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日々あれこれ思いつきメモ

日記というよりもメモ? そんな思いつきを書いただけ……。

心が動いたこと

2016-08-01 12:26:08 | 日記
もう数ヶ月以上も更新していないブログを、誰かが毎週覗いてくれている。ありがたいことだと思い、久しぶりに更新してみようと思った。
さて、何を書くか、このブログに合うような内容って何だろうと考えてみた。
そもそも、何を書いていたのかも覚えていない。
2〜3つのブログを読み返してみると、映画や音楽の内容が多かったので、そんなことをたぶん脈絡もなく書き連ねてみようかと思う。

最近、久しぶりに心が動いた音楽があった。出会ったというか。
珍しくアイドルじゃない。

水曜日カンパネラ。

名前だけは知っていた。
僕はチームしゃちほこ(あとで何者か書くつもり)のファンクラブに入っていて、そこからのメールに、チームしゃちほこが出るフェスの〔他の出演者〕として書かれていた。たぶん。

最近はおかしな名前のバンドがたくさんあるので、そんなもののひとつかと思っていた。

ある日、ツタヤからのDMメールに「水曜日のカンパネラ」の新譜が出ると書いてあった。

「聞いてみよう」と思い、iTunesでとりあえず一部を視聴してみた。
僕はすぐにダウンロード。その場で全編聞いて、ツタヤに行って旧譜を全部借りてきた。

戸川純。
僕の頭に浮かんだのは、80年代を代表するアンダーグラウンドのミュージャン。

戸川純から毒気を抜いた感じと言えばいいだろうか。

今の僕には、どこか懐かしく、決してメジャーな雰囲気ななく、でも毒気のないのが心地よかった。
以来、クルマの中ではチームしゃちほこと水曜日のカンパネラがヘビーローテーションで流されている。もちろん、ひとりで乗っている時だけだが……。


「チームしゃちほこ」って何? って思っている人も多いだろう。
チームしゃちほこはももいろクローバーZの妹分としてデビューしたアイドル。名前から想像出来るように、名古屋を拠点に活動していた。
僕がチームしゃちほこに興味を持ったのは、ももクロのテレビを通してなのだが、今ではももクロよりもしゃちほこに興味か移ってしまっている。
何がいいのかというと、曲がいい。キャラがいい。力の抜けた感じがいい(そう見えるのが)。
ほっこりしていて、何となく癒される。
ちなみに、僕は赤の子を推している(笑)
これに関してはあまり書くこともない。

最近、ほとんど映画を観ていない。その代わり海外ドラマを何本が観ている。
観ていて思うのは、童話(全てを童話と括っていいのかは分からないが)を下地にした物語がとても多いこと。
子供の頃に読んだ本や絵本、何となく知っている話などが下地になっているので入り口がとても広い。しかも、話がよく出来ている。ネット社会になって著作権の問題、つまりはコピペの問題が大きくなっている中、著作権を侵さない、つまりはオマージュだったり引用だったりリミックスだったり、二次創作だったりの、とても正当でクオリティの高い作品の見本のような気がする。
まぁ、もうハリウッドも一から新しいものを作れなくなってきたことの証明でもあるので、それは悲しいことではあるけれど、観る側からすればとっつきやすい物語だ。
というのも、下地になっているものを隠してないから。というのも、下地の物語を知っていることを前提として作られているから、隠しては元もこうもないからだ。

