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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

テレビ「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生リニューアル~」を観て

2012-12-19 17:29:48 | テレビ
以前も書いたが、今季唯一楽しみにしているドラマが、生田斗真主演の「遅咲きのヒマワリ……」だ。
昨晩もこのドラマを見ていた。
あそこで描かれている風景は、僕の心の奥底をくすぐる。
四万十市(旧中村市)が僕の出自であることは以前も書いたが、
あの山間の荒れた果てた田んぼや生田斗真と真木ようこが語り合っていた海辺、何よりあの四万十川を渡る橋は、子供だった自分を思い出させるのだ。

実はこれまで自分の子供時代のことなど考えることなどほとんどなかった。
事実、あまり子供の頃の記憶がない。
何をして遊んでいたのか、何が好きだったのか、何になりたかったのか……。
旧中村市の山間田舎の家の庭先で水遊びに興じている写真があった。それは実に楽しそうに笑っている。おそらく3~4歳くらいのものだと思う。その記憶などは当然ない。記録として残っているだけ。
記憶にあるのは小学校3年生の夏休みを旧中村市で過ごしたことだ。その時の記憶とドラマで描かれている舞台の雰囲気はほとんど変わっていない。
もちろん、道はきれいに舗装されているし、街もそれなりにきれいになっている。多分、当時は国仲涼子がパートをしているようなスーパーなどはなかったと思う。
でも、心象風景としては全く変わっていないのだ。

以前に高校2年生の時に、友人たちを連れて旧中村市の実家で過ごしたことを書いたが、その時に見た記憶とも変わっていないのだ。
その記憶ははっきりとしている。
あの時、おそらく僕らは、生田斗真と真木ようこが語り合っていた海辺で遊んだはずだ。記憶にある海辺の風景と全く変わっていなかった。

あのドラマに描かれているのは、田舎の街に住むことを余儀なくされた、というか選ばざるを得なかった(もしくは自ら選んだ)人たちの、どこか行き詰まった生活感だ。そこでもがく、もう若いとは言えない中途半端な年代の男女のやりきれなさ。
そこに留まることの何とも言いようのない辛さを感じつつも、そこから足を踏み出すような勇気を持たない、そして踏み出すにはもう遅いと感じてしまう、30代というそんな中途半端な年代の焦燥感と喪失感をともなった心情がきちんと描かれていると思う。

事実、数年前にお墓を移すために四万十市を訪れた時に、街にはそのような空気感が漂っていた。
それだけに、決して新しくも、奇抜さもない、ある意味で陳腐とも言えるシナリオでも僕の心の奥底に響いてくるのだ。
そこに住んだこともないし、住んでみようと思ったこともないのだけれど、でも気持ちは分かってしまうのだ。なぜか……。

話は変わるが、あのドラマで俳優たち、特に桐谷健太の話す土佐弁は本当に上手い。方言指導の人がきちんとしているのだろう。
だから、余計に僕はそこに懐かしさを含めた様々な感情を持って観ることが出来るのだと思う。
某国営放送の朝のドラマとは大違いだ。
それだけ、方言というもの、言葉の響きは大切なのだ。
特に方言を知っている人にとっては。

そんなドラマも来週最終回を迎えるという。
まあ、エンディングはテレビドラマによくあるパターンのいくつかの中のひとつに当てはまるようなものであろうことは想像出来るのだけれど、
それでも楽しみに来週の火曜日待っている。

カデナにて

2012-12-17 19:33:18 | 日記
沖縄に住むこと、計3年半。沖縄に来ること数知れず。
しかし、その場所を訪れたのは初めてだった。
たまたま名護市に用事があって、車に乗った。とはいえ、時間が決まっている用事でもなく、それほど急ぎの用事でもなかったので、58号線を北上していくことにした。

僕はあまり那覇市を出ることがないのだが、それでも北谷町あたりまでは時折行く事はあった。それより北となると、ドライブ気分になってくる。つまり、北谷より北にはほとんど用事がないのだ。

