インテリや知識人といえば左翼で、伝統や極右が大嫌いというのが相場だ。理想主義的で、合理的に説明できないもの、普遍的でないものを嫌う、それがインテリや知識人というものだ。これは、日本に限ったことではなくて、ヨーロッパにおいても社会の中心に位置している知識人層の思考回路はそうで、特に極右に対しては徹底的な嫌悪感を抱いているといっていいだろう。
言い分は単純で、すべての人間を同じように扱わない極右のような差別主義は許せないということだ。しかし、問題は前回の記事でも述べたが左翼思想というのは、すべての人間を平等に扱おうという思想ではなく、市民と奴隷、都市民と農奴のように一部の選ばれた人間とそれ以外の人間を「差別して」扱う思想だったということだ。現在においてもそうで官僚や労働組合に守られている労働者貴族と、それ以外との間に非常な格差が存在している。だから、左翼思想は平等を掲げて極右を非難しているが、実は自分たちの行っている差別に対しては知らん振りをしているのだ。
これが、現在の日本において、戦前からヨーロッパにおいては、極右思想が大きな支持を受けている理由だろう。極右の支持者というのは低所得者層や貧困層等、本当の弱者が多く、左翼が差別し排除してきた最底辺の真の弱者の支持に多くをよっている。左翼が平等と称して、一部の人間の中でのみ権利の対等を主張した結果排除されたものたちが極右をもたらしたといってもいいかもしれない。
私は、極右思想家ではないが、左翼を支持してはもっといない。現在の多くの左翼勢力が平等を無視して、一部の特権階級のものになっている現状をうれいている。そして、今の日本には本当に自由や平等を信じる勢力が必要ではないかと考えている。