期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

教採が終わった

2012-07-21 20:22:31 | 日記
 後は野となれ。
 今日行われたのは一次だが、今の私にとっては後はもういい。ちゃんと会場に出かけて、例年通り試験を受けてきたというだけで感慨深いものがある。
 久しぶりに県立高校に入って、やっぱりいいなあと思った。まあ毎年通っている会場だから懐かしい。今日は涼しかったから、スーツを着て校内を歩いていると、やはりここが私の居るべき場所だという気がした。
 後はもういいとは言ってみたものの、出来はやはり気になる。おおむね例年と同じ程度には出来たのではないかと考える。例年だいたい一次は間違いなく通るから、今年もたぶん通ったのではないかと思いたいが、試験というものは何が起こるかわからない。万一撥ねられていても驚くには当たらないが、しかし落とされた日には、私が辞めた学校から手が回ったのじゃないかと邪推しそうである。
 ところで今年は、なんだか受験者が少なかったような気がする。高校国語だけかも知れないが、去年は八十何人、今年は六十何人で相当減っている。それで採用数も少なくなっていれば意味がないのだが。
 受験者が少なかっただけに、知った顔には誰にも会わなかった。もしかすると辞めた学校に一緒に勤めた兄ちゃんも来るんじゃないかと思ったが、見かけなかった所を見るとあの学校にうまく根を下ろしたのであろう。結構なことである。まあもしかすると中学国語の方に行ったのかも知れないけれども。
 さらには、去年A校で一緒に非常勤をやって、私にしてはふだん親しく話などもして、今年度は県北の高校で常勤をやっているはずの人も、もしかするとと思ったのだが見なかった。彼は研究の方に軸足を置いているらしく、講師はしても教採では行き会ったことがない。そういう生き方もありかも知れない。
 終わって、大学の中を抜けて歩いて帰って来た。というと会場がわかりそうであるが、文学部の院生募集のポスターを見て、入れてくれないもんかと一瞬思った。まあそれは考えるだけで、学費もないし、去年博士の院試に落ちた時、教授からいったん研究生にならないかと勧められたのを断ってしまったし、今回はなにしろ教授に紹介された学校を二週間で辞めてしまった等々、今さらジロー(古いね)なのである。
 まあ何にしても一つミッションが無事に終わってよかった。久しぶりに達成感を得た感じである。後はもういいというのはそういうことである。

暑さ一段落

2012-07-18 20:58:07 | 日記
 今日は吹く風が少しだけ涼しくなっている。猛暑日が続いている地方もあるというのに有難いことである。天気予報によれば土曜日の教採をねらったように涼しくなるようである。最高気温二五度以下だから、スーツを着て行ってもいいくらいだろう。
 教採と言えば、今日メディアテークに行っていたら、隣の席の姐ちゃんが教職教養の勉強をしていた。ご苦労様です。私なんか参考書と赤シートだけで読んで覚えようと横着しているのに、ちゃんとノートにいちいち答を書いて採点していた。偉いぞ。こういう人が多分合格していい先生になるのだ。
 私は昔からそうだったが、教採の参考書はあまり外で読まない。いかにもこいつ受けるんだなと思われるのが嫌だからである。今年は特に、今さら教採を受けるということには後ろめたさがあるので、参考書などは絶対に持ち出さない。
 今日はとりあえず外に出て外気に身体を慣らすというのが目的だから、お勉強は一休みである。姐ちゃんの隣で『ローマ人の物語Ⅲ』を読んでいた。