最近はそんな物語が楽に見られる。まぁ、そんなに頭を使わずに見れるからかもしれない。

必要のない3Dよりも、こっちの方が僕にとっては心地がいいし、エキサイティングでさえある。

すでにある物語の、そんな使い方があるんだなぁと。

相変わらず、何を書いているのか分からなくなった。
この辺でやめとこう。

今年のスポーツ

2015-12-25 02:29:27 | 日記
今年はラグビーの年だったといっていいと思う。これほどまでラグビーという競技が注目を集めたことはなかったような気がする。僕は母校がラグビーの強い大学だったこともあって、何となく周りに流されてラグビーを観戦するようになって、何となくルールを覚えて、いつの間にかこの競技が好きになっていた。なかなか競技場へ足を運ぶことはなくなってしまったけれど、テレビで中継をやれば観る程度には、今でも楽しんでいたりする。
それにしても、ラグビーを取り巻く環境は随分と変わった。昔はラグビー選手がラグビー関連以外のテレビに出演することなんてあり得なかった。それは、ラグビー協会の訳のわからないルールというか、たぶん明記されてもいなかったからルールですらなかったのだが、ラグビー選手足るものラグビー以外のことでテレビや雑誌などに出ることはご法度だった。詳しくは書かないけれど、ある有名選手が雑誌でモデルをやったことで、大問題になったことがあった。のちに僕はその雑誌の編集者になってそのことを知ったのだけれど。
最近は、ワールドカップに出た選手たちがバラエティー番組に出演している。番組どうこうは別にして、それはいいことだと僕は思う。スター選手が登場して、スター選手をさまざまなところで見られるというのは、ラグビーという分かりにくい競技をいろいろな人に知ってもらうのにいい機会だ。スター選手目当てに競技場に足を運ぶ人が増えるのもいい。将来ラグビーをやろうという子どもが出てくると、ラグビー自体のレベルも上がっていくだろう。願わくば、協会は余計なことはしないで欲しいと思っている。

こんなことを書きたかった訳ではない。大学時代の話を書こうと思っていた。
僕は周りに流されてラグビーを見るようになったし、サッカーも何となく見ていた。マラドーナの神の手もテレビで見ていたけれど、別段熱狂して見ていたわけではなかった。
そんな僕が大学時代に唯一周りとは関係なく熱狂して見ていたスポーツがあった。NFLだ。僕の周りにNFLファンはひとりもいなかった。そこだけは誰とも話が合わなかった。
僕がバックパックを背負ってアメリカ横断した目的のひとつは、生でNFLを観ることだった。夏休みだったので、プレオープン戦だったけれど、生で観るアメリカンフットボールは、当時冷めている言われた僕がひとり大声を出して観た唯一のスポーツだったと言っていいだろう。
ラグビーや野球やサッカー、のちに足繁く通うようになった格闘技などはすべて友人からの影響で観るようになったもの。自ら、ひとりで観戦していたのはNFLだけと言ってもいいかもしれない。

僕がなぜアメリカンフットボールというものに惹かれたのか、そのきっかけは覚えていない。いつの間にか熱狂的なファンになっていた。プレーの良し悪しもいつの間にか分かるようになっていた。本場で観戦したときも、もちらんひとりでスタジアムに行って、隣の見知らぬアメリカ人のオジさんと騒いでいた。
日本でテレビで観戦しているときも、ひとりで騒いでいた。スゴいプレーを見たときなど思わず唸ったものだ。

でも、それもいつの間にか観なくなってしまった。地上波で放送しなくなったことあるけれど、NFLの解説者が何となく好きになれなかったからだ。NFLの解説者はなぜかみんな独特なノリがある。それは他のスポーツ中継では聞けないような解説で、そのノリに馴染めなかった。僕からしたら中継だけしてくれればいいと思ってしまうのだ。NFLの解説者の特徴は解説をしているのだけれど、興奮したり面白がったりしながらプレーを解説するので、こちらの興奮を削がれしまうのだ。そして、その独特なノリは、たぶん本人は意識していないのだけど、「どうせ分からないでしょ」という何か優越感に浸った話し方に聞こえて仕方ないのだ。スゴいプレーを見て、僕が「ウォー!」と声をあげた瞬間に、優越感に浸ったような喋り方が聞こえてくると僕の興奮は一気にさめてしまうのだ。
きっと解説者にそんな気持ちはこれっぽっちもない。単なる僕の被害妄想というか、おそらく僕が「俺だって知ってるよ」という自尊心みたいなものにチクチクとしたものを感じているのかもしれない。もしかしたら、僕の方が了見が狭いのかもしれない。

そんなこともあって、次第にNFLから遠ざかっていった。

でも、最近久しぶりにテレビで観た。
観ていて、前述のような気分になったりもしたが、やっぱり面白かった。
ひとつひとつの戦略の見事さと緻密さ、戦略が破綻したときに個人の素晴らしい判断力、対応力の素晴らしさ、もちろん常人がやったら死んでもおかしくないような肉弾戦で見せる強靭さ。
やっぱりNFLはスゴい。

