永遠の生命、安心

永遠の生命と永遠の安心を得る方法を紹介します。

山の日 (きらく仙女さんの日記の転載)

2023年08月11日 | 日記
今日は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」ことを
趣旨とする国民の祝日だそうです。山と聞いてけでワクワクする方、
楽しい思い出や苦しい体験、悲しい記憶が浮かぶ方もおられるでしょう。

高野山系の僧侶で「山は命がけの修行の場」と言う人もおられます。
私の場合は基本的に、山に登るには気力や体力、時間も要りますので、
機会があっても積極的には登りません。用事があれば参りますが。

今まで何度か、用事があって山に登りました。多摩道院のあった大嶽が
そのきっかけでした。本に出てくる甲子の前年です。前日の雨で清められて、
クモの糸に飾られた無数の水玉が輝く旧山道を荷物を背負って一人登りました。

全山挙げて大歓迎されているのを感じましたが、当時の私は心臓が不調のため、
クモの糸を避けながらの登山は、大した標高でもないのに相当疲れました。ただ、
何か新しい事が始まる前兆に後押しされるように黙々と歩みを進めてゆきました。

多摩の建物に到着して声をかけても応答が無いので、山頂へ行き、少し下った所の
神社で柏手を打ちました。その音を聞いて、秀和氏が山荘から出て来られました。
そのシーンは今もはっきり思い出します。丁度、多摩の大事な祭典の朝でした。

神事の前には必ず雨が降ります。時には大雨、台風の雷雨とか派手に振ります。
お清めの意味が主のようです。白山の奥宮で大事なお祀りがありました日の前日は
特に強烈でした。雷雨と強風の中の数時間の登山は、たぶん今なら無理でしょう。

七面山から富士山頂上の御来光を拝むという彼岸の中日の行事を体験しました時も、
前日は結構な雨で、当日の朝は快晴でした。山々をはじめ万物万象の安寧を願って、
道院の北極真経邃秘をお唱えしました。当時、鎮心経は未だ知りませんでした。

山で鎮心経をお唱えする事は大変善行になる筈です。機会がありましたら是非、
実行されますようお奨めいたします。ただし、得意になって特殊ワザを使うとか、
手柄をたてるような気持ちが混入しませんように、くれごれもご用心願います。

特に富士山は、やはり日本を代表する山だけあって、法が掛かってまいります。
例えば、軽い行楽、趣味の登山のような意味で登れません。山のプライドも高く、
厳粛な霊山の代表的存在なので、個人的な登山でもそれなりの覚悟が要ります。

私の場合は、未だ身体的に十分元気だった頃ですけれど、ある神霊のご招待で、
急に富士山往きが決まったものですから少し慌てました。とるものもとりあえず、
日焼け止めも塗らずに即出発いたしました。思い出しても慌ただしい体験でした。

やはり登山の時は、海や畑などの野外活動でも同様ですが、紫外線対策が必要です。
老若男女を問わず、日焼け止めとサングラスは絶対に必要だと思います。それから、
飴やチョコレート、タオル、飲料水を入れたボトルですね。丈夫で軽い服や靴も。

もちろん、全員が専門的な神事をする必要などありません。人各々に天命があり、
適する仕事が異なります。そして、山についても各々の持論がお有りでしょう。
ですから、今日の私の話や提案も一つの参考にして頂ければと思うだけです。

ただ、敢えてこの機会に提案して、皆様に考えてみて頂きたいと思いますのは
「登山の際には、その山に喜んで貰えると思う行動をすべき」という事です。
「山の幸せ、山と共存する鉱物、植物、動物の幸せを思うべき」という事です。

私が富士山で悲しく感じたのは、当時八合目辺りで合宿していた自衛隊員が、
生活ゴミを燃している様子でした。その後、観光客が汚物を故意に捨てたり、
落書きする等の報道もありましたね。無礼より狂気ではないでしょうか?

山へ往くと気持ち良いとか、清々しい気を貰えるとか言う人もおられます。
それが悪いとは申しません。けれど、自分側に利益を求めるばかりではなく、
一歩進んで何かをしてあげる、山道を整えるとか、ゴミの一つも拾うとか、

山の気を整える奉仕的な気持ちで、「この人に再度来てほしい!毎日でも
来てほしい!」と、山または山を統括する主神から望まれるような登山者が
一人又一人と増えてくれば、全体の環境も改善されてゆくに違いありません。

かつて、富士信仰の人々は白装束で、六根清浄と唱えながら登山したそうです。
日蓮上人はご自身の修行レベルを謙遜されての故か、富士登頂を遠慮されたとか。
その事が、七面山から富士山の御来光を拝する風習に繋がったのかもしれません。

女人禁制だった時代もありましたね。今は誰でも登頂の権利を有するのが当たり前。
私は仕事なので遠慮致しませんが、白衣の女性が「僭越ですが、登らせて頂きます」
などと山に一礼して颯爽と登ってゆけば、・・・なんと奥ゆかしく素敵でしょうか。

私は現在、山の中に住んでおります。玄関先まで車が来れるので、必要があれば
都会へも往けますが、木々草々に囲まれ、鳥や小動物、時には鹿や猪も来ます。
それらを労わり祝福する心境で静かに修養生活を楽しみたいと思っております。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 花火に思う | トップ | 柔らかということ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事