 ところで話は変わるが、原発の意見聴取会について。
 あいかわらず姑息な手段をとるなあと思うが、こういう時にどうして電力会社が動員かけるかね。抽選に通るために、組織的に大量に応募を掛けたに決まっている。
 しかし私は逆説的であるが、電力会社社員が出て来て意見を述べたのはかえって良かったと思うのである。中電の社員であったか、原発のリスクは過大視されている、現に福島では誰も死んでいないと言ったそうである。テレヴィに切り取られた一部だけではあるが、電力会社という所は末端の社員に至るまでこういう心情であるのかと思った。これでは国民の声がどこにも届かないのも無理はない。
 かくいう私も、今回自分が被災するまでは、この社員のような気分があったことは否めない。まあ命があったんだからいいんじゃない。大事故や大災害のニュウスを見聞きして、生き残った人々に対しては何となく無意識にそう感じていたようにおもう。
 けれども被災してそれまでの生活を失うということは、さまざまな面において命にも匹敵するような喪失なのである。現に福島では、原発事故のせいで自殺に追い込まれた人が何人もいるという。誰も死んでいないどころの話ではない。
 したがってこんな電力会社に原発を動かす資格などないと私も思うが、だからと言って、大勢寄ってサイカドウ、ハンタイなんて百万遍念仏を唱えて済むものでもない。原発はぜひ無くさねばならぬが、廃炉にするといったら大変な手間と時間がかかるだろう。脱原発の方針を速やかに立てて、しかし一方では、この無用の長物を飼い慣らす技術を、情熱を持って開発し続けねばならない。これが多分いちばんむつかしくて、人間は自分が何か役立つことをやっていると思えて初めて熱意が湧いてくるが、何も生み出さない撤退作業となると阿呆らしくなる。
 だからもはや原発は国がすべて責任を持って、優秀な人材も集めて養成しつづけて、この先数十年か管理するほかないであろう。脱原発と言ったらこういう方法しかないと思う。だいたい活断層さえも無視して建ててしまったようだから、この先何があってもおかしくない。日本が原発なるものを次々作ったのはここ数十年の話だが、列島の大地がこのあいだ静穏であったのは単なる偶然である。阪神からこの方、列島が動乱期に入ったことは学者ならずとも感づくところであろう。
 それでつくづく思うのは、古代ローマにおいても、すぐれた指導者は自国の危機を洞察し、国民とともにそれを乗り越えたのだということである。現代日本にもそれが出来るであろうか。

暑くなった

2012-07-16 20:23:57 | 日記
 グウブログはアクセス数上位三万位まで順位を教えてくれる。本稿は見ての通り飾りも何もない、写真すら一切ない(したがって表示はきわめて軽いと思われる)加えて無名人が気ままに更新しているという地味さだから、今までは順位なんか出たこともなかったのだが、昨日は24893位という値が出ていた。有難いことである。コツコツやっていれば誰かが見ていてくれるのだ。
 ところで今日は暑くなった。全国的にはたいへんな酷暑で、あちこちで最高気温が三十五度を超えたという。それから見れば例によって当地は三十度そこそこだから大したことはないのだが、それなりに暑い。
 午前中、運動も兼ねて少し遠くの生協まで歩いて行った。部屋からいちばん近いマーケットはヨーカドーだが、今日までどまんなか得の市だから混雑しているだろう。何もなくてさえこのヨーカドーはいつも混んでいる。少しばかり安くても、落ち着いて見ることも何も出来ない、周りばかり気にしながら買い回って、レジではしばらく並んで、ようやく自分の番が来ると後ろを気にしながら素早くお金を払い、買った物を詰める台では空いている所を何とか探して、そそくさと詰め込んでようやく出て来る。こんな買い物をしているとだんだん心がすさんで来るように思う。
 だいたい私は主婦ではないので、物の値段には鈍感である。たぶん生協は同じ物でもいささか高いんだろうと思う。それで今日なんか行っても、言葉は悪いが閑散としている。
 実は昨日もこの生協まで行っていろいろ買い物をして来たのだけれど、なにぶん私は主婦ではないので、何かしら買い忘れて一度で用が済まないことがよくある。今日もお昼のパンに使うマーガリンが切れかけているのに気づいたのだが、こういう時に大混雑のヨーカドーには行く気もしないし、マーガリンだけ買おうとすれば何だか周りから白い目で見られそうな気がする。
 こういう時には空いている生協は心安い。マーガリンと大根半分と、洗剤と柔軟剤だけ買って帰って来た。
 片道二十分ほどだからちょうどいい運動だと思ったが、部屋に帰って来たらちょっとクラッとした。まさか熱中症にもなるまいが、何しろ仕事も何もしていないから身体が暑さに馴れていない。今のところ週間予報では、教採はそんな酷暑にもならないようであるが、今のうちに少し出歩いて外気に身体を馴らしておいた方がよいかも知れない。

