車輪を再発見する人のブログ

反左翼系リベラルのブログ

民主党偏狭なる寛容主義

2009年03月06日 | 反左翼論

民主党代表の小沢一郎氏の公設第一秘書が逮捕された西松建設事件であるが、未だにマスコミや民主党の小沢擁護は続いているようだ。小沢だけではない。他の政治家にも献金が渡っている。小沢氏だけ取り上げるのはおかしい。この人たちは事の大小や重大さというものを理解できないようだ。このような的外れな論法は左翼の基本的な思考回路である。

運動会で徒競争において順位を付けないというのがあった。順位を付けると差別に繋がるからというのが理由であったが、勉強の成績においては順位を付けているし、学歴差別には無関心であった。在日朝鮮人や外国人労働者に日本人と同じ権利を与えないのは差別だと主張していたが、その対象はいつも一部の日本人以外の人間に限定され、それはあたかも在日朝鮮人のような人たちに対しては日本人でなくても日本人と同じ権利を与え、さらには日本人以上の権利を与えるべきであるが、それは日本人以外のすべてに適用されることはないというものだった。

左翼は、寛容主義や差別反対を主張するが、常にその対象は恣意的で偏狭で差別的だった。ある部分においては、違いがあったとしても少しの差を認めることも許さず、別の部分においては違いがあればまったく違うものとして、違うルールの適用を当然のこととした。結果として、左翼思想家がどのように考えるかということが判断においてあまりにも重要な位置を占め、結局はすべてが属人的に恣意的な基準によって決定されるということに繋がった。

罪の大小、重大性や、日本人とそれ以外の区別、能力や成績の違い、これらのものは厳然として存在している。それは事実である。だから、それによって違いを付けることは当然のことである。ただ、それ違いの付け方が行過ぎればそれは差別に繋がることである。問題は、その部分を恣意的に行うことを許せば、力を持っているものがどう思うかによって、違いがあるにも関わらずその違いを認めることが許されなかったり、ほんのわずかな違いによってまったく違うものとして扱われてしまう。それことまさに身分制社会、差別社会と言うべきものだろう。民主党の偏狭な寛容主義は、平等主義・寛容主義を装った、徹底的な身分制社会の賛美なのではないだろうか。

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