どんよりとした梅雨空の下、
LOGGYは朝一番で旧岩崎邸庭園へと向った。
その目的は「撞球室特別ガイドツアー」に参加する為だ。
この日の天気予報は午後から大雨ということで・・・、
9時から先着20名の受付となっていたが、
わりと余裕でエントランス付近のアプローチの景色や、
洋館正面の写真などを写してから受付へと進む。
受付で整理券をお願いすると、係の方が
「良かったですね、最後の1枚です。」と微笑んだ。
この時、時刻は9時20分。
余裕どころではない、危ないところだった。思わず冷や汗をかいた。
撞球室のみの見学は、以前ブロ友さん達と一緒にした事があるのだが、
今回は洋館・和館に加え、長らく謎に包まれていた地下室と地下通路もガイド付きで見学できる。
時刻は10時30分、ツアー開始だ!
期待に胸をワクワクさせ、説明の係の方についていく。
まず、洋館から見学。室内の写真撮影は禁止の為、
撮影OKだった2004年にLOGGYが写した写真を参考までにUPする。
いつ見ても華麗な外観。
17世紀の英国ジャコビアン様式の装飾が随所に見られる。
室内に入る。ステンドグラスや・・・、
階段が素晴らしい。
1階書斎のアーチ(左)と2階客間の金唐革紙(右)。
1階婦人客室はイスラム装飾で統一されている。
天井はシルクの日本刺繍の布張りになっている。
2階には塔屋や屋根裏部屋へと通じるらしい謎の階段があるが、ここはまだ非公開。
2階ベランダ。
2階ベランダ(左)と1階サンルーム(右)。
館の主岩崎久彌がベランダは冬寒いので、後からサンルームを増築させたそうだ。
サンルーム外観。
1階ベランダ。タイルは英国ミントン製。
続いて和館へ。洋館がゲストハウスの役割だったのに対し、
和館は岩崎家と使用人の暮らしの場であった。
櫛形窓↓や・・・、
舟底天井などの趣向を凝らした造りは、念仏喜十の別名を持つ
大河喜十郎の手によるものだと言われている。
(ー後編ーに続く)
LOGGYは朝一番で旧岩崎邸庭園へと向った。
その目的は「撞球室特別ガイドツアー」に参加する為だ。
この日の天気予報は午後から大雨ということで・・・、
9時から先着20名の受付となっていたが、
わりと余裕でエントランス付近のアプローチの景色や、
洋館正面の写真などを写してから受付へと進む。
受付で整理券をお願いすると、係の方が
「良かったですね、最後の1枚です。」と微笑んだ。
この時、時刻は9時20分。
余裕どころではない、危ないところだった。思わず冷や汗をかいた。
撞球室のみの見学は、以前ブロ友さん達と一緒にした事があるのだが、
今回は洋館・和館に加え、長らく謎に包まれていた地下室と地下通路もガイド付きで見学できる。
時刻は10時30分、ツアー開始だ!
期待に胸をワクワクさせ、説明の係の方についていく。
まず、洋館から見学。室内の写真撮影は禁止の為、
撮影OKだった2004年にLOGGYが写した写真を参考までにUPする。
いつ見ても華麗な外観。
17世紀の英国ジャコビアン様式の装飾が随所に見られる。
室内に入る。ステンドグラスや・・・、
階段が素晴らしい。
1階書斎のアーチ(左)と2階客間の金唐革紙(右)。
1階婦人客室はイスラム装飾で統一されている。
天井はシルクの日本刺繍の布張りになっている。
2階には塔屋や屋根裏部屋へと通じるらしい謎の階段があるが、ここはまだ非公開。
2階ベランダ。
2階ベランダ(左)と1階サンルーム(右)。
館の主岩崎久彌がベランダは冬寒いので、後からサンルームを増築させたそうだ。
サンルーム外観。
1階ベランダ。タイルは英国ミントン製。
続いて和館へ。洋館がゲストハウスの役割だったのに対し、
和館は岩崎家と使用人の暮らしの場であった。
櫛形窓↓や・・・、
舟底天井などの趣向を凝らした造りは、念仏喜十の別名を持つ
大河喜十郎の手によるものだと言われている。
(ー後編ーに続く)