#パーティーで女の子に話しかけるには
『パーティーで女の子に話しかけるには(原題:HOW TO TALK TO GIRLS AT PARTIES)』を観てきた。
世界で最高に“Geek”な愛。
48時間で人と異星人は恋に落ちることができるだろうか?
そこにPunkなる暴走した音楽があったとして、それが触媒になれるだろうか?
人はどこまで異質なものに魂を、快楽を、与え、享受できるのだろう?
舞台となっているイギリスにも日本と同じように冷遇を受けている世代がいるらしい。それは1980~90年代。ジェネレーションYと呼ばれる世代。親が子供にツケを回し続けていた時代。物語の時間は1977年。ジェネレーションYにかかる少しだけ前の世代。
日本でも同時期の世代は“我慢の世代”と呼ばれ、それまでは自由な働き方と持て囃されたフリーターがあっという間に地に落ち、改正なのか改悪なのかわからない法律がバンバン作られ本来なら高給なプロジェクト要員として用いる言葉であったものを、お手軽インスタントな派遣社員という地位に作り変えた。ロストジェネレーションになるのかな?バブルの崩壊を招いた経済のツケをこの世代が請け負うことになった。
ちなみに“我慢の世代”は別名“キレる世代”とも言われる。神戸児童連続殺傷事件は僕と同世代の1980年代前半生まれだ。今の30代には気を付けたほうがいい。
Punkという音楽分野については何も知らないけれど、爆発した感情の奔流といったところか。
「セックスとママがいれば他に何がいる?」
正直、エンはこの程度のPunkだ。ボディシーアは違う。本当に何もかもがPunkの世界にいて、総てを賭けておおかたが失敗に終わった人だ。それは彼女の若いころは総てを賭けるに値する世界であったという背景もあるだろうけど。だから、若者が発する一瞬の光に飛びついてしまう。飛びつかざるを得ないのだ。
流れ星のようなPunkでGeekな48時間は、奇跡の訪れとともに終わりを告げる。
エンはザンをパーティーに誘った。
この星での生活というパーティーに。
でも、エンはまだ子供で、何もわかっていなくて、でも、間違いなく覚悟だけはあって、護りたい人がいて、その人を愛していて。
だから、ザンはそれをやさしく断った。
パーティーが始まる前の別れ。
それから20年後。
エンは、おそらく、ザンに出会っていなければ凡庸な人生を過ごしていたはずだ。どこかでライン工でもやっているかもしれない。
でも、エンはザンに出会った。
僕は僕で、彼女は彼女だ。
それを知ったエンはもう凡庸にはなれない。
だから最高にPunkになれた。
そして、パーティーはまた始まろうとしている。
星があり、人がいて、そして忘れられない誰かがいる限りパーティーはいつでも始まるのだ。
昔、ザンが告げた言葉を、今度はその子供たちが告げる。
「Punkを見たいわ」
『パーティーで女の子に話しかけるには(原題:HOW TO TALK TO GIRLS AT PARTIES)』を観てきた。
世界で最高に“Geek”な愛。
48時間で人と異星人は恋に落ちることができるだろうか?
そこにPunkなる暴走した音楽があったとして、それが触媒になれるだろうか?
人はどこまで異質なものに魂を、快楽を、与え、享受できるのだろう?
舞台となっているイギリスにも日本と同じように冷遇を受けている世代がいるらしい。それは1980~90年代。ジェネレーションYと呼ばれる世代。親が子供にツケを回し続けていた時代。物語の時間は1977年。ジェネレーションYにかかる少しだけ前の世代。
日本でも同時期の世代は“我慢の世代”と呼ばれ、それまでは自由な働き方と持て囃されたフリーターがあっという間に地に落ち、改正なのか改悪なのかわからない法律がバンバン作られ本来なら高給なプロジェクト要員として用いる言葉であったものを、お手軽インスタントな派遣社員という地位に作り変えた。ロストジェネレーションになるのかな?バブルの崩壊を招いた経済のツケをこの世代が請け負うことになった。
ちなみに“我慢の世代”は別名“キレる世代”とも言われる。神戸児童連続殺傷事件は僕と同世代の1980年代前半生まれだ。今の30代には気を付けたほうがいい。
Punkという音楽分野については何も知らないけれど、爆発した感情の奔流といったところか。
「セックスとママがいれば他に何がいる?」
正直、エンはこの程度のPunkだ。ボディシーアは違う。本当に何もかもがPunkの世界にいて、総てを賭けておおかたが失敗に終わった人だ。それは彼女の若いころは総てを賭けるに値する世界であったという背景もあるだろうけど。だから、若者が発する一瞬の光に飛びついてしまう。飛びつかざるを得ないのだ。
流れ星のようなPunkでGeekな48時間は、奇跡の訪れとともに終わりを告げる。
エンはザンをパーティーに誘った。
この星での生活というパーティーに。
でも、エンはまだ子供で、何もわかっていなくて、でも、間違いなく覚悟だけはあって、護りたい人がいて、その人を愛していて。
だから、ザンはそれをやさしく断った。
パーティーが始まる前の別れ。
それから20年後。
エンは、おそらく、ザンに出会っていなければ凡庸な人生を過ごしていたはずだ。どこかでライン工でもやっているかもしれない。
でも、エンはザンに出会った。
僕は僕で、彼女は彼女だ。
それを知ったエンはもう凡庸にはなれない。
だから最高にPunkになれた。
そして、パーティーはまた始まろうとしている。
星があり、人がいて、そして忘れられない誰かがいる限りパーティーはいつでも始まるのだ。
昔、ザンが告げた言葉を、今度はその子供たちが告げる。
「Punkを見たいわ」