僕はもちろんプレーしたことなどないけれど、観戦しながら自分なりに次のプレー(戦略)を予測しながら観る。その予測が当たって、しかもそのプレーがビックプレーになろうものなら、僕の興奮は絶頂になる。

野球の試合を観に行ったりすると、例えば「次はバントだろ」とか「ここは盗塁だろ」とか、ラグビーの試合だったら、「サイド攻撃だろ」とか「ここは回せ」とか「ここはモールで押し込め」とか、自分は出来もしないのにそんなことを思いながら観ている。ときに声に出ていることまあるが……。

スポーツにはそれぞれに作戦というものがあるが、その作戦を考えながら観るスポーツとしてアメリカンフットボールほど面白いものはないと僕は思っていた。
そして久しぶりに観て、それを再確認したのだった。

僕はラグビーの年をNFLで終えることになりそうだ。

また、生で観たいなぁ~!


まぁ、そんなことを言いつつ、年が明けて2月にはプロ野球のキャンプを見に行くのだろうなぁ。


自宅の庭にて

2015-11-17 16:41:37 | 日記


最近、腰痛のため家にこもっていることが多いので、よく庭に出て草木をボーッと眺めている。
引っ越す前から植えてあったもの、自分が植えたもの、勝手に生えてきたもの。
さまざまな草木が生えている。それを窓辺に座って眺めているのだ。一応ジョーロも買って、時折水を撒く。週に1回は近所のカインズホームで買ってきたEMを混ぜた水を撒く。EMを混ぜた水は余るので自分が植えたもの以外の勝手に生えてきたものにも撒いてやる。
さすがに勝手に生えてきたものの生命力はすごく、そこにEMなんかを撒いているので成長が早い。
腰の具合がいいときは、勝手に生えてきたものを間引いたりしている。

そんな感じで、同じマンションの庭付きの部屋に住んでいる人たちよりも庭で過ごすことが多いので、お隣さん(マンションのではなくて、隣の一軒家)とも自然と仲良くなった。

最初に引っ越してきたとき、隣の一軒家とうちの庭との間に目隠しがなくて、何か設置した方がいいかななどと思っていた。
僕はあまり気にならないのだけれど、お隣さんがイヤかなと思って。
でも、結局面倒で何もしないままだった。

そんな感じだったので、時折顔を合わせたりして、一応会釈だけはしていたけれど、ある日先方から声をかけてきた。
まぁ、平日の昼間から庭にいるいい年した男なんか、普通に見れば不信に思われるかもしれない。だから、話の流れで僕の情報をかなり開示した。

僕は結構近所の人たちに声をかけるが、それほど話し込んだりするわけではない。ごく普通の挨拶程度の話をするくらい。農家さんにはそのときやっている作業のことを聞いたり、居酒屋さんならお酒のことを聞いたり。何てことのない会話だ。

でも、その時はお隣さんとは初めての会話から、とても初めましてではないような話をした。

僕が東京から来たという話をしたあとのこと。

「うちは子供が四人いて女の子ひとりだけなんですけど、東京に行ったっきりなんですよ。東京が好きみたいで」
「東京には楽しいものがたくさんありますからね」
「もう30歳にもなるのにまだ独身で……」
「東京では普通ですよ」
「そうなんですよね~。私なんかは沖縄で育っているから、25歳くらいからもう結婚をなんて考えるんですよ。でも、焦ってもいないんですよね~」
「僕の知り合いで、沖縄出身で東京に住んでる女性で40過ぎても結婚してない人なんてたくさんいますよ」
「私は沖縄に帰ってきて結婚して欲しいんですけどね」
「でも、きっと東京の水が合うんじゃないですか?」
「ところで何年生ですか?」
「42年生です。48歳です」
「長男?」
「そうです。でも、沖縄の長男と内地の長男は重みが違いますよ。沖縄だったらこの年齢で僕みたいに実家から離れて住むなんてあり得ないんじゃないですか?」
「沖縄は長男への期待がスゴいですからね。家を継ぐという」
「そうみたいですね」
……。

