期間限定の独り言

復興の道のりはつづく。

職安に行って来た

2012-08-11 20:37:21 | 日記
 私のひそかな期待では、夏休み明けを期してどこかから非常勤の口がかかるのではないかと思っているのだが、もしかすると今年度いっぱいは何にもないのではないかと弱気になってしまう。
 そこでまた懲りずに職安に行って、昨夜のうちにネットで見つけておいた求人の紹介状を作ってもらった。
 しかし私の昔からの印象では、職安で紹介された口は大体ろくなものではない。この六月下旬だったか、某予備校の個人指導に応募して、採用されたはよかったが、全然仕事がない。職安に出ていた条件では、少なくとも週一時間以上、という話だったのに、七月に三回やり、八月になってからは二回キャンセルになって結局一度もお座敷がかからない。国語はとかく希望者がいないのですというが、やっぱり学習塾に毛の生えたような所は駄目である。こういうのをこの辺の言葉では「ずらもん」という。別にかつらをかぶった人のことではなく、一般に見掛け倒し、看板に偽りあり、という場合に使うと感じが出る。
 そんなことはさておき、何年か前にも、職安で見つけた別の某予備校から、市内の私立高校に派遣されて非常勤をやったが、あの時はなんと一ヶ月で一方的に首にされた。まああの私立高校もすさみきった学校で、もと女子高だったのだが、生徒は全くやる気がなく、昼前にどんどん勝手に帰っていくような所だった。馬鹿馬鹿しいから文句も言わずに大人しく首になっておいたが、いまいましい経験ではあった。
 かくの如く職安に出ている求人は質が悪い、と思いつつ、他に手もないというわけで、今回応募するのは大学の研究補助員である。パートではあるが、週五日十時から五時というので、一応人並みには働けそうである。
 そして自分でも笑ってしまうのが、一応これが私の母校なのである。この間までいた文学部ではなく、最初に卒業した理科大学で、科は違うが万一採用された日には、卒業してから十数年ぶりに同じキャンパスに通うことになる。
 理科大学では修士も加えて六年も足が抜けなかったが、ずっと薄暗い気分で暮らした中でも、後半の研究室生活は、助手と一人の学生に目の敵にされて本当に辛かった。
 一方で当時の教授と助教授は、非常に親身に接してくれた。歳月がすぎて教授は退官し、助教授が教授になっているのだが、震災の時は心配してあちこち電話で聞き合わせて、わざわざ避難先の親戚の家まで訪ね当ててくださった。
 万一採用になった日には、当時の助手(現准教授)には会いたくないが、教授には仁義を切りに行かねばなるまいと思う。
 しかしそんなことは考える必要はまずあるまい、というのは、採用される人間はまず内部で決まっているだろうからである。大学という所は、こういう話は出身の学生など縁故で決めてしまう。今日び卒業して口が決まらない元学生などいくらも居る筈で、研究室のこともよく知っているだろうし、どこの馬の骨を採るなんてことは考えられない。
 それでも職安に求人を出すのは、官立の大学だから、そういう人事は一応公募しましたという形をつけたいのであろう。最初から内定している人間に、職安から紹介状を取って応募させて、何事もなかったように其奴を採るのである。何も知らないよそ者は、もしかしてという儚い希望だけ抱かされて終わりである。
 まあそれでも、宝くじと同じことで、ささやかな夢を買うと思えばよい。履歴書を書いて送る手間と費用など大したことはないし、その程度の夢さえなくては日々がいっそう暗くなる。

