私 「あなたが総理を辞めさせたいのか?」
記者「そういうことは言っていない。国民が安倍総理にNoを突きつけたことについて総理に問うているだけだ」
私 「それは言い逃れだ。私はあなたが総理を辞めさせたいかどうかを問うている。」
記者「国民がNoを突きつけたのだから、辞任する方が妥当ではないか。」
私 「それはつまり、あなたが総理を辞めさせたいということだ。質問を変えるが、戦後ドイツの首相は8人に対し、日本の首相は28人目で、外交上の信頼を失っているのは、私はマスコミによる誘導の責任だと思うが、その責任をどう思うか?」
記者「マスコミの責任ではない。国民の選択でそういう結果が出たということだろう。」
これは一例ですが、マスコミは自らがやったことを何でも「国民が」と
逃げる傾向があります。「国民が」というのは、「みんな」というのと同義です。
マスコミは「自分の意見として」ということはほとんど言いません。
「責任ある主体」としてのマスコミは「存在しないこと」になっています。
さも「みんなそう言っている」という体を取りたがります。
主語を曖昧にする日本語では、このような主語のぼかしが許されやすい
面があります。誰の意見なのかはっきりしない。
英語で何か意見を言う場合、最初に主語をつけなければならないのが基本です。
“I think …”
“He sais…”
つまり、その意見を「誰が」言ったかが重要な訳で、
それをごまかすのは困難です。
一方日本語ではどうでしょう。
「~らしいよ。」
「~みたいだよ。」
このように述語だけで会話できます。
しかも上のような発言に対し、「誰が言ったの?」と質問すると、
「みんな言ってた。」
「一般論としてね。」
などという答えが多いのも日本人の会話の特徴です。
これが、マスコミでも使われています。
NEWS23の筑紫哲也氏などはよくこう結びますよね。
「~ではないでしょうか。」
「~と言わざるを得ません。」
視聴者としては、その意見が誰の意見なのかを常に考え、
あくまでキャスター、もしくはTBS報道部の個人的な意見であるということを、
強く認識する必要があります。
しかしあの一見紳士的で、年齢を積んだ筑紫氏があのように誰の意見とも
言わずに、さも世の中の「普遍的な真理」であるかのように言えば、
神様か何かの声のように聞こえてしまう危険性が非常に高いのです。
神様の声は個人的な意見ではなく、「必ず正しいもの」という強制力が働きます。
まして他人からの反論を恐れ、自分の意見をなるべく言わないのが美徳とされる
日本人の中で、このように「神様の声」が最初にあれば、それに反論することは
許されない空気が醸造されます。
このようにして日本では、その言語、国民性から、マスコミの影響力が
極端に大きくなりがちで、洗脳される人たちが続出してしまうのです。
日本のマスコミは、自分でやっていることも全て「みんなが」と
主語をごまかすことで自らの存在を隠しながら、日本最高権力を
行使しているのです。
記者「そういうことは言っていない。国民が安倍総理にNoを突きつけたことについて総理に問うているだけだ」
私 「それは言い逃れだ。私はあなたが総理を辞めさせたいかどうかを問うている。」
記者「国民がNoを突きつけたのだから、辞任する方が妥当ではないか。」
私 「それはつまり、あなたが総理を辞めさせたいということだ。質問を変えるが、戦後ドイツの首相は8人に対し、日本の首相は28人目で、外交上の信頼を失っているのは、私はマスコミによる誘導の責任だと思うが、その責任をどう思うか?」
記者「マスコミの責任ではない。国民の選択でそういう結果が出たということだろう。」
これは一例ですが、マスコミは自らがやったことを何でも「国民が」と
逃げる傾向があります。「国民が」というのは、「みんな」というのと同義です。
マスコミは「自分の意見として」ということはほとんど言いません。
「責任ある主体」としてのマスコミは「存在しないこと」になっています。
さも「みんなそう言っている」という体を取りたがります。
