歴史好き・キゴウ君のひとりごと

主に日々の暮らしで感じたことなどを歴史的なことを交えてひとりごとりたいと思います。

レイテで発見!!

2007-01-31 18:36:23 | Weblog
このたびのセブ旅行では、レイテ島にも足をのばしました。
太平洋戦争の激戦地であるこの島はフィリピン・日本・アメリカにとっては暗い過去が在る島です。
しかし、現在は日本の中古車が元気に走っていて嬉しかったです。
この運送会社は、わたくしの地元に本社を置いています。                   

セブから帰ってきました

2007-01-30 16:00:53 | Weblog
                  セブ マクタン島の夜明け

無事にセブから帰ってきました。
残念ながらあちらからのブログ投稿は一回しか出来ませんでした。
今日からセブ旅行の報告をさせていただきますね。
すばらしい画像をお届けしますね。

ついにフィリピンのセブに上陸しました!!

2007-01-24 23:52:01 | Weblog
今日で、セブに滞在2日目です。デジカメでいろいろ撮影したのですが、まだ技術的に添付できないので活字だけで勘弁してください。
今、本当にセブのマクタン島にいるのですよ~。
アセアン・サミットの影響でセブの町はとても綺麗になってますよ。今の時期は日本人の観光客も少なくて本当に異国情緒を楽しめます。
もうしばらく画像の掲載をお待ちください

いよいよ、フィリピンのセブに行ってきます!!

2007-01-22 09:36:00 | Weblog
ついに明日の早朝にセブに旅立ちます
妹君にデジタル・カメラを借りましたのでセブの素晴らしい景色をブログで皆様にお見せしたいと思ってます
セブでパソコンをお借りして、セブからブログを書き送りたいと考えています
でも、どうなるか分からないのでみなさんあまり期待しすぎないでくださいね
明日以降も、「歴史好き・キゴウ君のひとりごと」をよろしくお願いしますね



レイテ戦記 part2

2007-01-20 09:20:41 | Weblog
わたくしどもはレイテ島横断の旅をします
西部のオルモック市から上陸して陸路で東部のタクロバン市・パロ市にまで行きます
オルモック・タクロバン市はどちらも太平洋戦争中は日本軍の拠点でした。
パロ市はマッカーサーが上陸した所です

タクロバン市はマルコス元大統領の奥さんのイメルダ婦人の出身地で有名です

いろいろとレイテ島のことをしらべていますと、レイテ島には旧日本軍の秘密軍資金、いわゆる“山下財宝”のありかであるとの説があるそうですよ

山下財宝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E8%B2%A1%E5%AE%9D
山下奉文
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%A5%89%E6%96%87

レイテ戦記

2007-01-19 08:28:58 | Weblog
わたくしどもは1月23日から1週間の予定でセブ・マクタン・レイテ島を旅をしてきます

セブ・マクタン島はアジアを代表するリゾート地であり、フィリピン経済の中心地でもありますので日本人のみならず多くの外国人が訪れます

しかしレイテ島はフィリピンでもまだ貧しい地域でもありますのでほとんど外国人は訪れません

僅かに日本人がリゾートではない理由で訪れます。
なぜかと言いますとレイテ島と其の周辺海域は太平洋戦争でフィリピン人・日本人・アメリカ人が多数戦死した激戦地だったのです
このレイテ島では8万人以上の日本兵が死んでいるのです。
もちろん多くの現地フィリピン人も戦闘に巻き込まれ死んでいます。
ですから日本兵の遺骨収集団が僅かに訪れるのみです。

それにレイテ島沖では史上最大にして最後の大海戦が戦われました。
レイテ沖海戦には、当時世界最大級の戦艦であった大和・武蔵も参加しています。
しかし武蔵は撃沈されてしまいました
このレイテ島沖海戦で日本海軍は大敗北帰し壊滅、組織的作戦は出来なくなったのです

わたくしはこの旅でフィリピンと世界の歴史の光と影、両方に触れてきたいと思っています



セブ・マクタン・レイテ島 夢のセレブ旅行 part3

2007-01-18 01:19:17 | Weblog
わたくしどもは来週1月22日から一週間の予定で、セブ・マクタン・レイテ島を旅してきます

以前もひとりがたりましたが、マクタン島は初の世界一周航海で有名なマゼランの亡くなった所として有名ですが、実はマゼランは厳密な意味では世界一周は成し遂げていないのです

マゼラン艦隊はスペイン南部のサンルカル・デ・バラメダ港から出航しましたのでスペインにたどり着けば、完璧に世界一周を成し遂げたことになるのですが、マゼランはフィリピンのマクタン島で戦死しましたので、世界一周は達成できませんでした

しかしマゼランはもう少しで世界一周を達成するところだったのです。
実はマゼランは若い頃に一船員として東回り航路で“香辛料諸島”、現在のマルク(モルッカ)諸島に航海しているのです。
マルク(モルッカ)諸島はマゼランが戦死したマクタン島から南へ約1,000キロのところに位置しています。

