私がマジェスティ125を手に入れたのは,2002年3月1日のことでした。
昔から大好きだった二輪には乗っていたい。でも,バイクではなく普段着で乗れ仕事場にも乗っていけるスクーターがいい。皮つなぎにブーツのいかにもバイク乗りと思われる格好はもうしたくない。高速に乗ることはないから,諸経費の安い125ccがいい。
その頃の国産スクーターには,魅力的で欲しいものはありませんでした。そんななかネットで調べると,台湾ヤマハのマジェスティ125がとても魅力的に思え,購入することにしました。地方のこちらでは販売しているところはなく,近くのバイク屋さんに無理を言って遠方の店から仕入れてもらいました。
マジェスティ125には,たくさんの思い出があります。この小マジェを通して世界が広がりました。多くの方々との交流もありました。昔はロードで峠を攻めたりオフロードをかっ飛ばしていた私でしたが,そんな世界とはまた違った本当に思い出の多い二輪でした。
マジェスティ125と付き合って12年以上がたちます。ここ数年はほとんど乗ることもなくなっていました。
暑くなったら乗ろう,また乗りたい日がきっと来るだろうとそのまま廃車にせず持ち続けていましたが,いつの間にか自賠責保険が切れ2年がたっていました。
玄関の呼び鈴上に名刺のメモ。「こちらのバイクをもし宜しければ譲ってください。」
近くに何かの用があったのでしょう。バイクの買い取り会社営業の方の名刺でした。
このまま保険切れのマジェスティを置いておくよりも,もし誰かが代わりに乗ってくれるのならそれもいいか。ほとんど乗ることがなく,税金と毎年の任意保険代だけははらっていましたが。
業者に電話をかけマジェスティ125を引き取ってもらうことにしました。トラックに乗せられたマジェスティ125が走り去っていく姿は,やはりなんだかもの悲しかったです。
私のなかの一つの時代が終わったように思いました。大学時代からずっと二輪に乗り続けていた私ですが,今後乗ることはないかもしれません。今から思い出しても,非日常の世界に私を連れて行ってくれるのが二輪でした。四輪にはない二輪の世界があります。
ありがとうマジェスティ。
昔から大好きだった二輪には乗っていたい。でも,バイクではなく普段着で乗れ仕事場にも乗っていけるスクーターがいい。皮つなぎにブーツのいかにもバイク乗りと思われる格好はもうしたくない。高速に乗ることはないから,諸経費の安い125ccがいい。
その頃の国産スクーターには,魅力的で欲しいものはありませんでした。そんななかネットで調べると,台湾ヤマハのマジェスティ125がとても魅力的に思え,購入することにしました。地方のこちらでは販売しているところはなく,近くのバイク屋さんに無理を言って遠方の店から仕入れてもらいました。
マジェスティ125には,たくさんの思い出があります。この小マジェを通して世界が広がりました。多くの方々との交流もありました。昔はロードで峠を攻めたりオフロードをかっ飛ばしていた私でしたが,そんな世界とはまた違った本当に思い出の多い二輪でした。
マジェスティ125と付き合って12年以上がたちます。ここ数年はほとんど乗ることもなくなっていました。
暑くなったら乗ろう,また乗りたい日がきっと来るだろうとそのまま廃車にせず持ち続けていましたが,いつの間にか自賠責保険が切れ2年がたっていました。
玄関の呼び鈴上に名刺のメモ。「こちらのバイクをもし宜しければ譲ってください。」
近くに何かの用があったのでしょう。バイクの買い取り会社営業の方の名刺でした。
このまま保険切れのマジェスティを置いておくよりも,もし誰かが代わりに乗ってくれるのならそれもいいか。ほとんど乗ることがなく,税金と毎年の任意保険代だけははらっていましたが。
業者に電話をかけマジェスティ125を引き取ってもらうことにしました。トラックに乗せられたマジェスティ125が走り去っていく姿は,やはりなんだかもの悲しかったです。
私のなかの一つの時代が終わったように思いました。大学時代からずっと二輪に乗り続けていた私ですが,今後乗ることはないかもしれません。今から思い出しても,非日常の世界に私を連れて行ってくれるのが二輪でした。四輪にはない二輪の世界があります。
ありがとうマジェスティ。