鬱の一日

2012-08-09 20:59:38 | 日記
 今日は久しぶりに自殺念慮が起こるくらい気が塞いで、まともに日記を書く気もしない。
 最大の原因は体調不良である。朝起きたらかなり感じが悪くて、朝ご飯を食べられないかと思った。厠に行ったりお湯を飲んだりしているうちに少し立ち直って、ようやく味噌汁を煮て食べた。
 さらにその原因をさかのぼると昨日の食べすぎに行き当たる。新築の叔父の家で、和尚さんを呼んで、新調した仏壇の開眼供養をやるというので、私も暇なので参列した。お昼がだいぶ遅れた上に、多量のパスタを無理に食べたせいで、晩まで胃がもたれた。晩ご飯はまた仮設実家で頂いたので、普段より明らかに分量は多めであった。
 それで今日はまた、叔母がケーキを買って来てくれて、弟の家で弟の誕生祝いをするというので、私も招ばれていたのだけれど、どうにもだるいので母に欠席の連絡をした。
 体調の他にも気が進まない理由はあって、いろいろ考えているうちに気分が落ち込んで来る。もっとも気が重いのは、やはりお金の問題である。弟の嫁の手前もあり、誕生祝いに招ばれたからには手ぶらで行くわけにもいくまい。昨日の心積もりでは、本屋で図書カードでも包んでもらって持っていくことを考えていた。
 しかし何分にも無職無収入の状態で、昨日は見栄を張って叔父の家にも菓子折りを持って行って散財した。遣うばかりで入って来ない中で、このままでは行き着く先はどうなるのか。そう思う一方で、他ならぬ弟に上げるお祝いを惜しむとはなんとけちな人間かと後ろめたい。
 そういうことを縷々考えていると、この稿でも何度も書いているが、行き着く所は例によって、職を失った悲しさであり、みなし仮設をみすみす出て来た口惜しさであり、何一つ良い事がなかったあの学校でのいろいろな記憶である。
 ここしばらくは痔疾と便秘に悩まされて胃腸の調子もよくないのだが、いっそどこかに癌でも出来ていればよいと思う。こんなことを書けばさだめし、本当に不治の病で生きたくても生きられない人のことを考えなさいとか、罰当たりだとか言われるにちがいないが、この頃の私の偽らざる実感である。私の生涯四十年生きて何も為すこともなかった。もういいと言いたい。古典語では、まろはいかでとく死なばや、という。「いかで~ばや」は自己の希望「なんとかして~したい」と訳す。こんなのは憶えなくてもいい。

いじめは複雑怪奇である

2012-08-07 20:45:39 | 日記
 全国ニュースで報道されているから見た人も多いと思うが、仙台市内の私立高校に通う男子生徒が、同級生から腕に根性焼きを強要されたといって警察に被害届を出した。
 大津の話はなんと言っても感覚として遠かったが、地元の話となるとやはり無関心ではいられない。まず第一にあれは一体どこの学校だったんだろうと思うが、事件の性質といい、所轄が仙台東署で、さらにぼやかされてはいるが学校の外観の映像を見ると、あそこじゃないかなあと心当たりもあるわけだが、さすがに匂わす程度にも書くわけにはいかない。知りたい人はそのうち某掲示板に出るだろう。
 生徒の腕の火傷の跡を見ると、なんてひどいことをと誰しも思うだろうし、加えて、現在の報道では、被害者生徒に学校は自主退学を求めたという話で、何という非常識な学校かと思われているにちがいない。私も最初はそう感じた。
 しかし断片的な報道をよく聞いてみると、〈加害者〉は〈被害者〉に対して(と一応言っておく)根性焼きをしないと友だちをやめるぞとか、根性がないのをばらすぞとか言って脅かしていたらしい。
 なんとまあ子供っぽいと呆れざるを得ないが、これが最近の高校生の現実であって、これを幼稚というなら往年の日本赤軍にせよ、談合をしてつかまる企業の社員にせよ、要するに何らかの関係性を保ちたいがために、密室の中で犯罪が行われてしまう。子供だけの話ではないのである。
 おそらく〈被害者〉生徒は、たとえ根性焼きをされても、〈加害者〉生徒との関係を保ちつづけたかったのであろう。当初は〈いじめ〉という意識さえなかったのではないかと思う。これはDVや児童虐待にも共通するメンタリティで、どんなにひどい目に遭っても相手との関係性を保ちたいがために耐えてしまう。人間というものはそのくらい人恋しい生き物なのである。
 当初は担任その他も、おそらく〈被害者〉を〈加害者〉といわば同類項として見ていたのではないかと思う。根性焼きの傷跡がプリクラに撮られて、他の生徒にも見せられていたそうで、加害生徒はこれによって自分の力を学内で誇示しようとしていたのだろうが、道具として使われていた被害者もその一味としか見えなかった。だから学内の雰囲気を悪くするものとして、退学させようとしたのであろう。
 自分だけ学校を追われるという段になって初めて、〈被害者〉はこれを〈いじめ〉として意識したのではないだろうか。たぶん本人以上に保護者がそうだと思う。高校生ともなれば、親は自分の子供の生きている世界などわからないもので、今回の事案など普通に見れば、わが子がいじめられたのに、学校の都合で退学を求められたとしか見えないだろう。内心では、やはりうちの子は実は彼らとは〈友だち〉だったのだと勘づいてはいると思うが、それにしても退学は納得いかないという気持ちはよくわかる。
 一言に〈いじめ〉というけれど、現実の関係のあり方というのは実にさまざまだと思う。ある人間関係が、その当事者らにとっては〈友だち〉であり、学校関係者もそう見ていたが、見方が変わると〈いじめ〉となってしまう。
 それで一方的に断罪されたら学校もやってられんよなと少しだけ同情するが、まあそれにしてもあの学校(?)はろくなもんじゃないと前々から私は思っていたが、やっぱり生徒と同じ視点で物を見てはいかんだろう。大人の常識を持ち、それを子供たちにしみ込ませるようにしないといけない。
 ちなみに私の逃げ出した学校も、偏差値しか見ていない、かなり歪んだ世界観を持っていて、いずれ問題が起きてもおかしくないと思っているのだが、まだ無事のようである。まあ私は崇徳院みたいにもなりたくないから(ああいう根性もない)積極的に呪詛しているわけでは決してないのだが。