しのぎやすい

2012-07-15 17:23:20 | 日記
 雨が降ったり止んだりで、あいかわらず湿度も多いが、案外しのぎやすい。全国的には大雨になったり猛暑日になったりの所もあるのから見れば、じめじめだなんて文句を言ったらばちが当たる。
 それにしても今回の九州の大雨・洪水・土砂崩れの災害はすさまじいほどのものである。テレヴィの映像で見ていると、車が流れるなんて大津波と全く同じで、雨が降ってああなるというのは大変な量だったのだろうと思う。
 昔は災害のニュースなんて見てもどこか人ごとであったが、自分が被災して家を失い流浪の身となってみると、被災者の具体相はいちいち想像できるようにおもえる。前日まで何のこともなく平和に暮らしていた家が、取るものもとりあえず逃げ出した、あるいは何の予期もなく出かけた(私はこちらだった)その日を最後として永遠に無くなるのである。お見舞い申し上げますなんて簡単には言えない。
 さて今週の土曜日はいよいよ教採である。今の私にとってはもうこれくらいしか楽しみはない。もはや最終的に採用されるという望みはとうの昔に諦めているが、一次くらい通らなければ一分が立たない。例年そう思って受けているけれど、今年は特に、生きる自信を失って精神的にどん底であるから、一次だけは何としても通って、ひそかに自信を回復したいという思いは強い。しかし大体そういう年に限って失敗する、という気がするのはやはり自信喪失のせいであろう。
 私にとって教採を受けて一次を通るというのは、具体的には講師の口がかかりやすくなろうかというのが例年最大の目的である。けれど今年は、二次に行って面接を受けたら、訴えてみたいこともある。二週間で辞めたということは履歴書にも正直に書いたから、必ず話題になるにちがいないが、無為に過ごしつつ自分を見つめなおした中で、やはり自分には教育という仕事しかないと思った。辞めるに追い込まれたのは管理職と衝突したからで、それまで生徒との関係はきわめて良好であった。それだけに口惜しくもあり情けなくもあるが、ことの軽重からいえば、やはり教員は生徒との関係が第一義であるはずで、管理職や同僚や保護者と少々揉めても、何とでもなるし、何とかやりすごすべきだったのであろう。
 まあ私学は転勤もないという点で逃げ場がないから、公立以上にしんどいわけで、あの反キリストみたいな学校を辞めたについては今さら後悔はない。そして正直な所はせめて非常勤の口があればと思うわけである。
 そんなわけでまた先週から、去年の参考書で教職教養の復習をはじめた。他にやることもないから、一週間もあればたいがいおさらいも済むであろう。と思うのが落とし穴になりかねないわけであるが。

蒸し暑い

2012-07-12 20:27:45 | 日記
 ここ何年かは梅雨寒というべき気候はあまりなくなって、梅雨の間でも蒸し暑い日が増えたように思う。思い出してみると、この海の日前後に特に暑苦しい日が多い。二年前に非常勤をやっていたB校は、偏差値的には低位の農業高校で、生徒は野生児が多かったから、あまりにも暑くて授業にならず、五分短縮とかしてしのいでいたものであった。
 それで今年もここ二三日急に蒸し暑くなって、部屋のエアコンをドライで掛けたり止めたりしていたのであるが、今日の午前中はそれでもなかなか涼しくなった気がしないので、これはどうしたことだろうと考えて、問題は照明にあると思い当たった。
 私の部屋に備えつけてある照明は、普通の蛍光灯ではなく、よくカフェやなんかで見られるスポット型が二つ天井に付いていて、それぞれ向かい合う壁に当たっている。いわゆる間接照明という感じで、雰囲気としては寛げるのかも知れないが、物を読むにはいささか暗い。
 さらにこの二つに百ワットの電球が入っている。冬から春にかけては全く気にならなかったが、当然熱を出す。手をかざしてみると相当熱くなっている。
 当然電力も消費するし、空調の効率もよくない。これは速やかに善処しなければならない。そこで雨が降っているのにもめげず、街に出かけてヨドバシカメラに赴き、今流行りのLED電球を物色した。
 しかし自分の部屋の器具に合うのかどうか、今ひとつよくわからない。結論から言うと電球の口金というものは、二六ミリか一七ミリのだいたい二通りであるようで、太い方なら二六ミリでいい。
 今げんざい部屋ではまっている電球と同じものを見つけたので、売り場の兄ちゃんに確かめて、これなら使えるというのを一つ買って来た。ただしLEDではなく、蛍光灯の電球である。LEDよりは安いし、これでもある程度は節電にはなるし、発熱量も減る。
 もし実際に取りつけてみて、何か不具合があれば、箱を壊したりしなければ返品も出来るというので、なお安心して買って来たけれど、どうもうまく行かんのではないかという予感がした。こういう予感は大概当たる。帰ってはめ込んで見たら案の定うまく入らなかった。口金の直径は合っていたが、その上の部分が太くなっているせいである。
 レシートもちゃんと取ってあるから、明日さっそく交換に行く。どうもこのスポット型の照明に合う電球は無いのかも知らん。これに電球をはめて照らしていた日には暑くて仕方が無いから、別の照明器具を設置することを考えないといけないかも知れない。
 そんなわけで現在は、天井の照明は消して、卓上に蛍光灯のスタンド一つ置いて、何だか停電に遭ったような状況である。明日には何とか部屋全体を明るくしたいと思う。
 さてしかし首尾よくLED電球を入れたとして、これは周知の如く寿命が長い。私は前から言うように、この部屋にはあまり長居をする気がない。まあ引越す時には電球も一緒に外して行けばよいようなものだが、電球だけ持って行って使えるかどうかわからない。やはり照明器具から考えたほうがよいかも知れない。