自宅のある那覇市から北谷町へ行くまでの間に、浦添市にあるキャンプ・ギンザーのフェンス沿いを走り、それを超えるといつもニュースの的になる(というかこの基地に関することしか報道されない)普天間基地を越えていく。ちなみに普天間基地には2700メートルの滑走路があり、基地全体の面積は宜野湾市の約25%だと言われている。
この普天間基地の越えるとようやく北谷町に入るのだが、実際に58号線を走っていると、普天間基地が右手に見えたら北谷町に入った気分になる。つまり、そこから先は風景ががらりと変わるからだ。
英語と日本語が入り混じった看板、中古車に貼られたドル建ての価格表示、グアムやサイパンなどで見かけるようなTATOOの店など。
そんな普天間基地のフェンス沿いを越えるとすぐにキャンプ瑞慶覧やキャンプ桑江といった北谷町にある基地のそばを道は走る。実際のところ、基地の切れ目とかはよく分からない。県道などが走っていると、そこで基地が終わるのだなと思うだけだ。

で、その先に北谷町、沖縄市、嘉手納町にまたがる広大な基地カデナが登場する。これまで幾度と無く嘉手納町を通る度に、フェンスとフェンスに挟まれた58号線を走ったものだ。とにかく、いけどもいけどもフェンスというイメージ。なにしろ、日本全国の空港の中で最も大きな空港が嘉手納基地だというのだから。この通りを走っていると、3車線という道の広さのせいか、または中央分離帯に植えられた椰子の木の南国的な雰囲気に浸ってしまうせいか、フェンスが長く続いているということを感じさせない。しかも嘉手納ロータリーでフェンスから離れていく。58号線を走っているだけでは、嘉手納基地が羽田空港や成田空港といった日本の国際空港よりははるかに広いという感じが決して実感することはないのだ。
その光景に特に違和感も感じることなく、それどころか異国情緒というか、これが沖縄なんだなと感じてしまう僕がいたのも事実だった。以前は。

今日は時間に余裕のあったので、58号線を走りながら、ふと「かでなの道の駅」に立ち寄ってみようと思った。特に意味はなかった。単に看板が見えたから。そして、まだ行ったことがなかったから。
「かでなの道の駅」の展望台から嘉手納基地が見えるということは、もちろん知っていた。

道の駅に着いた僕は車を降りて、すぐにそのまま展望台へのエレベーターに乗った。意外と人が多いことに驚いたのがだ、その半分はおそらく中国人だったと思う。中国語らしき言葉があちこちから聞こえてきたから。
中国人はこの光景をどのような気持ちで見ているのだろうか? と思っていたところ、日本語が聞こえてきた。多分ツアーの観光客だ。

「オスプレイは見れないの?」(おばさん)
「オスプレイは嘉手納基地には配備されていないんですよ」(添乗員)
「飛行機は飛ばないんだね」(別のおばさん)
「私が前来たときは、戦闘機が飛んでいたのを見たわよ」(自慢気にしゃべる別のおばさん)

実は、これが現実なのだ。
そう人にとっては、自身に害の及ばぬ悲劇は見世物なのだ。
沖縄の人がいくら騒音に苦しんでいることを叫ぼうがとか、オスプレイの危険性を叫ぼうが、観光で来たおばちゃんたちは、騒音を聞いてみたいし、オスプレイだって見てみたいのだ。
高いお金(といってもオフシーズンだから随分安い料金でお得なツアーだと思うが)を払ったからには、おばちゃんたちの本音は、戦闘機や軍用機の発着陸を見たいし、危険だと騒がれ散々テレビのニュースで見たオスプレイを見たいのだ。

もし、僕が沖縄に住んでいるわけでもなく、特別な思いもなく、一観光客として嘉手納に来たら、もしかしたらそう思ったかもしれない。口では反対といいながら、でもせっかくだから見てみたいと。そんな貧乏根性を出していたかもしれない。それはわからない。だから、あのおばちゃんたちを避難する気は毛頭ない。

いくら沖縄の人たちが声をあげようとも、それが中央政界に届かないのは当たり前のことで、中央政界の人たちの票を持っているのはそれらのおばちゃんたちなのだから。
票を入れてくれる限りは、余計なことをするはずがない。

でもだ。それでいいのか? でも、一体何ができて、そもそも何が必要なのか? どうしたらわかってもらえるのか?
そう、どの地方も抱える問題と同じ構造なのだ。そして、それはおそらく当分変わることはないだろう。
あの震災を経ても、何も変わらないのだから。

