「エヴァンゲリオン新劇場版Q」を観てからすでに結構な日数が経っている。東京で観たあとに、沖縄でも再度観た。
それはおそらく、一度目には自分で消化し切れなかったかったから。
未だに、あの映画は僕のココロの一部を占めている。
特別に衝撃的な内容ではなかった。想定外ではあったけれど、でもそれがひどくココロに突き刺さるというものではなかった。
でもだ。ココロのどこかに、魚の小骨のように引っかかている。
庵野秀明の術中にハマッてしまった感がある。
それと、この映画を観た時の僕の心境がピタリとハマった(エヴァ風に言えばシンクロしてしまった)のかもしれない。
それは個人的な心情と、現代社会への不安感と。
いくども書くが、庵野秀明は現代を切り取る術が見事だ。そかも、その切り取る部分は世界のほんの一部、ほんの一瞬だけ。
もし、今がこのような時代でなければ、おそらく「エヴァンゲリオン新劇場版Q」はあのような内容になっていなかったであろう。
どうにかしなければいけないという人々のココロ、気持ちが民主党政権を誕生させた。
しかし、よかれと思ったことが、絶望的な状況を生み出してしまった。
でも、それをしでかしてしまったという意識は本人たちには全くない。
それは、まさに今の日本の状況を象徴しているのではないだろうか?
そして今回の選挙が招くものは……。
「エヴァンゲリオン新劇場版Q」のラストシーンのようにならければいいのだが……。
いや、今のメディアの方法を観る限り、あのラストシーンの方がまだ希望を持つことが出来る。
今、宇多田ヒカルの「桜流し」がココロに突き刺さってくる。
それはおそらく、一度目には自分で消化し切れなかったかったから。
未だに、あの映画は僕のココロの一部を占めている。
特別に衝撃的な内容ではなかった。想定外ではあったけれど、でもそれがひどくココロに突き刺さるというものではなかった。
でもだ。ココロのどこかに、魚の小骨のように引っかかている。
庵野秀明の術中にハマッてしまった感がある。
それと、この映画を観た時の僕の心境がピタリとハマった(エヴァ風に言えばシンクロしてしまった)のかもしれない。
それは個人的な心情と、現代社会への不安感と。
いくども書くが、庵野秀明は現代を切り取る術が見事だ。そかも、その切り取る部分は世界のほんの一部、ほんの一瞬だけ。
もし、今がこのような時代でなければ、おそらく「エヴァンゲリオン新劇場版Q」はあのような内容になっていなかったであろう。
どうにかしなければいけないという人々のココロ、気持ちが民主党政権を誕生させた。
しかし、よかれと思ったことが、絶望的な状況を生み出してしまった。
でも、それをしでかしてしまったという意識は本人たちには全くない。
それは、まさに今の日本の状況を象徴しているのではないだろうか?
そして今回の選挙が招くものは……。
「エヴァンゲリオン新劇場版Q」のラストシーンのようにならければいいのだが……。
いや、今のメディアの方法を観る限り、あのラストシーンの方がまだ希望を持つことが出来る。
今、宇多田ヒカルの「桜流し」がココロに突き刺さってくる。