雷雨

2012-08-06 20:54:40 | 日記
 昨日は朝から何となく頭が痛くて、これはかくれ脱水かと思っていたのだけれど、晩になってごくうっすらと喉も痛んできて、風邪の引きかけだと診断した。その前にあちこちの冷房で寒い目に遭ったから、身体が冷えたに違いない。
 それで昨夜は早めにパブロンを飲んで寝た。他には表立って風邪の症状はないけれど、この頃は寝苦しくてずっと寝不足ぎみだから、眠り薬の助けを借りてしっかり眠れればちょぅどよい。
 それで朝になっても薬が残って、一日何となくうつらうつらしていた。私の気のせいばかりではなく、ここ何日かにもないくらい朝から蒸し暑くて、午前中から冷房をかけないと部屋に居られない。
 ようやく昼まえに少しはっきりしてきたから、生協まで歩いて買い物に出た。その時はまだ日ざしもあって、ただ青空に怪しい入道雲が出て、西の空には灰色の雲が出ている程度だった。
 だからそんなに状況は差し迫っているとも思わなかったのだが、帰り着いたら普段から穴ぐらのような部屋が妙に暗くなっていて、雷鳴がしてきたと思ったらあっという間にバシバシと雨が降り出した。稲妻は光るし一時は相当にぎやかだった。あまりガラガラいうので停電にでもなるかといささか不安になったが、一時間ほどで治まった。
 後は何事もなかったように日が照ってきて、外はとんでもなく蒸し暑くなっただろう。怖ろしいから窓も開けずに、一歩も外に出なかった。今日は本当は某大学の図書館に初めて偵察に行く予定だったのだが、また雷になっても嫌だから止めにした。
 思えば今日は仙台七夕の初日である。三日間のうち必ず一日は雨が降ると昔から言われているが、今年もちゃんと降って、ずぶ濡れになった人もいただろう。お祭りでとんでもなく混むから、明日明後日は街には行かれない。

