マゼランは西回りでのモルッカ諸島への航路の開拓の志半ばで、フィリピンのマクタン島で戦死してしまいます。
しかし、教科書ではここまでしか教えてくれませんよね。
もうすこし詳しくマゼランの戦死の様子を知りたくありませんか?
実はマゼランの最後の様子を描いた壁画と説明文がマクタン島の「マゼラン記念碑」の傍にあるのでそれを簡単にお伝えしますね。
マゼランはセブ島とマクタン島を発見した後、地元民の部族対立を利用しつつ島民のキリスト教への改宗とスペインへの協力を進めていました。
しかし、イスラム教徒でもあったマクタン島の大酋長ラプラプはキリスト教への改宗とスペインへの協力を拒否しました。
そこでマゼランは自慢の軍艦と艦砲をつかって抵抗するラプラプを攻めました。
しかしマクタン島の周りは遠浅の海が広がっていたので、この海域に不慣れなマゼラン艦隊は自慢の軍艦を座礁させてしまいました。
おかげで艦砲を有効に使うことが出来ずにマゼラン軍は敗北。
おまけにマゼラン自身も負傷してしまいその傷がもとで死んでしまいました。
上の画像はマゼラン軍とラプラプ軍が戦った「浅瀬の戦い」の絵です。
あの客引きの兄ちゃんも、遊覧船の水夫の兄ちゃんも、精悍な豹のような体つき。
あんなのに浅瀬で襲われたら、そりゃたまらんわなー。