用足しの一日

2012-07-09 20:26:42 | 日記
 定職の夢がはかなく破れ、私の社会保障は再び国民健康保険と国民年金に逆戻りになった。なにしろ二週間で逃亡してしまったから、社会保険も切り替わらず(しかしこれもずいぶん手続きが遅かったと思うが)保険証も何も貰わずじまいだった。
 それで健康保険の方は表面上は何も変わらないままだったが、年金の方は今ごろになって先週の金曜日に通知が来て、見ると国民年金への加入を「勧奨」すると書いてある。ところが但し書があって、手続きをしないといろいろと不利益があるから、この書類が出されなければこちらで勝手に手続きをして、保険料を納めるように督促することもあるという。
 全く何度も言うように面妖な制度であって、任意なのか強制なのか全く不明である。こんなの信頼に値しないとは誰でも思う所で、生活が苦しくて保険料も払えないとなれば尚更である。
 まさに今の私は無収入でそんな金はない。とりあえず減免申請を出そうと思って、この三月まで住んでいた市に前年分の所得証明書を郵送で頼んであったが、それが届いたのがやはり先週の金曜日であった。
 私は専門家でも何でもないからここで事情をくわしく説明できるわけもないが、引っ越した場合この減免申請を出すには、前の居住地の所得証明がいる、ということは学習していた。要するに市町村が前年の所得を捕捉していないと判定ができないらしい。年金を所管しているのは年金機構だが、しかし個人の所得のデータを持っていないからこういう面倒なことになる。この点でも民主党の歳入庁構想というのはじつにもっともな話だったと思うが、これも財務官僚の抵抗にあって雲散霧消した。
 それで今日は区役所が開いてすぐに出かけて行って、手続きをしてやろうと思ったら、思わぬ故障が生じた。所得証明書がもう一枚要るんだそうである。これまた私には説明しかねるが、この減免申請のサイクルが七月から翌年六月とずれているために、私のように一年足らずで引っ越した人間の場合は、前々年の分の所得証明書も必要なことになるらしい。
 何だか知らんが、ふーん、としか言いようがない。無ければ手続きできないというなら仕方がない。無収入の身で旅費(と言っても往復千円たらずだが)を掛けないために、前に住んでいた市の所得証明書はわざわざ書類を郵送して取り寄せたのだが、今さらそんな暇をかけている場合ではない。ぼやぼやしていると年金機構がまた割符を送りつけてくるであろう。今日はこの手続きをするのが予定だったのだから、どうせ他にやることも無し、さっさと終わらせてしまいたい。
 それで予定を変更して、バスと電車を乗り継いで、震災まで住んでいた故郷の市役所まで出かけた。証明書を入手して、ついでに近くのモールまで歩いて、一服して軽くお昼を食べた。
 実は私は今日は、スーツにネクタイ姿で出かけて来ている。お天気がよいので歩いていると暑い。この節はクールビズで、ビジネスマンでもこんな格好をしている人はあまりいない。無職の癖にどうしたかと言えば、もう一つ用事があって、それは教採の受験票に貼る写真を撮ることである。
 写真は仙台駅の地下の自動写真機ですぐに撮ったけれど、あちこちうろうろして暑苦しかった。今日はもう一つ、一時を期して予備校に教材を受け取りに行くという用事もある。昨日仮設実家に帰っていたら、予備校から連絡が来て、また水曜日の晩に一時間、という注文が入ったのである。週に一時間ずつでは、ひと月で一万円にもならない。じっと手を見る、である。
 教材も何事もなく受領して、まだ早いから街をぶらぶらしようかと思っていたのだが、暑いし、普段になく歩き回ったせいか何だかお腹も不安定になって来たので、帰ることにする。幸いどうやら落ち着いたので、区役所に寄って年金の手続きを完了した。四分の一免除になるだろうという話であった。私の計算では半額はいくだろうと思っていたので落胆だが、どちらにしても収入のない間は無視する所存である。ヤミ米を拒否して餓死した判事ではあるまいし、年金なんか払って生活苦になっている場合ではない。

