歴史好き・キゴウ君のひとりごと

主に日々の暮らしで感じたことなどを歴史的なことを交えてひとりごとりたいと思います。

セブ・マクタン・レイテ島 夢のセレブ旅行 part3

2007-01-18 01:19:17 | Weblog
わたくしどもは来週1月22日から一週間の予定で、セブ・マクタン・レイテ島を旅してきます

以前もひとりがたりましたが、マクタン島は初の世界一周航海で有名なマゼランの亡くなった所として有名ですが、実はマゼランは厳密な意味では世界一周は成し遂げていないのです

マゼラン艦隊はスペイン南部のサンルカル・デ・バラメダ港から出航しましたのでスペインにたどり着けば、完璧に世界一周を成し遂げたことになるのですが、マゼランはフィリピンのマクタン島で戦死しましたので、世界一周は達成できませんでした

しかしマゼランはもう少しで世界一周を達成するところだったのです。
実はマゼランは若い頃に一船員として東回り航路で“香辛料諸島”、現在のマルク(モルッカ)諸島に航海しているのです。
マルク(モルッカ)諸島はマゼランが戦死したマクタン島から南へ約1,000キロのところに位置しています。

では、誰が世界初の世界一周の達成者なのか?
マゼラン艦隊で唯一無事にスペインのサンルカル・デ・バラメダ港にたどり着いたヴィクトリア号の船長であった、ファン・セバスティアン・エルカーノでしょうか?
彼は帰国した際にスペイン国王のカルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)から,地球の図に「Primus circumdedisti me(ラテン語で“我を一周せし最初の者”の意)」という文字を配した紋章を贈られています

しかし本当に初の世界一周をしてしまったのは、マゼランが奴隷として所有していたマライ人の“エンリケ”なのです
この“エンリケ”なる人物はマゼランがかつて東回り航路でマルク(モルッカ)諸島を航海した際に奴隷として購入されたそうです。
この人は言語の才能に恵まれていたみたいでして母国語のマライ語だけではなく、スペイン語とポルトガル語も流暢にしゃべれたそうです

マゼラン一行がマクタン島のすぐお隣のセブ島にたどり着いたとき先遣隊の通訳としてエンリケも先遣隊に派遣されました。
そしてエンリケが現地人と話してみるとなんとエンリケのマライ語が通じたのです
つまりセブ島はエンリケの故郷と同じ言葉をしゃべる同じ文化圏だったのです。
この瞬間にエンリケはマゼランに買われヨーロッパに旅立って以来西回りに故郷のマライ語圏に戻ってきたことになります
と、言うことはエンリケこそ初の世界一周達成者となった言うことです。
結果的にですが初の世界一周した人はわれわれと同じアジア人のエンリケさんでした。
でもエンリケさんのマライ語での本名はなんて言うのでしょうね






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3 コメント

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フィリピンはマレー圏 (腹大黒)
2007-01-18 08:19:04
エンリケはうれしかったでしょうね。マレー語が通じるところまで、帰ってこれて。

いまのセブ語は、スペイン統治の影響で、スペイン語が多く取り入れられ、マレー語とは別物のようですが、ラプラプ酋長、スバスババンなど、人名や地名にマレー語の、重ね言葉が出てきているのかな。

日本語でも、家々、人々、道々など、マレー語の影響があるように思います。多分遠い昔、まだ中国文明が入らないころ、僕の祖先が丸木舟で、南の島から持ち込んだのでしょう。
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興味深いです。 (syn3)
2007-01-18 09:20:25
中国語では、「好好」ハオハオや「来来」ライライのように形容詞や動詞が重なりますね。 

対して、英語は重なる言葉は無い。ドイツ語にも無かった。 韓国語は? 無かったように思うが・・・。

言語学も結構おもしろかも。
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記憶と記録 (歴史好き・キゴウ君)
2007-01-18 21:49:34
面白いことにわくしたちは先祖の記憶はなくしても意識がとどかないところに過去の記録をとどめているのではないかと思います。

フィリピンで過ごすことによって眠っていた記憶が甦ったりして。

しかし、マゼラン艦隊に乗船していたマライ人のエンリケはセブ到着後はどうなってしまったのかな~。

マゼラン戦死後にスペインに生き残って帰ったのはわずか18人だったのですが、其のうち4人がアジア人だったそうです。

エンリケは東南アジアに残ったのか、途中で亡くなったのか、スペインに戻ったのかがわかりません。

ぜひとも知りたいですね~
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