後は野となれ。
今日行われたのは一次だが、今の私にとっては後はもういい。ちゃんと会場に出かけて、例年通り試験を受けてきたというだけで感慨深いものがある。
久しぶりに県立高校に入って、やっぱりいいなあと思った。まあ毎年通っている会場だから懐かしい。今日は涼しかったから、スーツを着て校内を歩いていると、やはりここが私の居るべき場所だという気がした。
後はもういいとは言ってみたものの、出来はやはり気になる。おおむね例年と同じ程度には出来たのではないかと考える。例年だいたい一次は間違いなく通るから、今年もたぶん通ったのではないかと思いたいが、試験というものは何が起こるかわからない。万一撥ねられていても驚くには当たらないが、しかし落とされた日には、私が辞めた学校から手が回ったのじゃないかと邪推しそうである。
ところで今年は、なんだか受験者が少なかったような気がする。高校国語だけかも知れないが、去年は八十何人、今年は六十何人で相当減っている。それで採用数も少なくなっていれば意味がないのだが。
受験者が少なかっただけに、知った顔には誰にも会わなかった。もしかすると辞めた学校に一緒に勤めた兄ちゃんも来るんじゃないかと思ったが、見かけなかった所を見るとあの学校にうまく根を下ろしたのであろう。結構なことである。まあもしかすると中学国語の方に行ったのかも知れないけれども。
さらには、去年A校で一緒に非常勤をやって、私にしてはふだん親しく話などもして、今年度は県北の高校で常勤をやっているはずの人も、もしかするとと思ったのだが見なかった。彼は研究の方に軸足を置いているらしく、講師はしても教採では行き会ったことがない。そういう生き方もありかも知れない。
終わって、大学の中を抜けて歩いて帰って来た。というと会場がわかりそうであるが、文学部の院生募集のポスターを見て、入れてくれないもんかと一瞬思った。まあそれは考えるだけで、学費もないし、去年博士の院試に落ちた時、教授からいったん研究生にならないかと勧められたのを断ってしまったし、今回はなにしろ教授に紹介された学校を二週間で辞めてしまった等々、今さらジロー(古いね)なのである。
まあ何にしても一つミッションが無事に終わってよかった。久しぶりに達成感を得た感じである。後はもういいというのはそういうことである。
今日行われたのは一次だが、今の私にとっては後はもういい。ちゃんと会場に出かけて、例年通り試験を受けてきたというだけで感慨深いものがある。
久しぶりに県立高校に入って、やっぱりいいなあと思った。まあ毎年通っている会場だから懐かしい。今日は涼しかったから、スーツを着て校内を歩いていると、やはりここが私の居るべき場所だという気がした。
後はもういいとは言ってみたものの、出来はやはり気になる。おおむね例年と同じ程度には出来たのではないかと考える。例年だいたい一次は間違いなく通るから、今年もたぶん通ったのではないかと思いたいが、試験というものは何が起こるかわからない。万一撥ねられていても驚くには当たらないが、しかし落とされた日には、私が辞めた学校から手が回ったのじゃないかと邪推しそうである。
ところで今年は、なんだか受験者が少なかったような気がする。高校国語だけかも知れないが、去年は八十何人、今年は六十何人で相当減っている。それで採用数も少なくなっていれば意味がないのだが。
受験者が少なかっただけに、知った顔には誰にも会わなかった。もしかすると辞めた学校に一緒に勤めた兄ちゃんも来るんじゃないかと思ったが、見かけなかった所を見るとあの学校にうまく根を下ろしたのであろう。結構なことである。まあもしかすると中学国語の方に行ったのかも知れないけれども。
さらには、去年A校で一緒に非常勤をやって、私にしてはふだん親しく話などもして、今年度は県北の高校で常勤をやっているはずの人も、もしかするとと思ったのだが見なかった。彼は研究の方に軸足を置いているらしく、講師はしても教採では行き会ったことがない。そういう生き方もありかも知れない。
終わって、大学の中を抜けて歩いて帰って来た。というと会場がわかりそうであるが、文学部の院生募集のポスターを見て、入れてくれないもんかと一瞬思った。まあそれは考えるだけで、学費もないし、去年博士の院試に落ちた時、教授からいったん研究生にならないかと勧められたのを断ってしまったし、今回はなにしろ教授に紹介された学校を二週間で辞めてしまった等々、今さらジロー(古いね)なのである。
まあ何にしても一つミッションが無事に終わってよかった。久しぶりに達成感を得た感じである。後はもういいというのはそういうことである。