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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

“かわいい”という文化

2014-05-27 12:55:19 | 日記
先日、知人がFacebookで荒々しくも力強さを感じさせる一人芝居を観たと書いていた。確か、「濾過されきっていない」という表現をされていたと思う。「濾過されきっていない」ということは「未完成」であり「洗練される手前」であるということを言っているのだと僕は解釈した。
その「未完成」の魅力というものは、僕も非常に共感を持つ。

沖縄の八重山地方の唄に「月ぬ美しゃ」という子守唄がある。
僕はあまり八重山の民謡には詳しくないので、ここでは突っ込んだ話は出来ないが、この「月ぬ美しゃ」という唄こそ、その「未完成」で「成熟する直前」の美しさを歌っている。


月ぬ美しゃ 十日三日
女童美しゃ 十七つ
ほーいちょーが

要するに「月が美しいのは十三夜、女性の美しいのは十七歳」と言っている。
つまり「満月になる直前」と「大人になる直前の女性」が美しいということだ。成熟する前が。
同じようなことを、四方田犬彦が昔に言及していたが、彼は「枕草子」にそれを見つけている。


昔の沖縄(琉球)を日本に入れるかどうという話は別として、
日本人は昔から『未完成」「未成熟」のものを愛でるという文化があった。

それは現代の日本において、さらに顕著なものになっている。

多くの人は僕が何を書こうとしているのか、すでにお分かりかと。

アイドル文化というものが、正にそれに当たる。
前述の知人の観た一人芝居とはちょっと、いやかなり意味合いが違うだろうが、魅力的に感じるという点だけは一緒だ。アートでも同じようなことが言える。

日本のアイドルというものは、必ず何か未熟な部分を持つ。
それも、時に芸能的にダメじゃないかという部分があったりもする。

最近のアイドルを観ていて(といってもそこまで詳しいわけではない。知っているのはほんのわずか)思うのは、個々のメンバー(アイドルグループに限定しているけど)の未熟な部分がそれぞれ違うということ。
例えば、あんまりかわいくなかったり、歌が下手だったり、ダンスがいまいちだったり、トークが出来なかったり……。(どう考えても芸能としては失格だとしか言えない)でも、他は及第点かそれ以上。
つまり、未熟で未完成な人の集まりが今のアイドルグループの特徴だと思う。

昔、秋元康が『AKB48』を作った時に、クラスにいそうな子たちを集めたというのも、そういうことなんだろうなと、最近ようやく思った。でも、もはやクラスという単位を超えていくつかの学校が出来ちゃったという感じだが。

日本では、そんな「未完成」で「未成熟」なもの、でも「完成」したらきっとすごいだろうな、「成熟」したら美しくなるんだろうなと想像出来るものを“かわいい”と呼ぶのではないか、と思う。実際はそうではないけれど。
日本を代表する“かわいい”は多分『きゃりーぱみゅぱみゅ』だと思うが、彼女は「未成熟」そのものだと思う。演出かもしれないけれど。彼女は「性」というものを感じさせない。でも女の子である。その「何かあいまいなもの」がファッションやパフォーマンスなどで“かわいい”をまとっている。『きゃりーぱみゅぱみゅ』は外国人にも理解しやすい“かわいい”なのだと思う。

さて、僕の好きな『ももいろクローバーZ』だが、彼女たちもまた「性」というものを超えている。そして、数多くの「未熟」で『未完成」なものを持っている。(持っているという言い方は変だけど)正直な話、それほどかわいくもない。メンバー同士で「ブスだのなんだの」言い合っているくらいだから、本人たちは少しはそう思っているに違いない。
でも、彼女たちは日本人が愛でた“かわいい”を持っている。でも、その“かわいい”をも超える突出したものも持っているからこそ、数多くのアイドルの中で抜きん出た存在になったのだと思う。
突出したものは身体能力だったり、歌唱力だったり、お笑い的要素だったりといろいろで、しかも突出しているのは誰かひとりだけで、ほかのメンバーは違った分野で突出している。
『ももいろクローバーZ』には「箱推し」と言って、メンバー全員を推す人が多いのは、それぞれのメンバーが突出した部分を合わせるとものすごいものになるからだろう。そうでなければ、ダメな部分を全部合わせると手を差し伸べないとという気持ちになるからかもしれない。多分そんな人もいるはず。

僕が昔からお世話になっているサエキけんぞうさんが名付け親(最近知ってびっくりした)である、『でんぱ組.inc』というグループが日本武道館をいっぱいにしたという。正直な話、僕には信じられないことなのだが、本当のことらしい。(見た目は平均かそれ以下。キャラは立っているけど)まあ、僕は『でんぱ組.inc』のことはほとんど知らず、たまたま見た「でんぱの神神」というテレビ番組で彼女たちの存在を知った程度なので知ったような口をきくつもりはないけどれど
でも、サエキさんのFacebookにアップされた『でんぱ組.inc』の武道館ライブのことを知った時、僕は今の日本のアイドル文化は成熟期を迎えてしまったような気がした。
なぜ、マイナスな感じの言葉になってしまうかというと、秋葉原という小さな街で生まれた文化が今や大きなビジネスになったからだ。
ビジネスが文化を潰さないことだけを、僕は望んでいる。