名護で用事を済ませ、そのついでに本部まで行って少し気分を変えてから、同じ道を那覇へと帰っていった。

自戒を込めて……。

「エヴァンゲリオン新劇場版Q」、その後……

2012-12-15 06:42:22 | 音楽
「エヴァンゲリオン新劇場版Q」を観てからすでに結構な日数が経っている。東京で観たあとに、沖縄でも再度観た。
それはおそらく、一度目には自分で消化し切れなかったかったから。
未だに、あの映画は僕のココロの一部を占めている。
特別に衝撃的な内容ではなかった。想定外ではあったけれど、でもそれがひどくココロに突き刺さるというものではなかった。
でもだ。ココロのどこかに、魚の小骨のように引っかかている。
庵野秀明の術中にハマッてしまった感がある。
それと、この映画を観た時の僕の心境がピタリとハマった(エヴァ風に言えばシンクロしてしまった)のかもしれない。
それは個人的な心情と、現代社会への不安感と。

いくども書くが、庵野秀明は現代を切り取る術が見事だ。そかも、その切り取る部分は世界のほんの一部、ほんの一瞬だけ。
もし、今がこのような時代でなければ、おそらく「エヴァンゲリオン新劇場版Q」はあのような内容になっていなかったであろう。

どうにかしなければいけないという人々のココロ、気持ちが民主党政権を誕生させた。
しかし、よかれと思ったことが、絶望的な状況を生み出してしまった。
でも、それをしでかしてしまったという意識は本人たちには全くない。
それは、まさに今の日本の状況を象徴しているのではないだろうか?

そして今回の選挙が招くものは……。
「エヴァンゲリオン新劇場版Q」のラストシーンのようにならければいいのだが……。
いや、今のメディアの方法を観る限り、あのラストシーンの方がまだ希望を持つことが出来る。

今、宇多田ヒカルの「桜流し」がココロに突き刺さってくる。

エヴァンゲリオン新劇場版Q

2012-12-12 23:54:07 | 映画
庵野秀明は現在を切り取る名監督。というよりも職人のような監督であるような気がするのは僕だけだろうか?
村上龍の「ラブポップ」を映画化した時も、彼ならではの現在のほんの一部、いや一瞬を切り取り、それがすべてを象徴するかのように感じさせた。庵野秀明は、ある一部分だけを深く描くことによって、観るものに時代そのものを想像をさせようとしているのではないかと思うのだ。
それは、正しい映画のあり方だ。以前、黒沢清が「映画の本質はホラーにある」というようなことを言っていたが、「エヴァンゲリオン新劇場版Q」はホラーではないけれども、映画の本質を突いた作品だったと思う。

昔の名監督と言われた人たちは、「見せないことによって見せる」という手法をとった。それは予算もなくフィルムを無駄に出来ないという制限の中から生まれた手法なのだが、でもそれが名作を生んだのだった。

音声のなかった時代、映画は動きだけですべての物語を伝えた。
映画が言葉を持った時代に入ってからは、言葉が費やす時間(つまりフィルムを使う分)その他の部分を省略せざるを得なかったのだと思う。しかし、それが、映画の本質である省略によって観客に想像を促すという、数々の名作を生んだのだ。ジャン・ルノワールしかり、ジャン・コクトーしかり、ロベルト・ロッセリーニしかりだ。もちろんアメリカも素晴らしい監督たちを生んだ。スタージェスやオーソン・ウェルズなど。

どの映画だったのか記憶にないが、ある男女が朝食に半熟のゆで卵を食べるシーンがあった。日本人にはこれが何を意味しているのかは当時も今もわからないと思うのだが、これはその前の晩に二人に何かがあったことを意味していたのだという。それはアメリカ人にとっての共通認識だった。一昔前の日本で言えばモーニングコーヒーということになるのだろうか。
そのような世間の共通認識を通して、描くことなく映画を描いたのだった。

黒沢清の言葉に戻ろう。
「映画の本質はホラーにある」
ホラー映画がなぜ怖いのか、それは怖いものの実態を見せないからだ。
例えば、遠くで響く物音などがその代表的な例だという。
つまり、見せない、描かないことによって、観客の想像力を喚起させるものこそが映画で、そのような映画こそが素晴らしいとされる映画なのだと。

国内外の名作と言われる映画にはどこかにそのような要素が入っているはずだ。北野武が海外で評価されるのは、そのことをきちんと踏まえた上で映画を作っているからだ。しかも、それが非常に上手いし、構図も素晴らしい。