寒かった

2012-08-04 09:11:45 | 日記
 この真夏に何をとぼけたことをと言われそうだが、昨日はあちこちで寒い思いをした。お天気が久しぶりに曇りになって、ほとんど太陽が出ず、最高気温そのものは三十度くらいまでは上がったようだが、一日を通してみると二十五度前後の時間帯が長かったらしい。それでこれまでの猛暑日仕様の服装で外出したら寒いに決まっている。
 それに加えて、やはり冷房の影響というのが少なくない。涼しくなったんだから気候に合わせてくれればよいのに、朝出掛ける時の市営バスなんか窓に結露していた。内側を冷しすぎているものだから、熱い空気に接して外側に結露する。冬と逆である。
 それでも冷房を全く止めるわけには行くまい、というのが難しい所である。バスの車内では見知らぬお客どうしが、寒いですよね、なんて言葉を交わしていて、それが聞こえたらしい運転手さんは全く冷房を止めてしまって、するとじわじわと暑くなって来る。どうしていい具合に動いたり止まったりという設定をしてくれないものかと思うが、運転で忙しいのだからそう冷房にばかり気を遣ってはいられまい。
 昨日は部屋の近くの図書館ではなくて、バスに乗って太白図書館まで足を延ばした。仙台市では定期的に市の機関の窓口アンケートというのを取っていて、市民からの評価を五段階で発表しているのだが、市内六館の中ではいつも太白がいちばん成績がよいようで、確かにいろいろな面で快適だとおもう。
 空調の具合も四季を通じていい具合なのだけれど、昨日は昼まで居たらやはり少し涼しかった。朝うちを出る時に、長袖シャツを持って行こうかなと一瞬思ったのだけれど、つい怠ったからこういうことになる。
 お昼はこれ以上冷房にかかったらつらいので、外のオープンスペースで、コンビニからおにぎりを買って食べた。休憩を取るにもいろいろな選択肢があるのが太白図書館のいい所だが、外の風に当たっていても何となく冷や冷やした。
 一枚羽織るものがありさえすれば、午後ももう少し図書館でゆっくりしたかったのだが、これ以上頑張っていると身体によくないので早々に引き上げた。街に戻って、ダイエーの地下で食料品の買い物をして帰って来た。とにかく寒いからカフェにもどこにも入れない。珈琲を一杯やりながら何か読むという愉しみが封じられて、お財布には有難いがやっぱりつまらない。
 それで何となく薄ら寒いまま昨日は終わって、このまま身体が冷えてはいけないので、お風呂に入って寝たら、夜はとんでもなく暑苦しかった。ハンカチがぐっしょり濡れるくらい汗をかいた。そんなわけで今朝は何だかぼんやりしている。本当はどこか行きたいけれど、冷房を切って窓を開けて、部屋でじっとしているのが健康にはいちばんいいようである。