主語を曖昧にする日本語では、このような主語のぼかしが許されやすい
面があります。誰の意見なのかはっきりしない。
英語で何か意見を言う場合、最初に主語をつけなければならないのが基本です。
“I think …”
“He sais…”
つまり、その意見を「誰が」言ったかが重要な訳で、
それをごまかすのは困難です。
一方日本語ではどうでしょう。
「~らしいよ。」
「~みたいだよ。」
このように述語だけで会話できます。
しかも上のような発言に対し、「誰が言ったの?」と質問すると、
「みんな言ってた。」
「一般論としてね。」
などという答えが多いのも日本人の会話の特徴です。
これが、マスコミでも使われています。
NEWS23の筑紫哲也氏などはよくこう結びますよね。
「~ではないでしょうか。」
「~と言わざるを得ません。」
視聴者としては、その意見が誰の意見なのかを常に考え、
あくまでキャスター、もしくはTBS報道部の個人的な意見であるということを、
強く認識する必要があります。
しかしあの一見紳士的で、年齢を積んだ筑紫氏があのように誰の意見とも
言わずに、さも世の中の「普遍的な真理」であるかのように言えば、
神様か何かの声のように聞こえてしまう危険性が非常に高いのです。
神様の声は個人的な意見ではなく、「必ず正しいもの」という強制力が働きます。
まして他人からの反論を恐れ、自分の意見をなるべく言わないのが美徳とされる
日本人の中で、このように「神様の声」が最初にあれば、それに反論することは
許されない空気が醸造されます。
このようにして日本では、その言語、国民性から、マスコミの影響力が
極端に大きくなりがちで、洗脳される人たちが続出してしまうのです。
日本のマスコミは、自分でやっていることも全て「みんなが」と
主語をごまかすことで自らの存在を隠しながら、日本最高権力を
行使しているのです。
私も同じく問いつめたくなりましたよ(笑)
農水省のサイトには記者会見の全文が公開されています。先日これをじっくり読んでため息がでました。
この事務所費問題に関して、赤城大臣がどれほど説明してもそれをまともに報道もせずに「説明不足」と責め立てる。記者会見のごく一部のみを流して印象操作をくり返しておきながら、街頭インタビューなどでは期待通りの回答を流し、「国民も怒っています」と結論づける。
今回はさらにご実家への開いた口が塞がらないような取材方法を用いながら、そこで得た言質を振りかざして印象的な報道をくり返していました。
マスコミとはこんなものだという諦めしか持っていませんが、あまりにも酷いことだと思います。
しかしマスコミの退陣せよの大合唱に負けず、総理大臣が続投する気持ちを持っていたことが唯一の救いでしょうか。
長々と失礼しました。
今後も期待しつつ楽しみに記事を読ませていただきます。
常に言及してきています(例:参院選における総裁としての
責任と首相としての責任の違い)。
他言語を勉強された方なら解ると思いますが、日本語という言語は
非常に表現力の豊かな言語です。
文法、表現方法の質量などのレベルは世界トップクラスの
難しさとさえ言われています。
言い換えると、様々な表現を駆使する事によって
聞く側を篭絡する事さえ可能なのです。
だからこそ、日本語をネイティブとする人でさえ
常に勉強し続けなければならないのですが、まさか
そんな事を念頭に生きている人は基本的にいないでしょう(笑)。
それが難しいところでして、せめて我々だけでも
表現の操作によって騙される事のないよう日々の
切磋琢磨を怠らないようにしたいものです。
…あっ、このネタでブログを書けばよかった(笑)。
>農水省のサイトには記者会見の全文が公開されています
これは前の小泉総理の靖国参拝の時も、マスコミによる意図的な編集が
ネットでは話題になりましたよね。
政府としてはせめてもの対抗策として、全文掲載は今後も続けて欲しいです。
マスコミがどこを隠蔽したか、そこから報道の偏向を掴むことができますので。
>マスコミとはこんなものだという諦めしか持っていませんが、
>あまりにも酷いことだと思います。