雨が降っている

2012-07-07 17:26:37 | 日記
 昨夜は一晩じゅう雨音がしていて、それでも目が覚めた覚えはあまりないのだが、やはり眠りは浅かったのか、今朝は何だか眠い。
 眠い原因は他にもあるかも知れない。昨日はメディアテークに出かけて、塩野七生『ローマ人の物語Ⅰ』を読んできた。予備校の打ち合わせに出かけた日に、その前にちょっと立ち寄った榴岡図書館で何気なく読み出したのだが、この本は探してみると市内の各分館どこにでもある。無駄じゃないかという気もするが、まあそれだけ需要があるのだろう。
 しばらく前に全十二巻が完結して、文庫にも落ちているが、なにぶん日々の仕事と勉強に追われていた頃は、実際に読む暇もなければ興味もなかった。それが今のように何にもすることがなくなると、読みたいと思う本に対する心理的ハードルはきわめて低い。ちょっと気になると気軽に読みはじめてしまう。
 そしてこの本はさすがに大変おもしろくて興味深い。古代ローマなんて言ったら現代日本からすれば縁遠いはずだが、人間の営みというものは古今東西を問わないものだなあと思う。
 もう一つには、ふだん私は古文とか和歌ばかり読んでいるものだから、現代日本文はこれほどサクサク読めるものかと嬉しくなってしまう。もちろん塩野先生の文章が物語史書としてきわめて上質だからであるが。
 それで昨日は昼前から夕方まで二百頁くらい続けざまに読みたおしてしまった。本当はもう少し行って読破しようかと思ったのだが、さすがに限界かと思って止めにしたけれど、やはり脳味噌に負荷を掛けすぎたかも知れない。
 今日は朝からまだ雨が音を立てて降っていて、外に出る気にもならない。午前中はうとうとして暮らしてしまった。昼から小降りになり、午後からは上がったので、部屋を出て近くの図書館に歩いて行き、探してみるとやはり『ローマ人』があった。読みかけのⅠ巻を片づけて帰って来た。