猛暑続く

2012-08-01 21:19:59 | 日記
 猛暑日というのは最高気温三十五度以上であるから、気象庁の定義からすれば猛暑とはいえない。しかし仙台では三十二度でも充分暑い。
 とくに当節は節電という掛け声がかかっているものだから、冷房の効きが妙に抑えられている所も少なくない。一般にお役所ほどまじめに節電するようである。たとえば市営バスの車内なんか、後ろの方に座っていると暑苦しくて耐えがたいことが多い。
 そして国立大学という所もまた、本質はお役所なのであった。今日はオープンキャンパスも終わったことだろうと思ったから、また懲りずに出かけたが、一昨日は足を踏み入れなかった学食に入ってみたら、これがとんでもなく暑い。大汗を流しながら昼飯を食うというのも今日び珍しい経験だったような気がする。これは私だけでなく、見渡してみるとみんな暑そうに扇いだり汗を拭ったりしている。
 しかし考えてみれば、つい十数年前はこれが当り前であった。大学食堂に冷房が入ったのは何年前であったか、たしか私が三年生の時は、まだ川内の一食には冷房がなかったように思う。だから平成七年か八年以降である。やっぱり相当昔だ。
 しかしオープンキャンパスをやるくらいだから在校生の試験は終わったんだろうと思っていたが、まだ今週いっぱいは続いているようであった。今日行ってみたら学生がけっこう多い。図書館も一応冷房はかかっているのだが、例年よりは生ぬるくて、快適とは言いがたい。
 それより悲しいことには、来週から工事だとかで、わが愛する図書館は八月はずっと閉まってしまうらしい。何ならバスの定期でも買って夏休みは通おうかとさえ思っていたので、当て外れである。しかし冷房がこんなに効かないのではあまり幸せにはなれないかも知れない。
 一方、私の部屋の近くにある市立図書館は、役所であるにもかかわらず、昨日出かけて行ったら寒くて死ぬかと思った。ここは梅雨末期ころはたいへん蒸し暑かったので、察するに苦情でも来たのではないかと思う。それでこれでもかと言うほどに冷やしているのであろう。
 まあとにかく、夏はどこに行っても冷房に翻弄される。要するに私の辛抱が足りないという説もあるが、それは確かに認めざるを得ないが、下手に冷房と戦うと体調を崩す。午前中行きつけのミスドに寄ったら、店員の姐ちゃんが何となく喉を痛めた風であった。冷房の効いた店内に一日居るからだろう。気の毒である。
 ところでクリスロード店の姐ちゃんには私はどうも覚えられてしまったらしく、カウンターでもお召し上がりか持ち帰りか訊かれない。それで珈琲を飲んでいると、この店はいい具合にお代りを持って来てくれるのだけれど、今日は何も言わないのにミルクと砂糖をくれた。ちょっとした幸せ、と言っていいのかどうかわからない。
 店内の音楽も季節とともに移り変わり、今日もふと懐かしい曲が耳に飛び込んできて涙ぐんでしまった。いま調べてみたら(サイトを教えてくれたNさんに感謝)SIMON & GARFUNKELのTHE BOXERという曲だった。私の父という人はほんの少し洋楽に趣味があって、うちには昔からビートルズやサイモンとガーファンクルのレコードが数枚だけあり、日曜日の午前中はこれを掛けながら珈琲を飲むのがならわしで、子供の私もわけもわからず何度も何度も聴かされた。
 そんなわけで、これを聴くと今では永遠に喪われた懐かしい家が一瞬にしてよみがえるのであった。ライララーイ。

いじめの話続き

2012-07-31 21:40:21 | 日記
 本稿は自分の個人的な話。
 大津で中学生が自死に追い込まれた件についての報道が続くうち、ある時ふと思い当たったのが、この四月に勤め始めて二週間で辞めたあの学校で、私はいじめられていたのだなということであった。その時はもちろん、辞めてからもずっと意識できなかった。ただあのつらい感覚は子供の頃から非常に馴染みぶかいもので、逃げ出すほかないと考えたのは生物的本能といってよい。
 私は子供の頃から、いくらいじめられても登校拒否になったことは一度もなかったが、そうしてひたすら耐えていくことは、自分の魂のある部分をしだいに壊死させていくことにしかならない。
 そのようにして生涯のある時間を切り抜けた人間というのは、その後の精神のありようが、いわば復員兵のようになるのではないかと思う。作家の小説やエッセイを読むと、従軍経験は人によってさまざまな影響を残すことがうかがえるが、たとえば大岡昇平は、ある日そば屋に一人で入って、四人がけのテーブルに座ろうとしたら店員にカウンターに移るように言われて、逆上して店を飛び出したという。命令されるのはもう御免だという思いが、平和に戻った日常の中でふと噴出する。
 私なんかも、なかなか一口では言いがたいが、何かこういわれなく相手を支配してやろうという底意には非常に敏感になっている。あの学校の管理職は、生徒に対してもそうであったが、配下の教員にも、とにかく余計なことを考えさせずに、まず威圧して服従させるというのが方針であったと思われる。
 特に私という人間に対しては、いいかげん歳は食っているし、特殊な履歴を経てきたことではあるし、学校に忠誠を尽くすように根性を叩き直してやるという考えがひそんでいたに違いない。最初だからガツンと言ってやるみたいな。
 そうでなければあの、人が授業をしている教室に断りもなく入り込んで来て、居眠りしている生徒を勝手にひっぱたいて起こした上に叱りつけ、私がその生徒に言葉を掛けたことまで後で文句をつけるという行為は説明がつかない。
 日本におけるいじめという所業の始末の悪さは、必ず正当化を伴うということである。いじめられる方にも原因がある。いじめに耐えることで精神が鍛えられる。あらゆる組織にいじめは存在するのだから無くすことはできない。
 こういう、盗人にも三分の理みたいな屁理屈がつねにあるから、いじめられる方も加害側が勝手に作った世界観の中に閉じ込められて、一人で苦しむことになる。
 あの管理職も表面上は、平教員の指導監督という正当な意味があるから、それを受け付けない私が悪いと基本的に考えていた。しかし考えてみると、教育実習の時も駆け出しの常勤の時も、あんなむちゃくちゃな〈指導〉をされたことは一度もない。
 いじめとして自覚することにもう一つ効用があると思うのは、いじめというものは、本質的にきわめて個別的で特殊な状況だということである。いわれなく迫害されていると、相手が絶対的に正しくて、まちがっているのはすべて自分だと思いがちだが、決してそんなことはない。
 私の場合、他の教員はまともに働いているのに、辞めるに追い込まれたのは私だけだから、やはり私が悪いんだろうと思っていたが、あの管理職の意識が特に私を標的にしていたのだと考えれば、他の教員がどうあろうと関係はないのである。要するに状況を高い視点から客観的に見るということであるが、渦中にあると実にむつかしい。
 大人としていちいち辞職しているわけにも行かないので、いじめをどう克服するかという問題はさておいて、見も知らぬ大津の中学生に今の私はひそかに感謝している。いじめられている人々よ我々は決して一人ではないのだ。