では、誰が世界初の世界一周の達成者なのか?
マゼラン艦隊で唯一無事にスペインのサンルカル・デ・バラメダ港にたどり着いたヴィクトリア号の船長であった、ファン・セバスティアン・エルカーノでしょうか?
彼は帰国した際にスペイン国王のカルロス1世(神聖ローマ皇帝としてはカール5世)から,地球の図に「Primus circumdedisti me(ラテン語で“我を一周せし最初の者”の意)」という文字を配した紋章を贈られています

しかし本当に初の世界一周をしてしまったのは、マゼランが奴隷として所有していたマライ人の“エンリケ”なのです
この“エンリケ”なる人物はマゼランがかつて東回り航路でマルク(モルッカ)諸島を航海した際に奴隷として購入されたそうです。
この人は言語の才能に恵まれていたみたいでして母国語のマライ語だけではなく、スペイン語とポルトガル語も流暢にしゃべれたそうです

マゼラン一行がマクタン島のすぐお隣のセブ島にたどり着いたとき先遣隊の通訳としてエンリケも先遣隊に派遣されました。
そしてエンリケが現地人と話してみるとなんとエンリケのマライ語が通じたのです
つまりセブ島はエンリケの故郷と同じ言葉をしゃべる同じ文化圏だったのです。
この瞬間にエンリケはマゼランに買われヨーロッパに旅立って以来西回りに故郷のマライ語圏に戻ってきたことになります
と、言うことはエンリケこそ初の世界一周達成者となった言うことです。
結果的にですが初の世界一周した人はわれわれと同じアジア人のエンリケさんでした。
でもエンリケさんのマライ語での本名はなんて言うのでしょうね






セブ・マクタン・レイテ島 夢のセレブ旅行 part2

2007-01-16 17:58:45 | Weblog
安倍総理は昨晩、セブから帰国しましたが、わたくしたちは来週セブに旅立ちます
セブ旅行ではいろいろ見てみたいのですが、とりあえずまず最初に 南十字星がぜひとも見たいですね
南十字星を見上げながらセブ特産のラム酒でもいただきましょうかね~

わたくしが子どもの頃にハレー彗星がやってきました。
それにボイジャー2号が天王星・海王星に接近したりしていました。
それ以来星座がとても好きになりました
遥か昔の人々が眺め、そして星座として表現したものを現在のわたくしたちも見ていると思うとなんともロマンをかき立てられます。

南十字星は北緯20度くらいらですと十分に見えるそうですので北緯10度あたりに位置するセブからですとよく見えるはずです。
きっとマゼラン一行も星座を観測しながら旅をしたことでしょう。
それとマゼランが南アメリカを通過する際に発見したマゼラン星雲もみたいですね。
しかし、北半球のセブからマゼラン星雲が見えるのか調べてみないとわからないのですが。
わかる方がいらっしゃいましたら教えてください

では簡単にわたくしどもの旅行計画を披露しましょう。

予定表:いつもすてきなコメントを寄せてくださる腹大黒さんとsyn3に作成し ていただいたものを一部改訂させて掲載させていただきます。
1月/
22日(月) 腹大黒邸で前夜祭(飲んだくれるつもりです)。

23日(火) 関空発 9:55
        17~19時ごろセブ到着 ホテル到着後、移動して、ハッサンのレストランでJoさんとの夕食。

24日(水) 朝食後 ガイサノマートorSMマート(スーパーマート)で必要品(ビーチサンダル、T-シャツ、半ズボンなど)の買い物。
      何でもあって、日本から持ち込む必要なモノは無いそうです。
      換金。SMでは飲茶料理が楽しむ。。これが安くてうまいそうです。
      昼食後Jo亭に移動。プールで楽しんだ後、セブ見物へ。
      要塞見物の後、セブを一望できるトップへ。
      夕食はMr.Aでオリオン、南十字星を見ながら優雅に楽しむ。

25日(木) レイテ組(syn3・キゴウ)は早朝セブ港へ。残留組はセブ・マリン・リゾート、Jo亭でゆったり。レイテ組は深夜帰宅。
       レイテ島では、 マッカーサーにチョークスリパー作戦、syn3がね・・・ 
       もう戦争は終わったはずですがね・・・

       Cebu 6時出発 Cebu-Ormoc 船 2.5時間で 8時半 Leyte Ormoc 上陸9時にバスに乗車 10時半 Tacloban 着 帰りのバスを確認してマッカーサー探索。Ormoc発19:55に間に合う一便前に乗るとして17時半発で撤収。 18:30 Ormoc着。19:55 Ormoc-Cebu 22:30着。 現地滞在時間8時間です。





26日(金) 昼食はハッサンのレストラン。
        ここで翌日の船の予約、スキンダイビングの機材を手配します。マクタンの名所も回ります。
        (船は1日借り切っても2000~3000ペソぐらい、ホテルの価格はボッタクリ、ゴーグル、シュノーケルは間違いなく借りられるそうです)
       夕食はゴールデンカウリかライトハウス、セブの素朴な味を楽しむ。

