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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

久しぶりに見たゴダールは今でも新鮮さを失わない!

2012-12-24 15:59:15 | 映画
ジャン・リュック・ゴダールという名前を知ったのは一体いつのことだっただろうか? それがどうして思い出せない。そもそもヌーヴェル・ヴァーグなんて言葉をいつ覚えたのだろうか?
大げさに言えば、現代の映画はヌーヴェル・ヴァーグから始まったと言っていいほどの大きな波だったはずだ。それまで映画は撮影所が強い力を持っていた。それは映画の撮影は撮影所でするものだったからだ。スタジオにセットを組み立て、女優たちが美しく見えるライティングをし、カメラの位置もある程度固定された、ある意味で完全に作られた世界観をフィルムに収めたのだった。
そんな世界観をぶち破ったのが、ゴダールだった。
カメラをスタジオから外に持ち出し、オールロケで撮影。
それだけで、すでに映画の常識を壊してしまった。
ゴダール以前と以後の映画を見比べてみるとはっきりと分かるだろう。
ゴダールの、特に「勝手にしやがれ」には普通にパリの街を歩いている人たちが写り込んでいる。
実際のところは、秦早穂子先生か山田宏一先生に聞かないと分からないけれども、おそらく無許可で撮影したのではないかとさえ思えて仕方ないのだ。
だから、多分日本などでドラマや映画のロケ撮影などをしていると、時々ちょっと待ってくれと止められることがあるが、「勝手にしやがれ」はそれすらしていないように思えて仕方がない。
そういう意味では、「勝手にしやがれ」はある物語を撮りながらも、当時のパリの活気ある町並みをも同時に撮っていたのでないだろうか。
だからこそ、すでに作られてから五〇年以上も経つのに、活き活きとした新鮮さを失っていないような気がするのだ。

そして、ゴダールの映画といえば欠かせないのがカップルの存在だ。基本的にその主題にあるのがカップルだ。その形はさまざまだが……。
J.P.ベルモンドとジーン・セバーグのカップルは実に洒落ている。とにかくカッコいい。ジーン・セバーグの何気ないボーダーのカットソーとAラインのスカートというコーディーネートは、ファッション雑誌などで幾度と無く出てきたスタリングだし、ベルモンドのタイトなジャケットとパンツはここ最近の流行とマッチしている。わざわざファッション写真を撮るまでもなく、ベルモンドの全身の写真を探して掲載すればスタイリングだけなら見せることが出来る。そのくらい完成されたコーディネートだった。そして、これ以上のカップル像があるだろうかと思わせるゴダールはやっぱりスゴい。

最初の問題。一体いつゴダールを知ったのか?
それがどうして思い出せない。僕の中の最初のゴダール体験(記憶として残っているもの)は「アルファビル」なのだ。
でも、それが最初であるはずがない。いずれにせよ、僕が生まれる前に、ゴダールは映画表現に自由を与えた。
僕が生まれた時にはすでにゴダールのような表現方法はごく普通に受け入れられるようなっていた。
つまり、僕はというより僕らの世代以降の人たちは、すでにゴダールの恩恵を受けていたのだ。知らぬ間に。

そんなわけで、残り少ない今年数日は、1日1本ゴダールを観ることに決めた。今日は「気狂いピエロ」だ!