中で、米国・ムーア博士らの実験が紹介されています。
(Moore・E他/米「Brain Cogn 」116号:p40-46/2017)
その実験というのは、
〈右利き・非音楽家・18~30歳〉の被験者30名を、

A : 音楽cue(音楽によるキッカケ付け)を用いて
  左手の動作学習課題を一定期間行うグループ
B : 音楽cue を用いないで同課題を行うグループ

の2群に分け、一定期間経過後に差異を評価するというもの。
一定期間というのは、1回20分の課題を週3回 × 4週です。

二つのグループに、どのような差異が生じるかを測定するのに、
MRI(磁気共鳴画像)による拡散テンソル画像が使われます。

脳の神経線維を構成する脂質膜は、
文字通り「脂質」ですので水をはじきます。
そこで神経線維周辺の水(水分子)が、線維の走行に対して
どの方向でどの程度はじかれているか?を「異方性」と捉え、
この異方性に着目して神経線維を描き出した画像が、
拡散テンソル画像なのだそうです。

拡散テンソル画像からは、
「異方性比率」というデータの値が分かり、
この値の上昇は、軸索の高密度化と髄鞘化の促進を意味します。
「髄鞘化」は、様々な学習成果を支える重要な脳の構造的基盤で、
軸索の高密度化と髄鞘化の促進というのは、大まかに言えば、
その部位の情報伝達速度が速くなり学習能力が高まるということ。

さて、先の実験で分けられた二つのグループですが、
Aの〈音楽cueを用いた左手の動作学習〉を行った被験者には、
右弓状束という脳内神経線維において、
異方性比率の値が有意に上昇したことが示されました。
ここでは省きますが、測定された他のデータ値においても、
音楽を用いないグループに比べて、

「右弓状束の髄鞘化が聴覚と関連付けた動作によって
 促進される可能性を示唆した」
(引用元:「音楽経験と脳-音楽演奏経験がもたらす脳の可塑性」
        「BRAIN and NERVE」2018年6月号/医学書院刊)

[弓状束]は、前頭葉から頭頂葉、さらに側頭葉へと至る
最も長い連合線維[上縦束]を構成している神経束。
音楽に合わせて左手の動作を繰り返すことで、
右脳を走る脳神経線維に髄鞘化がもたらされることが、
実験によって明らかにされたわけであります。

「音楽療法」と呼ばれるものには、
人間生活上の「ナラティブ(経験則)」は豊富にあっても、
自然科学上の「エビデンス(根拠)」を欠きます。

隔靴掻痒の感とでも申しましょうか、
音楽の力を信じる人間にとってはもどかしいもの。

しかしながら、時に上記のような研究報告を読みますと、
エビデンスの光に巡り会ったような喜びを感じます。

論文には、こう書かれていました。

「本研究成果は、
 リハビリテーション促進を目的とした音楽療法の
 脳科学的基盤を与える成果として重要である」
                 (引用元:上掲書)

               

魔を防ぐ狛犬と邪気を払う柑橘の樹に見守られ

お父さんと幼い娘さんが鈴を鳴らしておられました。

人間生命に資する様々な知恵は、歴史的経験則と科学的根拠という
二つの要素が止揚される「場」であることが理想であります。

とは言え、
子供の健やかな成長を願う、親の願いや祈りに、
科学的根拠・理由・エビデンスなど必要ありませんね。

皆様、良き日々でありますように!



              










フランシス・レイ

2018-11-11 16:21:07 | 音楽関係
去る11月9日(金)の新聞を始めとするメディアの報道で、
フランシス・レイ氏が旅立たれた事を知りました。
正確な日付などの詳細は明らかになっていません。

子供の頃、
関光男氏が映画音楽を紹介するFMラジオ番組から流れる、
「男と女」「白い恋人たち」「ある愛の詩」等の音楽に、
耳を澄まし聞き入った事を思い出します。

時代の変遷と共に聴衆の好みも変わり、
レイ先生の分かりやすい作風・オーソドックスな作り・
映画音楽として有名に過ぎること等のことから、
ともするとイージーリスニング的な扱いを受けがちですが、
その音楽は決して「イージー」なものではありません。

業績を偲ぶ想いで、久しぶりに「ある愛の詩」を観ました。
この作品で1970年度アカデミー作曲賞を受賞されていますが、
鑑賞し直したところ、音楽の量自体は意外に少ないものでした。

ド音と6度下方ミ音を行き来する「ドミミドドー」という、
あの旋律がアレンジを変えて要所要所に繰り返される手法で、
公開当時、観客の多くが映画館を出る時には、
無意識の内にテーマ曲を口ずさんでいたという伝説も頷けます。

               

ところで「ある愛の詩」の中には、

“Love means never having to say you're sorry”

というセリフが登場し、字幕では、

「愛とは決して後悔しないこと」

と訳され、今も「愛」の定義として引用されたりしますが、
今回、このセリフが発せられる前後のシーンから察するに、
必ずしも「愛とは決して後悔しないこと」・・・とは、
言っていないように感じました。

では何と言っているのか?
お粗末な頭のワタクシめには分かりませんが、
このセリフは映画の中で2度語られているので、
それくらい重要な言葉だということは分かります。

1度めは、主人公オリバーが妻ジェニーに向けて言う
“I'm sorry”に対してジェニーが応じる

“Love means never having to say you're sorry”

2度めは、ジェニーが白血病で若くして世を去った直後、
オリバーの父親が息子に向けて言う
“I'm sorry”に対してオリバーが応じる

“Love means never having to say you're sorry”