オープンキャンパスだった

2012-07-30 17:40:38 | 日記
 学校が夏休みになったせいか、どこも急にイベントづいて、混んで困る。
 今日は月曜日で公立図書館は休みであるので、大学図書館に行ってみたらオープンキャンパスをやっていて、高校生を満載した観光バスが続々と集まって来ていた。そういえば例年この七月の末二日かけてやるんだった。忘れていた。
 私が大学に入る二十年前はこんな馬鹿な催しはなかった。高校のうちに大学見物したって仕方が無いじゃないかと思う。見物なんかしなくたって、利口な奴は受かるし馬鹿は落ちるのである。ただ受かったからと言って幸せになれるとは限らないというのは、私がいちばんよく知っている。
 しかも暑い中大挙して来ても、目的意識のない学生の方が多すぎる。夕方駅前から乗ったバスでもそれらしい男子二人連れを見かけたが、学食で四時間時間をつぶして終わったとか言っていた。何をしに行ったのか不思議である。たぶん学校から行って来いと言われたのであろうが、全く意味がない。
 観光バスの社名を見ていると、東北一円に加えて北関東からも来ているようで、キャンパスは繁華街よりも混んでいる。今日もとんでもなく暑いから、一通り見て回って行く所のない者は図書館に掃き寄せられて来て、集団でその辺をうろうろしている。在学生はもちろん知っていて今日明日は来ないだろう。私のような部外者がうっかりして大変な目に遭うわけであるが、部外者でもあの高校生たちよりは図書館に来るべきまともな用事があるように思う。
 閲覧席は取れたからよかったが、お昼になって、飲食可能な休憩コーナーに行ってお弁当を食べようと思ったら、いつまでも満席でどうなるかと思った。一時すぎにようやく一つだけ空席を見つけて割り込んだが、見ているとたいていの学生はぼんやりと座り込んでいるだけである。携帯をいじったり仲間うちで喋ったり、音楽プレーヤーで何か聞いていたりで、知的活動をしている者はきわめて少ない。休憩コーナーにはさまざまな雑誌が置いてあるのだけれど、そういうものに関心を示す者はほとんどいない。せめて週刊誌を読もうという気はないのか。ないのだな。しかしかりにも大学生になろうという者、社会の動きに関心を持たずしてどうするのだ。
 まあ彼らは大学から見れば未来のお客さんなわけで、私なんかは学費も何も払わずに入らせて貰っているだけだから、迷惑だとかうっとうしいなんて言えた義理ではないだろう。しかし半日ばかりその辺をうろうろして何がわかるかなと思う。オープンキャンパスやるんだったら、いっそ夏休みずっと開いてはどうか。予約制にして一日一校にする。そして普段にはない催しとか見世物なんかやっても仕方がないので、いつもの授業なり演習に参加して頂く。ここまで書いて思い出したが、理科系の方ではこのくらい気合を入れて高校生を教育する試みもあったように思う。これで適性を見ていけば、実は入試もたいへん楽になると思うが、これだけで学生を取っていたら今日びの大学は営業が出来ない。
 そんなわけで明日も大学へは近寄れない。夏休みは定期券を買ってでも大学に通いたいと思ったのだが、とりあえず明後日以降の話である。

