何とかお仕事乗り切った…明日も忙しいけど…
何か3年前の事振り返れという空気っぽいので、疲れてるけど書いてみる
地震発生時点→職場
直後→周囲の安全を確認後、食べ物と飲み物、現金を確保するため近所のコンビニへ(1日分確保)、後は職場の備蓄があるので無理する必要なし
たまたま持ってきていたPSPとワンセグユニットで只管情報収集してた
TVで見た津波の様子には、正直「戦慄」という言葉以外は無かった、本気で怖かった
幸い海沿いではないものの、東北に母方の親戚がおり、大丈夫か気が気でなかった(結局大丈夫だった)
結局その日は帰れないというのが分かり、まだ余震が続いていた事もあり、頑丈なデスクの下で仮眠
翌日の未明に何とか帰れそうなルートがある事が分かり、電車を乗り継いで帰宅できた
幸い自宅は地震対策していた為、被害は皆無だし、両親もピンピンしてた
帰宅して最初にやったのは、近くのGSで原付の燃料を満タンにした事
暫く地元は陸の孤島と化した為、自宅待機
強く印象に残ってるのは、唯一東京方面へのルートとして機能していた高速バスの停留所に長蛇の列が出来ていた事
人的被害で言えば…自分の半径数kmで言えば皆無に近い(小学生の時にあった大地震の時の方が被害は大きい…何せ近所で壊れたブロック塀の下敷きになって亡くなった方がいた)
IT面の話をしとくと、やはり東京にネット関係が集中していた事などもあり、メールは相当遅配だった(安否確認のメールが夜になってから届くとか、そういうレベル)
でも全滅していた電話に比べればIP網はマシな方
ツイッターは当時アカウントこそ作っていないが、Yahoo!のリアルタイム検索で地震に関するトレンドを追っていた(情報収集のため)
即応性は高いが玉石混交で、中にはデマも混じり、受け手側のリテラシーが相当求められるメディアだと感じた
暫くは時短出勤で、仕事面ではかなり楽させて貰った
…尤も、夏頃から研究開発活動がそーとー忙しくなったのは言うまでも無い(例のゴニョゴニョをゴニョゴニョしてたのかその頃)
最後に、「まだ」3年か「もう」3年かのどちらかと言えば、当然「まだ」
直接の影響は受けなかったとは言え、母方の親戚関係はやはり影響があって今でも引きずってる以上は、まだ「継続中」の出来事である
DRUAGA ONLINE -THE STORY OF AON- #絶望的だが続編を待ち望んでるゲーム