同じ言葉であっても、違う状況や異なる文脈の中で語られる時、
それらが同じ意味を持つとはかぎりません。

“Love means never having to say you're sorry”

映画全体を俯瞰して、このセリフから伝わってきたのは、
出会いも別れも、喜びも悲しみも、生きる事も死ぬ事も、
起きる事象の全ては誰のせいでもなく自身が選んでいること。
真実の愛は、偶然と必然とが重なる領域に生起していて、
“sorry”という言葉の必要性そのものが無いということ。

自分で何を書いているのか分からなくなってまいりましたが、
偶然と必然とが重なるということで申せば、不思議なことが。

9日(金)の朝、フランシス・レイ先生の訃報に接し、
映画音楽という星空から又ひとつ恒星が消えたことに、
一抹の寂しさを感じながら迎えた職場での昼休み。
いつものように近くのビル内に置かれた公共のベンチに座り、
日々に持参する簡素な食事に手を伸ばした途端、
天井に設置されながらも普段は使われていないスピーカーから、
美しい音の雨が降り始めました。

フランシス・レイ作曲「白い恋人たち」でありました。



              








歌うということ

2018-10-07 15:57:35 | 音楽関係
「可(か)」という漢字の成り立ちにも諸説あるようで、
「口」上部の横棒と右脇の縦棒は、神聖な樹木の枝を表し、
「口」自体は「サイ」と呼ばれた器の形で、その中には、
神への祈祷文・広い意味での祝詞(のりと)が入っている・・・
とする一説があります。

祝詞が入った器を木の枝で叩いて何らかの拍子を取りながら、
祈りを捧げる行為が「可」ということでありますが、
全身全霊で神々と響き合い結び合おうとする時、
祈り手の口からは自ずと日常会話とは異なるレヴェルの、
特殊な声が発せられたであろう事は想像に難くありません。

その特殊な声および発声のことを、「可」の字を重ねて
「哥(か)」と呼ぶようになり、やがて「欠」の字が添えられ、
「歌(うた)」という漢字が成立したのだそうです。

「欠」の字は、人間が口を開いている姿。
「吹く・飲む・歓ぶ」等の字は、その原義を物語っています。

               

つまり太古の「歌」とは、
あくまでも超越的存在へ向けて、祈り、願い、望み、問いかけ、
そして感謝を捧げるための行為であり、また同時に、
その存在を心の水面に映した祈り手本人・歌い手自身が、
自らを高め、生きる力を授かる手段であったことが察せられます。

畢竟、人類の文明始源期における「歌」とは、
聴衆を想定せず、他者の評価を気にすることなく、
収入を得る事を考えもしない、慎ましく密やかな秘儀。
この密やかな祈りの秘儀が、
「歌」そして「歌う」という行為の原点であるとして、
では「歌」という漢字を構成している「可」には、
どのような想いが込められていたのでしょうか。

「可」は「許可・認可・可能」等の言葉に使われますので、
「可」は「ゆるし」と考えて良いかと思います。

すると「歌」の字において、上下に重ねられた二つの「可」は、
「許し・許される」という、能動・受動の二つの様相を
表しているようにも感じられます。

歌うことで、歌い手が歌い手自身を許し、
歌うことで、歌い手が見えざる世界に許され、
歌うことで、許された歌い手が見えざる世界を許す。

歌う者と歌われる者、願う者と願われる者との境界は、
次第に曖昧になり、やがて二つの相は通じ合い、融け合い、
願いは「許可」されて『「可」なう(= 叶う)』

と、バイアスのかかった解釈になってしまいましたが、
「歌を歌う」ことの根源には、祈りの唱法という意味と同時に、
自身の存在と世界とを許し肯定する、という重要な意味が
含まれていたように思われるのであります。




              









音楽の由来するところは遠し

2018-01-28 14:01:13 | 音楽関係
この一週間、
日本列島は数年に一度とも言われる寒波に見舞われ、
当地におきましても連日の雪でありました。

山茶花も

雪の化粧をほどこされ・・・

               

漢字文化圏において「音楽」という言葉が初めて使われたのは、
今から二千二百年ほど前の中国・秦の始皇帝時代に著わされた
「呂氏春秋(りょししゅんじゅう)」と言われていて、
このように出てまいります。

『音楽の由来するところは遠し。
 度量に於いて生じ、
 太一に於いて基づく。』

「音楽が生まれる源は、
 計り知れない彼方であり、深くて遠いところにある。
 音程・音量・音色といった人間が量ることのできる音楽は、
 音楽のごく一部分であり、本当の音楽の実態は、
 仮に《太一》と名付ける宇宙の理法に基づいている。」
                      
意訳に過ぎる部分は御容赦下さい。
《太一(タイイツ)》は、
東洋思想で説かれた「宇宙の根源 / 宇宙の理法」。
なかなか分かりにくいものではありますが、古代ギリシャの
ピタゴラス学派が唱えた「宇宙のハルモニア(調和)」と同様、
当時の人々は、天文学・数学・政治学なども音楽現象と捉え、
私たち現代人が意味するところの〈音楽〉とは、
異なる音楽観を持っていたことだけは察せられます。

               

『音楽の由来するところは遠し。
 度量に於いて生じ、
 太一に於いて基づく。』

音楽は宇宙開闢から宇宙終焉に至るまで流れ続けているもの。
宇宙も世界も生命も、全ては音楽から生まれ音楽に還るもの。
ありとあらゆる存在は、
森羅万象という音楽を構成する音の一つに過ぎないものの、
その音の一つ一つが、かけがえのない音であり、
替わりがきかない音なのであります。