くすり屋さんの独り言in北京

ヤクザ・イシ(石原 洋一)のブログです。環境・自然に興味あり。最近、中国の環境問題にシフトしました。

今日、2週間目には2名の方が帰国します。

2010年08月14日 08時03分35秒 | Weblog

「ウィキペデイア」より抜粋!!

興味のある方はご自分で勉強してください。

まず写真は二外のヒアリングの授業の風景です。下記の盧溝橋とは関係ありません。第一回目の授業では内容が教科書の最後の書いてある事を知らず全くチンプンカンプンでした。2回目から、それが分かり一応ヘッドフォーンから流れる会話は分かるようになったのですが先生の説明が中国語オンリーなので苦労しています。

 

日本側研究者の見解は、「中国側第二十九軍の偶発的射撃」ということで、概ねの一致を見ている[51][52]。中国側研究者は「日本軍の陰謀」説を、また、日本側研究者の一部には「中国共産党の陰謀」説を唱える論者も存在するが、いずれも大勢とはなっていない。

「中国共産党陰謀説」の有力な根拠としてあげられているのは、葛西純一が、中国共産党の兵士向けパンフレットに盧溝橋事件が劉少奇の指示で行われたと書いてあるのを見た、と証言していることであるが、葛西が現物を示していないことから、事実として確定しているとはいえないとの見方が大勢である[53]。当時紅軍の北方機関長として北京に居た劉少奇が、青年共産党員や精華大学の学生らをけしかけ、宋哲元の部下の第二十九軍下級幹部を煽動して日本軍へ発砲させたもので、昭和29年、中共が自ら発表した[54]

一方でサーチナ(2009年5月15日付)によると、広東省の地元紙・羊城晩報に掲載された論説で「中国共産党陰謀説」を「荒唐無稽な説」としながらも、「劉少奇が盧溝橋事件を起こした」「劉少奇が盧溝橋で、日本軍と戦った」との記述が、共産党支配区域で配られた「戦士政治読本」と言うパンフレットに確かに書かれているとし、その理由としては「われわれ中国人の伝統的ないい加減さ」により書かれたものであると論じていることが伝えられた[55]

 

当時、北平大使館付武官輔佐官であった今井武夫少佐は

「最初の射撃は中国兵による偶発的なものか、計画的なもの、あるいは陰謀、この陰謀は日本軍による謀略、または中共あるいは先鋭な抗日分子による謀略だとなす説がある。これについて色々調査したが、その放火者が何者であるかは今もって判定できぬ謎である。ただし私の調査結果では絶対に日本軍がやったとは思わない。単純な偶発とする見方〔恐怖心にかられた中国兵の過失に基づく発砲騒ぎ〕は、いかにもありそうな状況であり、あり得ることであった。また抗日意識に燃えた中国兵の日本軍に対する反感が昂じ、発作的に発砲したのが他の同輩を誘発したとしても有り得ないことではない。しかし事件前後の種々の出来事を照合してみると、右の原因だけでは依然解釈のつかない問題も残り、陰謀説を否定し去ることはできない。肝心なことは、最初の射撃以後、何故連鎖的に事件が拡大されていったかという政治的背景の究明である」

と述べている[56]

また、中国共産党北方局による抗日工作が第二九軍内に浸透したため、軍内の過激分子によって事件が引き起こされたとなす説がある。これは状況証拠すなわち前後の事情からして、ありそうなことである。また戦後に中共軍政治部発行の初級革命教科書のなかに「蘆溝橋事件は中共北方局の工作である」と記述した資料があるとのことであり、中共による謀略の疑いも大きい[57]

なお「北平特務機関日誌」の七月十六日の記事に「北支事変ノ発端ニ就テ」の情報に関して、次のように述べている部分もある。

「北支事変ノ発端ニ就キ冀察要人ノ談左ノ如シ事変ノ主役ハ平津駐在藍衣社第四総隊ニシテ該隊ハ軍事部長李杏村、社会部長齋如山、教育部長馬衡、新聞部長式舎吾ノ組織下ニ更ニ西安事変当時西安ニアリシ第六総隊ノ一部ヲ参加セシメ常ニ日本軍ノ最頻繁ニ演習スル蘆溝橋ヲ中心ニ巧ミニ日本軍ト第二十九軍トヲ衝突セシメムト画策シアルモノニシテ第三十七師ハ全ク此ノ術中ニ陥入レルモノナリト 尚北寧鉄路ニハ戴某ナルモノ潜入シエ作中ト謂ハル」[58]


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