京浜急行横須賀中央駅に降り立ったLOGGY。

向かった先は三笠桟橋。
東京湾の真ん中にある要塞遺構「第二海堡」を
海上から見学するクルーズ船が2日間限定で
特別運航されるとの情報を知り、訪れたのである。

去年TV番組でアイドルグループTOKIOが第二海堡に
上陸した事もあり、見学希望者の数も多く、
クルーズ船「シーフレンドZERO」は、ほぼ満席。


今回のコースは東京湾唯一の天然の無人島、猿島の傍を通り、
第二海堡を1周して戻ってくる1時間半のクルーズである。

(※地図はGoogleマップ引用)
いざ、出航。三笠公園の記念艦三笠がよく見える。

写真上段:横浜ランドマークタワーがうっすら見える。
写真中段:伊藤博文が大日本帝国憲法の草案を作った夏島。
写真下段:住友重機横須賀造船所のクレーン。

猿島。


浦賀水道を通る様々な船。
写真上段左:釣り船 右:潤滑油タンカー
写真下段左:ガット船(砂利・石材運搬船) 右:穀物専用船

海上自衛隊練習船「かしま」

海上自衛隊練習船「しまゆき」

海上自衛隊護衛艦「やまどり」

さて、景色や船を眺めているうちに
いよいよ目的地第二海堡が見えてきた。

(※以下ウィキペディアより一部引用)
『明治から大正にかけて山縣有朋が日本国内の要塞化を主張。
東京湾には首都防衛のために3ヵ所の人工島が造成された。
第二海堡は1889年(明治22年)起工、1914年(大正3年)完成。
1923年関東大震災で被災。その後海軍が使用、
第二次世界大戦中はカノン砲(14基)を設置。
敗戦後、施設は爆破処理される。戦後は灯台が設置され、
1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。』
灯台の近くに接近。
かつてのカノン砲の砲台跡がよくわかる。
「FORT No2」と表示されている。

灯台は右側のソーラーパネルから電源をとっているそうだ。

TOKIOが上陸した桟橋。

第二海堡は現在関係者以外上陸禁止の為、監視カメラが設置され
航路と島内の監視管理が行われているそうだ。

そして唯一はっきりした形で残っている遺構が
この「砲台指揮所」である。

内部には今も通路や部屋が残されているらしい。

指揮所の内壁は西南戦争で敗れた旧薩摩藩の囚人が
小菅集治監で造った良質な煉瓦でできているという。

指揮所の左側には消防演習施設が見える。

これ↓も砲台跡。

近年整備された護岸↓。連続した鉄壁を地中30mまで
打ち込んで島の崩壊を防いでいる。

ソーラーパネルの裏側あたり。
謎の「イの」という文字が見える。
以前は「ブイの~」と書かれていたが
岸壁の一部が崩落したようだ。

明治期の石垣(間知石)と倉庫の遺構が見える。

・・・さて、賢明な読者諸氏ならばもうお気づきであろう。
この第二海堡は昭和の時代、数々の特撮ドラマのロケ地でも
あったのだ。LOGGYにとって思い入れの深い作品は
「ジャイアントロボ」である。

残念ながら当時を偲ばせる場所は砲台指揮所と
背景に写る観音崎くらいだったが、
一応この場所でロケが行われた事が検証できた。
第二海堡見学を終え、船は再び三笠桟橋へと向かう。
千葉の富津方面には第一海堡も見えた。

写真上段:観音崎灯台
写真中段:防衛大学校
写真下段:珍しい猿島の裏側

最後にレジャー客で賑わう猿島南側からの景色。

ここも特撮ロケの聖地なので、
機会があれば行ってみたいLOGGYである。

向かった先は三笠桟橋。
東京湾の真ん中にある要塞遺構「第二海堡」を
海上から見学するクルーズ船が2日間限定で
特別運航されるとの情報を知り、訪れたのである。

去年TV番組でアイドルグループTOKIOが第二海堡に
上陸した事もあり、見学希望者の数も多く、
クルーズ船「シーフレンドZERO」は、ほぼ満席。


今回のコースは東京湾唯一の天然の無人島、猿島の傍を通り、
第二海堡を1周して戻ってくる1時間半のクルーズである。

(※地図はGoogleマップ引用)
いざ、出航。三笠公園の記念艦三笠がよく見える。

写真上段:横浜ランドマークタワーがうっすら見える。
写真中段:伊藤博文が大日本帝国憲法の草案を作った夏島。
写真下段:住友重機横須賀造船所のクレーン。

猿島。


浦賀水道を通る様々な船。
写真上段左:釣り船 右:潤滑油タンカー
写真下段左:ガット船(砂利・石材運搬船) 右:穀物専用船

海上自衛隊練習船「かしま」

海上自衛隊練習船「しまゆき」

海上自衛隊護衛艦「やまどり」

さて、景色や船を眺めているうちに
いよいよ目的地第二海堡が見えてきた。

(※以下ウィキペディアより一部引用)
『明治から大正にかけて山縣有朋が日本国内の要塞化を主張。
東京湾には首都防衛のために3ヵ所の人工島が造成された。
第二海堡は1889年(明治22年)起工、1914年(大正3年)完成。
1923年関東大震災で被災。その後海軍が使用、
第二次世界大戦中はカノン砲(14基)を設置。
敗戦後、施設は爆破処理される。戦後は灯台が設置され、
1977年からは海上災害防止センターの消防演習場として利用されている。』
灯台の近くに接近。
かつてのカノン砲の砲台跡がよくわかる。
「FORT No2」と表示されている。

灯台は右側のソーラーパネルから電源をとっているそうだ。

TOKIOが上陸した桟橋。

第二海堡は現在関係者以外上陸禁止の為、監視カメラが設置され
航路と島内の監視管理が行われているそうだ。

そして唯一はっきりした形で残っている遺構が
この「砲台指揮所」である。

内部には今も通路や部屋が残されているらしい。

指揮所の内壁は西南戦争で敗れた旧薩摩藩の囚人が
小菅集治監で造った良質な煉瓦でできているという。

指揮所の左側には消防演習施設が見える。

これ↓も砲台跡。

近年整備された護岸↓。連続した鉄壁を地中30mまで
打ち込んで島の崩壊を防いでいる。

ソーラーパネルの裏側あたり。
謎の「イの」という文字が見える。
以前は「ブイの~」と書かれていたが
岸壁の一部が崩落したようだ。

明治期の石垣(間知石)と倉庫の遺構が見える。

・・・さて、賢明な読者諸氏ならばもうお気づきであろう。
この第二海堡は昭和の時代、数々の特撮ドラマのロケ地でも
あったのだ。LOGGYにとって思い入れの深い作品は
「ジャイアントロボ」である。

残念ながら当時を偲ばせる場所は砲台指揮所と
背景に写る観音崎くらいだったが、
一応この場所でロケが行われた事が検証できた。
第二海堡見学を終え、船は再び三笠桟橋へと向かう。
千葉の富津方面には第一海堡も見えた。

写真上段:観音崎灯台
写真中段:防衛大学校
写真下段:珍しい猿島の裏側

最後にレジャー客で賑わう猿島南側からの景色。

ここも特撮ロケの聖地なので、
機会があれば行ってみたいLOGGYである。