祖父が学校の先生で、詩人であったということは子供の頃に聞かされていた。しかし、僕はそのことにはそれほど興味を示さなかったし、その詩を読もうとも思わなかった。
遺影でしか知らない祖父、その人柄などはほとんど聞いたこともなかった。
正直な話、僕はそれほど家というものに関心を抱いたことがなかった。
今回、祖母の自伝というより、もはや物語となろうものを僕が書くことになって、初めて祖父の全集に目を通したのだった。
最近、ちょっと詩というもの触れる機会が幾度となくあったのも、それを予見していたのかもしれない。
先日最終回を迎えた四万十市を舞台にしたドラマにはなぜか初回から見なければという思いで、毎週見たのも何かの縁なのだろう。
祖父の詩を読むとさまざまな情景を浮かんでくるはずだ。
でも、それは僕自身が祖父は知らなくとも、祖母、母を知っているからで、そして何よりそれが書かれた場所を知っているからだ。
その意味では、決して彼の詩をスクエアな気持ちで、目で見ることが出来ないという思いから、僕はずっと彼の詩を避けていた。
でも、いざ読んでみると、思っていた通りスクエアに読むことの出来ない詩とそうではなくて、見ず知らずの人の詩として読むことの出来る作品とそれぞれが共存していた。
考えて見ればそのはずで、祖母や母を題材にしたものに対しては、僕自身の思い入れもそこに大きく反映されてしまうが、
一方それ以外のものを題材にした作品に反映されているものは、僕が生まれるよりも遥か以前に亡くなった彼の世界であり、
それが僕の世界はリンクしているはずがない。
そして、不思議なことにそのリンクしていない詩に惹かれるものが数篇あったりもする。
僕は小さな頃から、僕が生まれる三ヶ月前に祖父が亡くなったと聞いていた。が、それは母の祖父のことだった。つまりは曽祖父のことだった。僕はてっきり祖父が僕の生まれる三ヶ月前に亡くなったのだと思い込んでいた。
でも実際は、祖父は三三歳でこの世を去っている。
僕は今、四五歳だ。
つまり祖父を一回りも越えてしまっているのだ。
祖父よりも長く生きた一二年間で、一体に何を残したのか?
それを自問すると……。
何ひとつ残していない。
もちろん、雑誌の奥付やページのクレジットなどに名前は載っている。
でも、それだけだ。
これからきちんと残せるものを作っていこうと、今さらながらに思う。
ちなみに、今ではもう祖父の全集は手に入らないと思うが、一応紹介だけしておく。
『正木聖夫全詩集』(地球社刊)
遺影でしか知らない祖父、その人柄などはほとんど聞いたこともなかった。
正直な話、僕はそれほど家というものに関心を抱いたことがなかった。
今回、祖母の自伝というより、もはや物語となろうものを僕が書くことになって、初めて祖父の全集に目を通したのだった。
最近、ちょっと詩というもの触れる機会が幾度となくあったのも、それを予見していたのかもしれない。
先日最終回を迎えた四万十市を舞台にしたドラマにはなぜか初回から見なければという思いで、毎週見たのも何かの縁なのだろう。
祖父の詩を読むとさまざまな情景を浮かんでくるはずだ。
でも、それは僕自身が祖父は知らなくとも、祖母、母を知っているからで、そして何よりそれが書かれた場所を知っているからだ。
その意味では、決して彼の詩をスクエアな気持ちで、目で見ることが出来ないという思いから、僕はずっと彼の詩を避けていた。
でも、いざ読んでみると、思っていた通りスクエアに読むことの出来ない詩とそうではなくて、見ず知らずの人の詩として読むことの出来る作品とそれぞれが共存していた。
考えて見ればそのはずで、祖母や母を題材にしたものに対しては、僕自身の思い入れもそこに大きく反映されてしまうが、
一方それ以外のものを題材にした作品に反映されているものは、僕が生まれるよりも遥か以前に亡くなった彼の世界であり、
それが僕の世界はリンクしているはずがない。
そして、不思議なことにそのリンクしていない詩に惹かれるものが数篇あったりもする。
僕は小さな頃から、僕が生まれる三ヶ月前に祖父が亡くなったと聞いていた。が、それは母の祖父のことだった。つまりは曽祖父のことだった。僕はてっきり祖父が僕の生まれる三ヶ月前に亡くなったのだと思い込んでいた。
でも実際は、祖父は三三歳でこの世を去っている。
僕は今、四五歳だ。
つまり祖父を一回りも越えてしまっているのだ。
祖父よりも長く生きた一二年間で、一体に何を残したのか?
それを自問すると……。
何ひとつ残していない。
もちろん、雑誌の奥付やページのクレジットなどに名前は載っている。
でも、それだけだ。
これからきちんと残せるものを作っていこうと、今さらながらに思う。
ちなみに、今ではもう祖父の全集は手に入らないと思うが、一応紹介だけしておく。
『正木聖夫全詩集』(地球社刊)