 話はぜんぜん変わるが、このあいだテレヴィで、男性にも更年期があっていろいろ身体に変調を来すことがある、という話をやっていた。加齢とかストレスによって、男性ホルモンの分泌が減ると、ほてりとか発汗といった身体症状、あるいは不安感とか鬱といった精神症状が出るのだそうである。
 この手の話題は、言ってみればNHKのあさイチ系で、こう平然と書いていいのかどうかわからないが、私はここしばらくの自分の状態が、まさにこれではないかと思ったのである。
 震災からこの方、とつぜん一人暮らしとなりながら仕事を続けてきたのは間違いなくストレスであり、引越しをして新しい学校に常勤に変わったのもそうである。辞める前から訳もなく涙が止まらなくなっていて、辞めてからもそれは続いている。これは明らかに抑うつ症状と言ってよいが、背後にはこの男性ホルモン低下が充分疑われる。
 私という人間は生来色欲の薄い方で、しかも常人とは逆向きのベクトルを持っていたのであるが、三十代も終盤になって気がついてみると、昔に比べてそういう心情の動きが全くなくなった。簡単にいうと、枯れちゃったということですね。
 ネットでいろいろ検索して見ると、この男性更年期の自覚症状として「自分の絶頂期は過ぎたと思う」云々というのがある。私がいちばん同感するのはこのあたりで、いや自分の人生に絶頂期なんかついぞなかったが、それでも、この地上で自分の為すべき仕事はもう何もないと思う。
 いろいろ辛い症状があればお医者に行きなさいということになるのだが、私の場合は自殺念慮もどうやら治まっていることだし、今さら医者に行っても仕方がないよなと思う。家庭があったり責任ある地位に就いている人は、そりゃ治さないといかんだろうが、私なんか子孫も残すこともなく、後は自分一人をどうにか始末するだけである。だいたい生物の自然として、生殖が終われば個体の寿命は尽きる。ホルモンの分泌が減って枯れていくのは、これほど自然なことはない。
 ところが人間はそうも言ってられないから、治療としては男性ホルモンの補給が行われるのだそうである。それで生命力を回復させてやると、生き方も積極的になり、自然とホルモンバランスも良くなってくるらしい。
 ところが日本では、この治療がまだ保険で認められていないそうで、必然的に高価になる。全く馬鹿な話で、ホルモン注射なんか命に関わらない贅沢だとでも思われているのかも知れないが、この国の自殺者の何割かは、鬱病の背後に男性更年期が隠れていると私は思う。自殺対策なんて具体的に何をしているのか知らないが、早くこの治療法を保険認可して、男性更年期の対策を行うべし。

仕事してきた

2012-07-05 11:31:04 | 日記
 仕事というほどのものではない。昨年度なんか、非常勤ではあったけれども二校掛け持ちしていたから、毎日登校して多い日は六コマも授業をしていた。それに比べれば七十分ばかりの個人指導一つなんて仕事のうちに入らないよなと思う。
 それでも予備校という所は夜が主戦場で、一昨日は打ち合わせで六時半から、昨夜の指導は八時前から九時までで、帰って来て寝るのが普段より一時間ほど遅くなった。まあそれでも十一時前後だから、世間一般から見ればぜんぜん遅くもないのだが、私にとっては遅い。それでほとんどいつも通り六時すぎに起きているので今日は眠い。
 ところで昨日はついに恐れていた事態が起こってしまった。仕事は七時五十分からなので、早めに晩ご飯を食べて、七時前くらいに部屋を出て、近くのバス停からバスに乗った。二つばかり先が、私の辞めた学校前である。生徒がたくさん乗ってきて、私はしかし別に慌てもせずに外をながめていた。私のいたスーパー進学コースは、夜八時くらいまで授業をやっていたはずだからである。辞めてすぐに書類をぜんぶ処分したから、時間割なんかももう忘れているが、こんなに早く帰ってくるわけはない。
 私は座って外をながめていて、その横に女子高生たちが立っている。しばらくは彼女らそれぞれに賑やかに話し合っていたが、段々なんとなくこちらに意識が向いているような気がする。それでも私を知っている者などあるまいと高を括っていたら、いきなり先生…と声を掛けられたので飛び上がりそうになった。
 顔も名前も忘れ果てていたが、授業を担当していた一年生たちであった。あの学校八時までじゃなかった、と訊いてみたら、六時何分までだったそうである。私が辞めたのは四月中旬だったから、まだ日は短くて、夕方早いうちに暗くなっていたのだろう。
 何しろ混んだバスの中だから詳しい話もできかねた。と言うより何を話していいものやらわからない。管理職に一方的にやっつけられて神経が切れて、後は校長とのやりとりだけで、生徒には何も話さずに学校から姿を消してしまったから、とにかく申し訳なかったと謝るより他はない。私が穴をあけた授業はどうなったかとか、学校からはどういう説明をされたかとか、今さらこちらから訊けたものではない。
 一人の生徒に、辞めてほしくなかったです、と言われたのだけはこたえた。生徒まで管理職みたいな事を言いやがる、とおもったが、生徒の言うのは本心である。子供は何歳でも決して天使ではないが、こういう時に大人のような打算はない。おいらだって辞めたくはなかったやい、と言いたいが、それにしても生徒たちはこんなに素直なのに、あの学校にはどうしてあんな悪霊に憑かれたような管理職がいたのであろうか。イエス様にお願いして汚れた霊を払ってもらってはどうか。
 あの管理職については辞めてからもいろいろ思いめぐらすこともあり、教訓らしきものも思い得たような気がしていたが、改めて書いてみようとするとやはり意味がないように思える。しょせん彼の下では仕事はできなかったと思うし、今さらあれこれ反省しても取り返しのつくことでもない。加えて色々考えているとまた恨みがこみ上げて来て、私の方が生霊みたいになっても困る。