だからいじめはなくならない

2012-07-27 21:14:54 | 日記
 私は子供の頃からひたすらいじめられる側であったから、いじめる側の心理はほとんど分からない、と言いたいが、ごくかすかに加害側に立っていた、と思える経験が少なくとも今までに二回ある。
 その経験の具体的な詳細を語るのはここでの目的ではない。むしろそういう心理を基にして、なぜ人は人をいじめるのであろうか、と考えてみたいのである。簡単に言ってしまえば、それによって精神的な快感が得られるからである。愉しいからである。
 何年も前から、子供たちの間のいじめが深刻だということは注目されてきた。世間でいいかげん報道されると潮が引くように忘れられ、しばらく経つとまた誰かがどこかで自殺して、可哀想だとか教師は何をしているとか同じようなことがひとしきり騒がれる。語弊をおそれずに言えば、いじめ自殺は一つの話題として〈消費〉されている感がある。いわゆる永劫回帰というのはこんなんじゃないかと思える。
 どうしてこう無限ループみたいに同じ事が繰り返されているのかと言えば、いじめる側の心理が全く抜け落ちているからではないかと考える。どうして人は人をいじめるのか。報道でも、国や役所などの対策でも、こういう視点は全く語られない。いじめは卑怯であるとか、人として許されないとか、そういう建前論をふりかざしても仕方がないのである。
 それで改めて言うと、人をいじめることは基本的に愉しいことである。この事実をまず直視せねばならぬと思う。一人もしくは少数を迫害している時、その集団には強烈な連帯感が電気のように流れる。自分がその一員であるという意識は、人間にとってはたいへんに甘美なものである。
 また人間は、自分が何らかのパワーを持っていると思えることも、また快感である。ちょうど倫敦で五輪が始まるが、何につけ勝負事というのは、人間のこのような欲望を合法的に昇華するという機能があると言ってよい。いじめというのは、そのような心性を、ふだんの生活の場で、周囲の人間を対象にして勝手に発動してしまうわけである。やられる側は迷惑千万だが、人を殴ったり金を取ったりする事によって、いじめる側は自分のパワーを確認し、精神的快感を得ているのであろう。
 さてこのように考えてみると、いじめという現象はきわめて普遍的にあり得るわけである。いじめはどの学校どの生徒にも起こりうる云々というのが、文科省の公的見解であるが(教職教養で覚えたもんだ)なぜそうなるかと言えば、あらゆる人間に、人をいじめる可能性がひそんでいるからである。たぶん脳のどこかにそういう機能が組み込まれているんじゃないかと思う。
 さらに言うと、われわれ日本人という民族は、歴史的文化的に、だかどうだか、このいじめ機能が強化されているような気がする。上で考えた二つの要因からすると、まず集団への同一化圧力が非常に強い。みんな一緒、に価値があり、空気を読むことが重要なスキルになる。
 そして力の誇示という点から言うと、日本人は基本的に自信がもてない。謙譲の美徳もあり、また集団に順応するのがよいということからしても、個人として確固とした自信を持ちにくい。その裏返しとして、人をいじめて自分を確かめようとする。
 こんなわけで、大人の世界でもいじめはなくならないというのが、なんとなくこの国の常識と言ってよいが、自我がいまだ固まっていない子供、しかもその自我を作り上げる時代に差し掛かっている中学生で、露骨で悲惨ないじめが多くなるわけである。
 私に言わせれば、この中学生時代で、人をいじめた奴といじめられた奴に二分され、いじめた奴の価値観だけでこの国は動いているように思う。教員の世界もそうであって、生徒が自殺したのに全くまともな対応がとれないというのは、彼らがみな勝ち組として人生を生きて来たからである。迷える一匹の羊というたとえ話があるが、弱い一匹の羊を見捨てることで、この国の学校という組織の論理は成り立っているようである。
 とにかくこのいじめという問題は根が深いのであるが、子供たちへの指導という点で言うならば、まずは上で考えたように、人をいじめるのは愉しいことで、生物的に自然なことだと直視させる必要がある。その上で、われわれは人間であって畜生ではないので、人として高貴な精神を持って生きねばならない。まあそういう倫理を喚起していく他ないと思う。

