■旧平櫛田中邸アトリエ
以前、当ブログで小平市にある彫刻家平櫛田中美術館を
ご紹介した事があるが、今回訪れたのはその前にアトリエ
として使用していた家である。ブロ友の106さんがこの家の
存在と見学可能である情報を入手、お声をかけて頂いての
見学となった。
パンフレットによると、このアトリエは1919年(大正8年)に横山大観や下村観山ら
日本美術院の画家達の支援により天窓を備えた近代アトリエ建築の先駆けとして建てられた。
1922年(大正11年)には傍に住居も建て、小平に転居する1970年(昭和45年)まで暮らしたそうだ。
その後田中の故郷岡山県井原市に寄贈され、NPO法人たいとう歴史都市研究会により
維持・管理され、見学会やイベント等にも使用されているという。
早速、見学開始。
↓田中の名言の暖簾があった。(*某予備校教師の流行語ではない)
まずアトリエ棟へ。
天窓から安定した自然光が得られる明るいアトリエでは
芸大の学生さんが新しい芸術を発信するべく活動中だった。
2階も見学。
続いて住居棟の2階へ行ってみる。
風通しの良い10畳の座敷。窓からアトリエ棟が見える。
案内して頂いた係の方から秘密の抜け窓?↓や・・・、
発見された昭和34年8月の朝日新聞等も見せてもらう。
作品制作中の田中(左)と現在の同じ場所(右:2階座敷)
1階茶の間。奥には谷中・根津・千駄木地区の木造建築マップが展示してあった。
この後台所と風呂場も見学したのだが、係の方との話に夢中になりすぎて写真を撮り損ねる。
帰り際に気がついたアトリエ棟2階の装飾的手摺支え。
・・・という訳で、かなり内容の濃い見学会であった。
(ー後編ーに続く)
以前、当ブログで小平市にある彫刻家平櫛田中美術館を
ご紹介した事があるが、今回訪れたのはその前にアトリエ
として使用していた家である。ブロ友の106さんがこの家の
存在と見学可能である情報を入手、お声をかけて頂いての
見学となった。
パンフレットによると、このアトリエは1919年(大正8年)に横山大観や下村観山ら
日本美術院の画家達の支援により天窓を備えた近代アトリエ建築の先駆けとして建てられた。
1922年(大正11年)には傍に住居も建て、小平に転居する1970年(昭和45年)まで暮らしたそうだ。
その後田中の故郷岡山県井原市に寄贈され、NPO法人たいとう歴史都市研究会により
維持・管理され、見学会やイベント等にも使用されているという。
早速、見学開始。
↓田中の名言の暖簾があった。(*某予備校教師の流行語ではない)
まずアトリエ棟へ。
天窓から安定した自然光が得られる明るいアトリエでは
芸大の学生さんが新しい芸術を発信するべく活動中だった。
2階も見学。
続いて住居棟の2階へ行ってみる。
風通しの良い10畳の座敷。窓からアトリエ棟が見える。
案内して頂いた係の方から秘密の抜け窓?↓や・・・、
発見された昭和34年8月の朝日新聞等も見せてもらう。
作品制作中の田中(左)と現在の同じ場所(右:2階座敷)
1階茶の間。奥には谷中・根津・千駄木地区の木造建築マップが展示してあった。
この後台所と風呂場も見学したのだが、係の方との話に夢中になりすぎて写真を撮り損ねる。
帰り際に気がついたアトリエ棟2階の装飾的手摺支え。
・・・という訳で、かなり内容の濃い見学会であった。
(ー後編ーに続く)