初めての話にしては密だ!
その後もそんな娘の話を延々と聞かされた。お母さんなりに心配しているのだろう。

「東京にいい人でもいるじゃないですか?」と言おうとしてやめた。
代わりにこう言った。
「30歳ならまだ焦ることもないですよ。今じゃ那覇でも30歳くらいの独身女性たくさんいますし」と。

以来、庭で草木を眺めているときに顔を合わせるとどうでもいい話をして2~30分過ごしている。

初めての体験 その1

2015-10-10 11:59:56 | 日記


実は、大阪に来るのは初めてのようなものだ。
二度ほど来たことがあるが、いずれも日帰りの仕事。
新大阪駅から現場に直行し、現場近くでご飯を食べてそのまま帰るというパターンだった。
だから、こうして大阪の街を歩くのは初めてだし、大阪に泊まるのも初めて。
これまでは大阪は通過していた。ほとんどが京都に行くために。

もう一つ初めて体験することがある。
それはゲストハウス。
ゲストハウスというものを知ったのは沖縄に行き出してからのこと。
それ以前はそういうものの存在も知らなかった。でも、知ったからといって、泊まりたいとは思わなかったと思う。
ここ2~3年くらいだと思うが、少しゲストハウスというものに興味を持ち始めた。確か、何かの小説を読んだのだと思う。タイトルは忘れた。その小説に出てくるのは那覇のゲストハウスで、公設市場周辺を歩いていると、この辺りがモデルになっているのかと思われるゲストハウスがチラホラと見られる。
興味を持ったものの、さすがに泊まる気にはならなかった。だって、那覇に住んでるから。家があるのに、いくら安いからといってお金を出して泊まってみようとは思わない。泊まっても旅してる感じはしないから。

今回大阪に来るにあたって、最初は普通のビジネスホテルを予約していた。そこも十分に安かったと思う。そもそも、最初は日帰りで行けないかと模索したくらいで、ただ帰りの便がないことから、飛行機をLCCにして浮いたお金で二泊しようということになったのだ。一人なので、基本的に眠ることができればどこでもよかった。ビジネスホテルを選んだのもいつものように何も考えずにそうしただけだった。
確か大阪に行く一週間ほど前だったと思う。
BOOKING.COMというサイトで大阪のゲストハウスを見つけた。もちろん、沖縄のような金額ではないが、ビジネスホテルの半額くらいだった。
「そうだ、せっかくだからゲストハウスを体験してみよう」と思い、ビジネスホテルをキャセルしてゲストハウスを予約した。本当に思いつきで、そのゲストハウスについて何一つ調べることもなく。そもそも大阪のどこにあるのかさえ知らず。まぁ、土地勘がないので、知ったところで想像もつかないのだが。

そう、もう一つ初めての体験があった。
那覇空港のLCCターミナル。この間ジェットスターに乗ったが、これは通常のターミナルから乗るのでLCCターミナルの場所さえ知らなかったのだ。これまた何とも言えない、コストをギリギリまで削減した作りで、成田空港第3ターミナルがとても良く感じたくらいだ。
乗った飛行機はPeach。まぁ、二時間程度ならば我慢出来る。飛行機内では一時間あまり寝て、その後は電子書籍で購入した『教団X』を読んだ。なるほど、評判が高いだけのことはある。

関空から南海電車に乗ってなんば駅に。
ゲストハウスは駅から徒歩10分程度と書いてあった。【裏なんば】と呼ばれているらしい通りを歩いてすぐ、ほぼ通りに面したところに、そのゲストハウスはあった。
恐る恐るドアを開ける。するとすぐに階段になっていて、これまた恐る恐る階段を登った。そもそもシステムが分からない。二階には一部屋だけあって、そこを覗いてみた。女性がひとりパソコンに向かっている。
「あの~、こちらの方ですか?」と声をかけた。
「そうです」
「予約していたマサキです」
「Toshihiroさんですね」
なんかイントネーションがおかしい。どうやら日本人ではないらしい。アジア系にも見えるし、南米の人にも見える。
「オーナーがコロンビア人なんですよ」と、また少しおかしなイントネーションで話した。
たぶん、南米の人に違いない。

