今日も昨日に続いて終日快晴、梅雨の中休みという感じである。日ざしは強いが空気はあんがい乾いていて、青空が深い。教採を受けに札幌に通っていた頃を思い出す。久しぶりにまた行ってみたいものだと一瞬思ったが、もう行くことはあるまい。
だいたい深く澄んだ青空を見上げようにも私はあいかわらず首が痛い。だいぶよくなったがまだ垂直方向は無理である。斜め四十五度くらいが限界か。街路樹の銀杏の樹のてっぺんが見えるかどうかだった。
それは面接がぶじ済んで、ベローチェで一服して、夕方帰る時の話である。今日は午後から、昨日連絡のあった某予備校に予定通り出向いて、面接を受けてきた。履歴書を見ながら一通り話をして、ではよかったらこれから筆記試験を受けてもらいましょうということになり、専門(笑)の古文の受験問題を一つ解いて、指導のポイントを書いてきた。
なにしろ久しぶりだから全然忘れていたら困るなあと思ったが、実際読んでみたら、自分で言うのも何だが、掌を指すが如しという感じであった。まあ問題そのものも、旧帝大なんてクラスではなく、中堅程度の地元大学の過去問だから、それほど難しいわけでもない。
しかし仕事を辞めてから二ヶ月ぶりにさわってみると、やはり自分の才能はこの方面にあるのだなあと実感した。生徒に教えるということはまた別としても、若い頃から身体で覚えた古文は伊達ではない。今さら全く別の道を模索している場合ではない。
答案を出したらすぐに問題なく採用ということになったらしく、書類を一枚渡されて帰って来た。またいずれ連絡が来るそうである。個別指導ということで、対象者がどのくらい居るかはわからず、よって週にどのくらい仕事があるかはまだ不明である。
いざ働くということになったら、果たして大丈夫か知らんという不安はある。四月に勤めてすぐに逃げ出した学校は、とにかく受験指導に血道を上げている所だった。理屈から考えれば、予備校となるとそれに輪を掛けたような所だろう。私の場合学力に問題はないのだが(笑)、別の所に精神的な欠陥がある。何が原因でまた神経が破断するかわからんと思うが、さすがに今度投げ出したら人生おしまいだと思う。ていうか受験生諸君におかれては、偏差値の高低は必ずしも人生の幸福を保証しないと知っていただきたい。私という人間が生き証人である。
だいたい深く澄んだ青空を見上げようにも私はあいかわらず首が痛い。だいぶよくなったがまだ垂直方向は無理である。斜め四十五度くらいが限界か。街路樹の銀杏の樹のてっぺんが見えるかどうかだった。
それは面接がぶじ済んで、ベローチェで一服して、夕方帰る時の話である。今日は午後から、昨日連絡のあった某予備校に予定通り出向いて、面接を受けてきた。履歴書を見ながら一通り話をして、ではよかったらこれから筆記試験を受けてもらいましょうということになり、専門(笑)の古文の受験問題を一つ解いて、指導のポイントを書いてきた。
なにしろ久しぶりだから全然忘れていたら困るなあと思ったが、実際読んでみたら、自分で言うのも何だが、掌を指すが如しという感じであった。まあ問題そのものも、旧帝大なんてクラスではなく、中堅程度の地元大学の過去問だから、それほど難しいわけでもない。
しかし仕事を辞めてから二ヶ月ぶりにさわってみると、やはり自分の才能はこの方面にあるのだなあと実感した。生徒に教えるということはまた別としても、若い頃から身体で覚えた古文は伊達ではない。今さら全く別の道を模索している場合ではない。
答案を出したらすぐに問題なく採用ということになったらしく、書類を一枚渡されて帰って来た。またいずれ連絡が来るそうである。個別指導ということで、対象者がどのくらい居るかはわからず、よって週にどのくらい仕事があるかはまだ不明である。
いざ働くということになったら、果たして大丈夫か知らんという不安はある。四月に勤めてすぐに逃げ出した学校は、とにかく受験指導に血道を上げている所だった。理屈から考えれば、予備校となるとそれに輪を掛けたような所だろう。私の場合学力に問題はないのだが(笑)、別の所に精神的な欠陥がある。何が原因でまた神経が破断するかわからんと思うが、さすがに今度投げ出したら人生おしまいだと思う。ていうか受験生諸君におかれては、偏差値の高低は必ずしも人生の幸福を保証しないと知っていただきたい。私という人間が生き証人である。