本当に腹が立ちます。マスコミ独裁政権のようなものですから。
今後もマスコミの偏向と、なぜ日本でそれが起きやすいかを考えていきたいです。
>さらにご実家への開いた口が塞がらないような取材方法
「やりたい放題」の特権を得ていますから、
何でもアリのようですね。
>今後も期待しつつ楽しみに記事を読ませていただきます。
ありがとうございます。ご期待には添えない変な記事も登場すると思いますが(笑)。
このブログは、保守や右系の中では「亜流」を目指していきたいと思います。
>私は、自身のブログで日本語の細かい部分について
>常に言及してきています
ブロガーとして大切なことをされていると思います。
有名なところでは特定アジアを「アジア」と呼ぶことや、
「人権派弁護士」「市民団体」など、色々な「マスコミ定義語」がありますので、
今後も指摘したいですね。
>文法、表現方法の質量などのレベルは世界トップクラス
>言い換えると、様々な表現を駆使する事によって
>聞く側を篭絡する事さえ可能なのです。
漢字、平仮名、カタカナの書き分けは有名ですが、
それ以外にも日本語は微妙な変化が可能ですもんね。
主語を曖昧にしたまま表現できるのも高度さの証明ですが、
それによって洗脳が容易になるというのは皮肉です。
是非とも太一さんにご紹介したいホームページがあります。
それは北島邦彦という革マル派の人間のホームページに載っていた文言が気になったからです。
その文言は「こんにちは。中核派の北島邦彦です。マスコミが我々を「市民団体」と報じるので助かります。」
http://25oclock.blog.shinobi.jp/Entry/126/
これってどう思われますか?
その番組内容を、ぼやきくっくり氏が文章化してくれています。
「アンカー」小沢が創価と接触?&拉致家族の7・29
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid341.html#sequel
ニワトリが先か卵が先か分かりせんが、
日本人は「言語」も「責任の取り方」も主体を曖昧にする傾向がありますよね。
>マスコミが我々を「市民団体」と報じるので助かります
>これってどう思われますか?
「たかが言葉」ではなく、大きな問題だと思います。
中核派が市民団体なら、どんな右翼団体も市民団体でなければいけませんし、
逆に右翼団体という呼称を使うなら、中核派に限らず多くの市民団体と呼んでいるものは「左翼団体」と言わなければならないはずですよね。
それと「助かります」と言っているということは、自分たちは過激派で市民団体だとは思っていないのに、マスコミがわざわざ意図的に市民団体と呼んでいることになり、さらに大きな問題です。
>小沢が創価と接触?
小沢は政治家ではなく政治屋、ハーグ竹島さんは政治業者と呼ばれていました。
そんな男に票を入れた国民は、自らの投票行動の責任を取ることになるでしょう。
>拉致家族の7・29
>自民党の歴史的惨敗が決まった朝、明弘さんの目には涙がありました。
これこそが、今回の選挙でマスコミと国民が犯した行為の正体ですね。
前スレッドで私が言ったことそのままになっていますね。
むらかみ 『
佐藤さんはマスコミは浄化しつつあると、かつて書かれましたが...これが実態です。ますます悪化しつつある。
↓
478 名前: マンセー名無しさん [sage] 投稿日: 2007/08/03(金) 21:33:20 ID:RN1Ovrrp
さっきまで、知り合いのマスコミ人と飲んでた俺が来ましたよ。
A→NHKのディレクターで非報道職。
B→日経新聞社員で非報道職。
安倍の内閣改造を痛罵の挙げ句、辞任すべきだ。首相には
加 藤 鉱 一 が な る べ き
との事w
AもBも、今回の参院選の結果を高笑い。しかしAもBも、都知事選と衆院選の結果の時は、こう言ってた…
国 民 は 馬 鹿 だ
都 民 は 馬 鹿 だ
とw
他にも色々、マスコミ人の一般人と乖離した愚行は枚挙に暇がない。』
もうマスコミは腐りきっています。