部屋に通された。三段ベッドがふたつ。六人部屋だ。部屋には中国系の女性と東南アジアっぽい男性がいた。
「Nice to meet you!」と片言の英語で挨拶。
ふたりは英語がしゃべれるとでも思ったのだろうか? 早口の英語で話してきた。
「Sorry,I can't understand English. 」
片言でも、英語で英語が分からないと話すのも変だ思いながら、何となく簡単な会話をした。
女性は台湾から来たと言った。「日本の台所」の大阪と京都を見にきた」と。
男性はフィリピンから来たという。
「僕は沖縄から」というと、ふたりは驚いたように顔を合わせ、「ちょうど今さっきふたりで沖縄の話をしていたのよ」と女性が言った。
僕の英語では内容まで聞くのはムリだろうと、「そうなんだ、行ったことはあるの」などと話したのだがら、本当はどんな話をしていたのかを聞きたかった。最近は、英語をちゃんと勉強して、こなかったことを悔やむことがやたらと多い。
ふたりとはFBの友だち申請をしあってから、「じゃ、僕はゴハンを食べに行ってくると部屋を出た。
「Enjoy!」と台湾の子。 (つづく)


イライラしないことに決めたのだが……。

2015-08-08 16:42:16 | 日記
僕は多くの人に勘違いされている。
まあ、いい方に勘違いされているので、わざわざそれを正すことはしないのだが。
僕はチームしゃちほこの名古屋レッド秋本帆華ばりのおっとりとしたしゃべり方のせいで「優しい人」「穏やかな人」と思われることが多い。
でも、実際はとても短気なのだ。付き合いの長い人は顔を見れば分かるそうだが、初対面の人の第一印象は真逆なのだ。

でも、ここ2年ほどは滅多なことではイライラしなくなった。
意識的にそうしている。イライラしても仕方ないと思うようにしているのだ。イライラしたところで何かが変わるわけでもなく、悪い方向に向かいこそすれ、決していい方向に転じることはまずない。そのことは昔から分かっていたけど、どうにも出来なかった。でも、イライラしないと意識した途端、イライラしないことは簡単なことだと気づいた。

決めた途端、ほとんどのことを受け入れられるというか、「世の中、そういうこともあるよな」「まあ、そんな人もいるよな」と思えるようになったのだ。そうすると非常に楽なもので、気持ちにも余裕が出てくる。気持ちに余裕があると生活も豊かに感じられるようになる。(精神的に)
例えば車。沖縄の人たちの運転は正直ヒドい。ウィンカーを出さないし、中々入れてくらなかったり。以前はいちいちイライラしたり、怒ったりしていたけれど、車の中で怒ったところで何にもならない。でも、イライラしないと決めたら、そんなことなどどうでもよくなった。入れてくれた人には心から「ありがとうございます」という気持ちになるし、僕は必ず入れてあげることにしているし、気づかすに入れてあげることができなかったとき「ゴメンね」の意味を込めて手を挙げて軽く頭を下げるようになった。
すると、不思議なことにこれまで当たり前だと思っていたことがありがたく感じられるようになる。

と、このまま書くといい話になってしまう。
イライラしないと決めるのはいいのだが、そのやり方を間違えると大変なことになる。イライラしないための方法のもっとも簡単な方法は無関心になることなのだ。それこそ、世間を遮断してしまえば、とりあえずイライラする要素は消え去る。自分にイライラしている人もいるだろうが、それは他人と自分を比較するからだ。比較の仕方はそれぞれだけれど。

ただ、これは世間でいう「引きこもり」とはちょっと違う。
無関心でいること。余計な情報を入れないこと。
多くの場合、イライラは他人との関わりからくるもの。ゆえに遮断してしまえば、それはなくなるはずだ。
でも、それは根本の解決にはならない。多分、どこかの時点で再びイライラが再発するだろう。仮に完全に他人との関わりを遮断して一時的イライラしなくなっても、そもそも心の中にあるイライラの根源が違う形で姿を現わすはずだ。
実際、僕もイライラしないことに決めたとき、そんなところに陥りそうになった。イライラの原因だけをシャットアウトしようとしたが、その他のもとの関係もシャットアウトしなければ、結局どこかでその原因となっているものに繋がってしまう。結局すべてをシャットアウトしなければいけないことに気づいた。確かにそれは楽なのだが、それをしたらダメだと思った。僕個人がダメになると気づいた。だって、それはもはや引きこもるしかないのだから。

