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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

気狂いピエロを観ながら

2012-12-26 09:23:05 | 映画
ワインを飲んで、ちょっとばかりいい気分で『気狂いピエロ』を観た。
ゴダールの映画の特徴として、とにかく出演者がしゃべりまくる。
カップルがしゃべりまくったり、時に観客に話しかけたり。
とにかく文学のこと、音楽のこと、社会のこと、政治のこと。
そこで語られる話題は尽きない。

ゴダールはよく難解だと言われる。
特にフランス語を解さない僕らが見る時、必死で字幕を追いながら見ている。しかし、それでもなお内容が分からないことがある。この場面でなぜこの言葉なのかと。

でも、今回ワインを飲んでいたこともあって、字幕を無理に追わずにボーッと観ていた。
そこでふと気づいたことがあった。
「ゴダールって決して難解じゃないんだ」と。
というよりも、なんとも分かりやすい単純なドラマであるのだと。

ゴダールの特に初期の作品(全部とは言わないが)は、犯罪を犯したもしくは巻き込まれたカップルが、力(警察権力だったり、社会体制だったり、あるいは犯罪組織であったり)から逃げるという物語が多いのだ。
これは、のちのゴダール作品に通じて行くのだが。

そんな単純化して見ると、つまり機関銃のようなセリフを無視して見ると、
構図、色彩の美しさ、俳優たちの動きの美しさ、カメラの動きのムダのなさがとても際立って見えてくる。
そして、俳優たち、特に主演の二人(J.P.ベルモンドとアンナ・カリーナ)の機関銃のような会話は音楽のように聞こえてくる。
それはのちに生まれるポエトリーリーディングのようでもある。
そして、この作品が公開された1965年は、ビートルズが「リボルバー」を発表してサイケデリックの幕を開けようとした年。
『気狂いピエロ』で描かれる色彩と構図は、それを予見しているように思えた。

興味を持った人はゴダール作品については多くの人たちが解説しているので、そんな本でも読んで欲しい。でも、そんな解説がなくとも、この頃までのゴダールは十分に楽しめるはずだ。