アメリカ政府から1700億ドルもの資金援助を得て再建途中のAIGが幹部社員73人に対して一人当たり100万ドル以上ものボーナスを支給していたことが明らかになり、問題となっている。世論の怒りを受けアメリカ政府は自主的なボーナスの返還を求め、強制的な課税を含めあらゆる手を尽くしてこの問題に対処していく姿勢を示している。(産経ニュースより)
日本における不良債権処理と銀行へと資金注入を思い出させるニュースである。経済全体の再建には政府による金融機関への資金援助が必要であるが、経営陣への責任を問うことになると経営者達が政府に資金援助を申請しようとしなくなるので、経営者の責任を棚上げにしようという議論があった。感情的に経営陣の責任を追及するよりも経済再建を第一に考えるべきだというのがあった。今回の事例においても、経営陣のボーナスという些細な問題でAIGに対する支援を撤回したり縮小すべきではないという声が出ている。私は、そのような意見はどうかと思う。
テロリストが一般人を人質に取って金銭を要求したとする。一つの道は、もう事件が起こってしまったのだから抵抗すれば人が死ぬだけだからお金を渡せばいい。更なる事件が起こらないように防犯に気をつければいい。しかし、もしかしたら今テロリストに屈服したら更なる誘拐事件を巻き起こすかも知れない。今回の事例で経営陣に寛大であることはテロリストに屈することと同じかもしれない。一時的には経済の安定化に寄与するかもしれないが、長期的には経済全体を人質に取ればどんな間違いも免罪されるという間違ったメッセージを将来の経営者達に送ることになるかもしれない。
アメリカ経済全体に深刻な影響を与えるようなことをした経営陣たちに対しては、寛大な処置を取り、軽微な罪に対しては厳しく取り締まるのであれば不公平であろう。ここは感情的という言葉によって現実から逃げるのではなく、同じように罪は罪、間違っているものは間違っているものとして対応すべきだろう。そのことが結局は長期的に健全な社会を築くことになるだろう。