話がだいぶ逸れたが、「エヴァンゲリオン新劇場版Q」は、この描かないということを大胆にやってのけた。
しかも、次への期待をさらに膨らませる形で。

この映画を観る時に当ってピッタリの言葉がある。
それは、あのブルース・リーの言葉。
「Don’t think,Feel!」


賛否両論あるようだが、時代のある瞬間を切り取る名人庵野秀明のエヴァンゲリオンは時代ともに進化し、時代にシンクロしていっているように思えた。だからこそ、テレビ版とも違うし、いわゆる旧劇とも違う。
まさに今という時代を見事なまでに描いていると思う。



沖縄との邂逅

2012-12-12 15:48:11 | 旅行
話はいきなり沖縄とは何の関係もないところから始まります。

滅多に日本のドラマは見ない僕が、今必ず見ているドラマがある。
それは「遅咲きのヒマワリ~ボクの人生、リニューアル~」という、生田斗真主演のドラマだ。NHKの朝ドラではない。なぜ、このドラマが沖縄と関係あるのかは後ほど。

僕がこのドラマを見る理由はただひとつ。舞台が高知県四万十市であること。
四万十市とは市町村合併でこのような名前となったのだが、その市の大部分は旧中村市が占めている。
正木家はその中村市の山間の小さな村落を出自としているのだ。
僕自身はそこに住んだことはない。けれども、小学生の頃には、夏休みになると高知県の田舎へ行って過ごしたりもした。
その後、そこに住んでいた祖母も埼玉県に移り住み、そこは廃屋と化してしまった。
そして、家の裏山にあった正木家のお墓も埼玉県に移した。
今でも、そこには正木家の土地はあり、たしか誰かに貸しているというようなことを聞いたことがある。

一度でもこのドラマを見たことのある人なら分かると思うが、四万十市は地方都市ではなく、本当に田舎という言葉がぴったりとくるような場所だ。テレビの中で描かれている大手スーパーの進出によって、小さな商店街が潰れていくというのも本当の話だし、あそこに映し出される山間を流れる四万十川の美しさ、手すりのない橋など、まさに子供の頃に見た、僕の記憶の中にある風景そのものだ。
だから、ついつい「遅咲きのヒマワリ……」というドラマを見てしまうのだ。

話は変わるが、僕が「沖縄」という場所を意識したのは高校生の時だった。
おそらく、JALの沖縄キャンペーンのCMだったと思う。山下達郎の「高気圧ガール」という曲がテーマソングとなっていて、多分久米島のはての浜の風景が流れるというものだった。
海なし県である埼玉に住む高校生には、そこはまるで別世界のように見えたし、山下達郎の曲もまたその気持ちを盛り上げてくれた。
僕が沖縄に行ってみたいと思ったのは、このときが初めてだった。それ以前は、社会の授業で習う程度の知識しかなかった。つまりは、ほとんど知識がなかったということだ。学校の授業では沖縄県のことをほとんど教えなかったし、当然試験にも出てくることはなかった。

高校2年の夏休みのこと。ある友人が沖縄へ行こうと言い出した。しかし、さすがにアルバイト禁止の学校に通う高校生がそんなお金を持っているわけもなく、その代替案(今思えば代替にすらなっていない)として、高知県中村市にある正木家の家に行こうということになった。青春18きっぷ(今もあるのかな?)確か7日間分の電車乗り放題のきっぷだったと思う。それを人数で割って、ほぼ24時間かけて埼玉県から在来線を乗り継いで高知県まで行った。(当時は時刻表を見てきちんと計画を立てることの出来る人がクラスに一人はいたものだった)
正木家の実家は中村市の山間にあったのだが、バスに乗ればおよそ30分程度で海に行く事が出来た。
まだ、CDが出たばかりの時代。CDプレイヤーのような高価なものは買えなかったので、僕のラジカセを担いで海に出た。その時にかけていたのは、必ず山下達郎だった。「高気圧ガール」の入ったアルバム。(実はこのアルバムには名曲「クリスマス・イブ」も収録されていた)
高知県中村市の海は、もちろんテレビで見た沖縄のような透明感のある美しさはなかったけれども、東京近郊の海とは全く比べ物にならないほどの美しさだった。
僕らは毎日その海に出かけた。そして、その海に行くためにいつも四万十川にかかるあのテレビで出てくるような橋を渡った。
このドラマを見ると、あの夏のことを思い出すと同時に、ふと頭に浮かんでくるのがJALの沖縄キャンペーンのCMで流れたはての浜の景色なのだ。

今、その中村市(現四万十市)の風景を沖縄で見ているということがとても不思議に思えるのだ。


その後の話はまた気が向いた時に書こうと思う。