肛門科デビュー

2012-07-24 10:10:09 | 日記
 何というタイトルだ。
 先週末思い立って、週明けの昨日、ついに上杉なるきくた肛門科を受診した。この稿では自分の痔疾の話をえんえん書いて来たが、医師にかかったことは一度もなかったのである。
 それがこのたびついに受診したについては、別にとつぜん悪化したわけではない。ただ某予備校で夜のお仕事をちょっとやったら、今まで経験のない時間帯でもあったせいか、緊張してまた腫れてきて、ここ何日かトイレに行くたびにまた軽く出血している。ただそれも自然に止まる程度で、大貧血に陥った去年の夏ほどひどくはない。
 しかしつらつら考えてみるに、この持病は困ったもので、今は仕事をしていないから血のめぐりが滞りがちなのだが、一方で忙しくても悪化する。要するにどんな生活をしていてもすぐに悪くなる。四月にせっかく得た定職を辞めてしまったについては、痔疾が直接の原因ではなかったと思っているが、辞表を出す頃には悪くなる気配が確かにあった。
 いずれまた非常勤なり何なりの仕事をする上でも、この十年来の持病は、はたして実際にはどうなっているのか明らかにしたいと考えたわけである。今は暇でもあるし、国民健康保険の窓口負担金も免除されているから、医者に行って薬をもらっても一切お金はかからない。実はこれが受診する最大の動機であったかも知れない。
 それで昨日は朝から出かけたら、すでに受付は数十人も入っていて、診察は午後からになった。外出してもよいと言うから、県庁まで歩いてドトオルに行って一服し、いちど電話してみたら、やはり午後になるとのことで、さらに定禅寺通のドトオルでお昼を食べた。相当ぜいたくをしてしまった。
 さて診察は、世に言うように、横向きに寝て下着をずらすという形で行われ、特に痛みもなかった。これなら誰しも怪しいと思った時にすぐに診てもらった方がよい。漱石の『明暗』だったか、主人公が痔を診察されて激痛に絶叫するシーンがあったと思うが(これは作者その人の経験と見ていいだろう)、平成は明治大正の御世より大変に進歩している。あたり前である。
 私の場合は、さすが医者というべきか、私が何も言わないうちに、これは最近悪くなったものではあるまいと見抜かれた。大きな内痔核が三つあるそうで、古いものだから、普通は外科的処置をした方がよいとのことであった。注射なら二泊、切除なら七泊入院だそうである。
 なにしろ思い立った所だからすぐにでもやって貰おうかというつもりであったのだが、だいぶ先まで予約で満室で、個室なら早くて九月上旬、大部屋なら十月だそうである。国保の免除は九月いっぱいだから、個室は高いけれど、ここで二泊して注射してもらおうかと考える。
 ところで九月の上旬は教採の二次がある。予後の問題もあるようだから、一応これが終わった後にしないと危険だろう。だいたい夏休み明けには仕事が入ることを私はひそかに期待している。看護婦さんには、お休みが取れると決まったら云々と言われたが、私の場合はあいかわらずお休みが続くか、それどころでなくなるか全く不明である。非常勤を始めたとたん入院なんてあり得ない。
 それで当座の処置として、座薬と飲み薬と軟膏を一週間分もらってきた。これにしても市中の薬局で買えるような薬とはだいぶ違うようで、私としては効能を期待している。薬で良くなればそれに越したことはない。