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起動準備完了

2014-05-06 13:24:43 | 日記
15年ほど働いていた文化出版局を退社して以来、2~3年働いては1~2年を遊んで暮らしという生き方をして来た僕。この2~3年ほど、僕はちょうど遊んで暮らすというサイクルに入っている。
沖縄に来てからはここ3年は腰痛の闘いに苦しみ、一時は杖なしでは歩けないほどにまでなっていた。
その頃は本当に将来歩けなくなるのではないかと思ったほどだった。
生活圏は半径50メートルほどになっていた。
那覇市泉崎というとても便利な場所に住んでいたため、半径50メートルでも十分に生活出来た。

その闘いからようやく解放されたのが昨年のこと。
まあ、それ以前に歩いたりすることは出来るようにはなっていたけれど、
それでも腰への細心の注意を払いながらの生活が続いていた。
もちろん今も注意はしている。
でも、サーフィンに行けるほどまで良くなっている。

だから、昨年から今年までの1年間はほとんど遊んでいた。
それ以前は遊んでいたと言っても基本的にインドア。
でも、この1年はアウトドアへと変わっていった。(まあ、アウトドアと言っても基本は海だけど)

人は外に出るといろいろなことが始まる。
自分自身の気持ちも自然と外へと向いていくせいか、さまざまな人と出会う。
人を出会い、いろいろな話をしていると、今度は頭が違った方向へ働き出す。
僕はそろそろ何かを表現して行こうかなと徐々に思うようになっていった。

仕事をするサイクルに突入したのだと感じていた。
でも、どこかでまだ遊んでいたいという気持ちが強く、まあ、サーフィンを再開して間もないからというのもあったと思うのだが。

何かを表現し、発信していくための数ある方法の中で、僕がもっとも得意とするものは本や雑誌というカタチだ。
まあ、20年あまりを編集者として活動していたので当然のことだ。

昨年からその準備を少し少し進めていた。遊びの邪魔にならない程度に……。
(逆だろっていわれそうだけど)
コンセプトは決まっていた。『僕がやりたいこと! ただそれだけ』

ただ問題があった。
本や雑誌というスタイルはお金がかかって仕方ない。
特に雑誌の収入は広告なので、広告の入らない雑誌は出せば出すほど赤字になる。
それを個人でやっていくのは無理がある。
そこで思いついたのは(というより以前より頭の中にあったのは)、電子書籍を使ったものだった。
もちろんそれなりにお金は必要だが、紙媒体と比べたらその桁は全然違う。
電子書籍型ならであれば今自分が持っているシステムで作ることが出来る。

そして、昨年“ripple-pub”というレーベルを立ち上げた。
まあ、立ち上げただけで全然活動もしていなかったのだけれど。

この2ヶ月ほどの間にようやく“ripple-pub”を始動する準備が整った。
今、1冊の電子書籍の発売と電子書籍型の雑誌の創刊の準備をしているところ。
実を言えば、これらは当初僕が想定していたものよりも大きな話になっている。
そして、多くの人を巻き込んでいる。
幸いなのは、巻き込んでいる人たちが面白がっていること。
(本当はあと2冊の電子書籍はすでにほぼ準備が整っているのだが、こちらは僕個人の作品なのでいつ出してもいいかと、今は放っている)

自由な表現の場を作るのはとても難しいことで、特に僕が得意とする雑誌というジャンルではほぼ無理だ。
前述のように雑誌は広告が入らないと赤字になる。
別に広告媒体としての雑誌を否定するつもりはないし、広告を入れることによって低価格で雑誌を提供出来るのだから、それはそれであっていいシステムだと思う。
ただ、やはり広告費というお金をもらえば、お金を支払うクライアントの意向というものが大きくのしかかる。
クライアントと雑誌が同じ方向を向いているのであれば何の問題もないのだが、そこにずれが生じた時は大変だ。
編集者と代理店の駆け引きが始まる。
そうすると、モノ作りよりも駆け引きに時間と労力をとられてしまう。
それはお互いにストレスだし、結局編集者が負けることが多いし。

そこで、僕は広告のない雑誌を考えていた。
電子書籍型であれば、単純に売り上げだけでやっていける可能性があると思った。
もちろん売れなければ自然消滅せざるを得ないのだが。
それでも、僕は僕のやりたいことが出来る。

そんなこと考えていた頃に、以前東京で幾度も一緒に仕事をした人と沖縄で再開した。
そこからこの考えは急速に固まっていった。
そして、その人物と一緒に電子書籍型の雑誌を始めることになった。
その人物の名はサイトをアップしますので、それまでは……。
(すでに知っている人は多いけど)

“ripple-pub”は先ほど述べたように、『僕がやりたいことをやる』を基本にしているが、
ただやりたいことやっても単なる自己満足でしかない。
だから、このレーベルはあくまでも僕が中心なのだけれど、僕と誰か(1~2人)が一緒に、出来るだけ最小人数でモノを作っていくことにしている。
だから、電子書籍型雑誌は僕と前述の2人が中心だし(もちろん様々な人たちに参加してもらうが)、電子書籍に関しては著者と僕の2人だけですべてを進めていく。(これももう1人参加していただくことになっているが……)

そんなわけで、僕はこれまでのサーフィン、三線、ももクロだけの生活から少しばかり離れることにする。もちろん上記の3つや続けていくけれど。
(ん? ももクロを続けるって言葉が違うか。モノノフを続けるだなw)

詳しいことは、サイトのアップまでお待ちください。
ご興味のある方は……。