27日(土) アイランド・ホッピング (島巡り)

       ハッサンの船着場から出て、船を借り切り、島巡り、スキンダイビングをします。
       シュノーケル、フィンは手配できると思います。たしかハッサンのダイブショップで借りられるはず。 

28日(日) 予備日。ガンシューティング、買い物、シュノーケリングなど、各人、自由に行動。

29日(月) セブ出発

このような予定で セブ・マクタン・レイテ島 夢のセレブ旅行を楽しんできますね



北欧物語 part3

2007-01-16 16:15:17 | Weblog
北欧の国々は現在はどれも比較的に小さいのであまり目立ちませんが、過去においてはヨーロッパにとどまらず、ロシア・北アメリカ・北アフリカ・トルコ・中東にまで進出していた時代がありました
俗に言うヴァイキングの時代です
ここでひとりがたる人々はノルウェー・スウェーデン・デンマークに住んでいた人々です。
アイスランドはヴァイキングの時代にノルウェーから移民してきた人々の子孫の国で、デンマークからの正式な独立は第二次世界大戦後ですのでノルウェーやデンマークの歴史と共にひとりがたりますね。
フィンランドは他の北欧の国々の北方ゲルマン系のノルマン人ではなくてフィノ・ウゴル族といって流れがすこし違いますので別個にひとりがたらせていただきます。

ノルマンとは、英語で言いますと NORTH MAN です。
ヨーロッパ大陸の人々からしてみると「北の人」ですからノルマン人と呼ばれていました。

9世紀ごろから約200年間ほど、北欧に住んでいたノルマン人たちがヨーロッパ各地に食料や土地をもとめて盛んに侵入していきました
当時のノルマン人は船に乗って攻めてきたので“vikings(ヴァイキング)”と呼ばれました。“vik”(入り江)の人という意味です。
なぜこの時期にヴァイキングの活動が盛んになったのかは諸説あります。
一つは北欧で人口増加がすすみ人があふれ出てしまった。
他にはヨーロッパでフランク王国が分裂して付け入る隙があったなどです。

ヴァイキングの人々は主に本国で得られない食料や物資を略奪していたのですが、一部の人々はそのまま攻め込んだ土地に住み着いてしまいました。

代表的なところですと現在のフランス・ノルマンディー地方があります。
当時 フランス王国はデンマークに住むノルマン人の一派であるデーン人の侵略に頭を悩ませていました。
そこでフランスの王様は「わしの家来になっておとなしくしてくれるのならフランス北西部の土地を分け与えてやってもよいぞよ~」とものすごい妥協策に打ってでました。

デーン人の酋長は,ロロと言う名でした
ロロは「マジですか。ラッキー。住み着いてしまえばこちらのモノだ。」と喜んでフランス王の提案をうけいれフランス王の家来になって現在のノルマンディー地方に住み着きました。
おかげでデーン人の略奪行為は止まりました。
でもデーン人たちはフランス王の家臣・臣民であるという意識はなかったみたいです。
そしてそのうちとんでもないことが起こりました。
なんとロロの子孫であるノルマンディー公ウィリアムがイギリスに攻め込んで、イギリスの国王になってしまったのです
ウィリアムはフランスではフランス国王の家臣であるノルマンディー公であるのに同時にイギリスの国王になってしまいました。
このことをきっかけにフランスとイギリスが争うようになってしまいました。

ヴァイキングたちは他にもいろいろと進出していきます





セブ・マクタン・レイテ島 夢のセレブ旅行

2007-01-15 09:11:08 | Weblog
今日 1月15日は、セブで日本の安倍総理も参加して東アジアサミットが開かれます
ちなみにサミットの会場はセブ島のお隣のマクタン島の北部のシャングリラ・ホテルだそうです
安倍さんは、どうやら近くのヒルトン・ホテルに宿泊しているみたいです。

実は、わたくし「歴史好き・キゴウ君」は来週に1週間の予定でセブ・マクタン・レイテ島に旅行に行ってきます
セブ島に隣接してあるマクタン島はヨーロッパから西周りのアジア航路を開拓しようとした大航海者のマゼランが戦死した場所なのです
わたくしは数年前に東周りのアジア航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマが亡くなった、インドのカリカットでガマさんのお墓参りをしてきました。
これで世界史上最も有名な二人の航海者の亡くなったところに行くことになります
セブ島とマクタン島はかってスペインのフィリピンの植民地支配の拠点でありましたので、ヨーロッパ風の町並みを残す古都でもあり、アジアを代表する高級リゾート地でもあります
其の上、近年は外国資本を盛んに導入して、フィリピンの経済の中心地に成長した近代的な大都市でもあります。
IT分野の育成を盛んに行っているそうです

レイテ島は太平洋戦争で日本軍とアメリカ軍が大激戦をおこなった激戦地で多くのフィリピン人の方や日本人、アメリカ人が亡くなった悲劇の島でもあります
これからフィリピンの歴史もひとりがったていこうと思います。