ここではないどこかへ

2012-07-01 20:31:56 | 日記
 人は誰しも夢を持たなければならない。夢と言うと大げさであるが、将来こうしたいとかこうなりたいとか、未来に向けての望みがないと生きている甲斐がない。決して崇高だったり大きなものでなくてもいい。実現の見込みがあるなしにもよらない。さらには範囲はこの世に限ったことでさえないかも知れない。中世の人々にとっては、極楽往生というのが将来のかなり大きな希望だったりした。
 さて私は二ヵ月半前に心身を病んで仕事を辞めて、以来ずっとこの、将来への望みらしきものは全くない状態だったなと改めて思う。これは今までの自分の心情からしても、かなり異常なことである。朝目が覚めても、ああ朝だなと思うだけである。穴の中に閉じ込められたようで、今日は何をしようという心の弾みも何もない。
 ところがである。二三日前であったか、ふとひそかな希望を思いついて、妙に愉しい感覚が蘇っている。それは一言で言ってしまえば、北海道移住。講師登録して、仕事が来たらどこでも移り住む。容易なことでは実現不能とはわかっているのだけれども、自分を取り巻く現実に対して、こうありたいというヴィジョンを描けるようになったのが大きいのである。
 とにかく、辞めた学校と同じ町に住んでいるというのが精神的につらい。外を歩いても、どこで関係者に行き会うかと、常にどこかでびくびくしている。二週間しか勤めなかったから、個々人の情報はほとんど詳らかにしなかったが、同じ国語科の教員の一人は徒歩で通っていたのを何度か見たから、間違いなく近くに住んでいる。だいたい辞表を送りつけて出奔したその日に、部屋からバス停に行く途中、路地の向こうから彼が歩いて来るのを見て慌てて引き返したくらいである。
 さらには怖ろしいことに、噂によると校長は、私がよく行く図書館の向かいに住んでいるという話である。今日なんか日曜日だからその辺を歩いていても不思議はないと内心身構えて、夕方帰りに学校の前を通ったら、今日はオープンキャンパスだったらしい。ならば当然学校にいただろう。
 他にも先週の土曜は、――って書き出して、この話どこかでしたっけなと思ってちょっと調べたが、どこにも書かなかったらしいのだが、本当かしらん――午前中バスに乗って街に買い物に出かけて、昼前に帰ろうと思ってバスプールに行ったら、列のいちばん前にこの春一緒に勤めはじめた兄ちゃんが見えたので、あわてて引き返して近くの本屋に入って時間をつぶした。しばらくして戻ってみたら列は消えていたからホッとして並んでいたら、今度は別の若い女の先生が半笑いで歩いて来たので絶望した。結局、ちょっと方面の違うバスに逃げ込んで、離れたバス停で降りて歩いて帰った。それから一日泣き暮らして、首を痛めたのは翌日の日曜である。
 土曜日も授業をしている学校なのだが、教員は自分の授業に合わせて三々五々出勤して来るらしい。それで私は学校と同じ町内に住んでいるからこうなる。
 だからなんとかして早く仕事を見つけて、この町を脱出したいと思う。脱出するなら県内の学校でよさそうなものだが、何度も言うように非常勤は年度途中には来ないらしい。さらに加えて、これは私の妄想に近いが、辞めた学校が火元になって、この県の教育業界には私という人間の悪評が出回っていそうな気がする。あながち根拠のない妄想とも言えないというのは、三月まで非常勤をしていた学校で、校長や教頭に、某校に採用されまして云々という話をしたら、校長会であそこの校長先生にも会ったことがあるけど厳しそうな人だよねえなどと言われたりしたものであった。世間は狭いのである。何かの話のついでに、彼は二週間でうちを辞めた奴ですなんて言われていてもおかしくない。
 そんなわけで、この際誰も自分を知らない所へ行ってしまいたいと思う。そういう考えが安易であるという事はさておいて、なぜ北海道か。別に他県でもよいのだが、何年か前に北海道には教採を受けに通っていた。保管してあった受験票は津波で失ってわからなくなってしまったけれど、一次と二次で年に二回ずつ、数年にわたって毎年出かけて、同じホテルに泊ったりしていた。さらに情報の免許を取るために、とある大学の夏休みのスクーリングで二週間くらい滞在したこともある。
 実際は夏の札幌しか知らないわけだけれども、そんなわけで何となく北海道は懐かしい土地である。実際移り住んで暮らした日には、私なんか明治の開拓民みたいな苦難に遭うに決まっているが、そういう現実は今はどうでもいい。茫漠たる夢によって人は慰められることもある。