そしてたどり着いたのは、その原因となるものをまるごと受け容れるということだった。認めてしまうということ。すると、不思議なことにイライラすることがなくなった。
前述の「世の中、そういうこともあるよな」「まあ、そんな人もいるよな」という気持ちだ。
そうしてようやく気づいたのは、否定しようとするからイライラするのだということだった。否定はしない。違う考えがあることを認める。自分の考えを伝えるが決して押し付けない。分かってもらう努力はするが、無理やり分かってもらわなくてもいい。話を聞いてもらう努力はするが、無理には話さない。もし、聞いてくれるならば、できるだけ丁寧に分かりやすく説明する。それでも無理なら諦める。でも、別の意見は否定しないし、批判しない。
と、そんな境地にようやく到達点出来るかと思ったのだが、どうも世間はそんなことはさせてくれなかった。
それが今の日本の状況だ。彼らは話を聞かないので説明のしようがない。否定しないように思うのだけれど、否定せざるをえない。話しを聞けば聞くほど説明は曖昧模糊となっていき、僕の心に重くのしかかっていく。
言うまでもなく、安保関連と沖縄の米軍基地、原発の話だ。最近は特に安保関連。

正直、遮断してしまえば楽だったのだけれど、どうしてもそれは出来なかった。世のニュースが安保関連一色の頃、陰では原発再稼働が進んでいく。そして、沖縄の基地問題は話題の外へと行ってしまっていた。そして、確かに大きな問題だが、法案が通った翌日からは新国立競技場一色となった。

確かに新国立競技場は杜撰で話にならない。でも、人命と箱物のどちらが大切なのだろうか?

イライラしないことに決めたのに、僕のイライラはMAXに向かっている。
先ほども述べたようにイライラしていいことは何一つない。何一つないことを分かっていながらも、イライラしてしまうのは、まだ僕が精神レベルが低いからなのだろう。出来ることならコントロール出来るようになりたいのだが、修行が足りないようだ。

政府が安保関連法案にあそこまで拘泥する意味がわからない。さまざま人たちが解説をしてくれるが、今ひとつピンとこない。おそらくそうなんだろうなと思える言説に巡り合うこともあるのだけれど。結局、すべては人命よりもお金ということなんだと思うが。

ある時期、「こだわり」という言葉の意味が変わった。「こだわり」が肯定的な意味となった。「こだわり」を持つことがカッコよく、特にクリエイターたちがよくその言葉を使った。実際僕も。
でも、今考えるとほとんどの「こだわり」というものはまったく意味のないことものように思われる。「こだわり」は「執着」「拘泥」に繋がる。「執着」「拘泥」するとその先はない。「こだわり」という言葉を使った時点で、すでに他の可能性を捨てているのではないかという思いに至った。
「こだわり」が「究道」へと進めばいい。その道を極めていくことは素晴らしいことだ。でも、多くは「執着」へと進んでいく。「執着」してしまうと、待っているのは後退しかない。
だから、僕は「こだわり」というものを出来る限り捨てた。まだ、捨てきれていない部分もあるが、間違いなく減ってはいると思う。まだまだ途上だが。

多分、イライラしないためにはそんなことも必要なのだろう。もしかしたら、必要なもの以外すべてを捨て去ることが自分を守る術なのかもしれないと思うこともある。でも、なかなかうまくはいかないものだ。

「THETHE」を始めてから、いろいろな人たちの話を伺う機会をいただけた。心が豊かな生活をしている人たち、「こだわり」をきちんと究道にしてそれに邁進している人たち。そんな人たちの話は本当に参考になる。
「そんな風に考えればいいのか!」と。

僕自身は今世ではその域までは達せないかもしれないけれど、無理にやっても達することなど無理だし。でもその触りだけでも感じることができることを幸せに思える。