暑くなってきた

2012-06-30 14:28:21 | 日記
 だいたいこの稿は、昔から知名度も低いし、更新もままならない頃は見る人もすくなくて、IPは一日二十件を出ず、PVは四、五十回がいい所であったのだが、仕事を辞めて暇が出来て、つれづれなるままに書き連ねていたら、だんだん読者が増えてきて、この頃は一日あたりのPVが百数十回に達していた。有難いことである。そして驚いたことには一昨日などは三九五という値が出ていた。今までの最高記録である。まあこの程度では順位なんか出やしないけれど、数が増えるのは何となく嬉しい。
 さて昨日あたりからこの辺りも暑苦しくなってきた。昨夜はお風呂から上がってついにエアコンをつけてしまった。自動で動かしたらちゃんと涼しい風を送ってよこした。もう七月なのだからそういう時節である。
 非常勤の決まった予備校から昨日連絡が来て、とりあえず来週の火曜日に研修と称して打ち合わせに行くことになった。夕方の六時半からだそうである。
 それはまだいいのだが、さっそく翌日に一人指導してほしいというので、時間をきくとだいたい八時から九時までだという。さすが予備校というところは夢は夜ひらくというか、夜更けまでやっているものだと思う。この間もらってきたパンフレットに載っていた時間割によると、ネット利用の遠隔指導はもう日付の変わる頃までやっているらしい。
 私は生来、夜は寝ないと駄目な人である。だいたい十時半前後には床に就いて、七時間半は寝る。そうしないとてきめんに体調が崩れ、頭の働きが鈍くなり、精神的におかしくなる。大学受験の年もだいたいその通りの生活で乗り切った。睡眠を削ってまでやらなきゃいけない勉強や仕事なんて、そのノルマの方が間違っているのだと思う。
 そういう主義の人間が、進学指導に血道を上げる高校なんかに行ったからあっという間に不適応を起こしたのだと思うが、それでさらに予備校に結縁しようというのはいかがなものかという気もするが、さらに言えばいわばこういう睡眠本能主義で、現代社会に生きていけるのかという根本的な疑問も生じかねないわけであるけれども(だからこうして居場所もないわけだ)、それはとりあえず置いておきたい。
 しかし人間という生き物は、基本的に寝ないといかんようにできているのである。当地の県教委は、早寝早起き朝ご飯なんてことを子供には推奨していて、大変よいことだと思うが、私なんかそんな運動が展開されるはるか昔からそういう育ち方をした結果、いまだに夜は寝ないと生きて行けない大人になってしまった。この国では大人になったら夜も寝ずに働かねばならないのであれば、子供のうちから夜更かしをさせて鍛えた方が当人のためかも知れない。
 人が自殺に追い込まれるについてはさまざまな要因があろうが、寝ない、物を食べない、という単純なことが精神を追い込むことは間違いがない。夜は家に帰って寝る、というあたり前の希望が、この国では何だか背徳か罪悪のようになっている。だからいっそのこと永遠の眠りを求めてしまう人が、年間三万人以上もいるのだと思う。
 また馬鹿なことを書いているうちに紙幅が尽きたが、そんなわけで来週は久しぶりに仕事に行く。どうも話を聞く限りではあまり需要はないらしい。私の方は夜中まで働く気はないし、これはやはり高校非常勤がどこかから降って湧くのを期待するしかない。