新型コロナ特措法で知事に与えられた権限は不十分か?
5月3日、共同通信は、「全国22知事、権限は「不十分」 コロナ特措法、8人が罰則に言及」と題した、次のような記事を配信した。
新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言発令時の知事の権限について、全国47都道府県知事のうち22人が「不十分だ」などとして見直しを求めていることが2日、共同通信のアンケートで分かった。このうち茨城や京都など8人は、休業指示に従わない業者への罰則規定の必要性に言及した。一方で群馬や福岡など7人は、過度な私権制限につながりかねない権限強化や罰則に慎重な姿勢を示した。
安倍晋三首相は6日が期限の緊急事態宣言を、全都道府県で延長する意向で、詳細は4日に決定したいとしている。特措法を巡っては、西村康稔経済再生担当相も権限強化や罰則整備に言及している。
同日の新潟日報は、より詳しく、次のように報じた。
花角英世新潟県知事はアンケートに対し、緊急事態宣言発令時の知事の権限について「不十分」と答えた。
理由として新潟日報社の取材に対し、「例えば、休業要請に応じないパチンコ店の名前を公表した措置を取っても、必ずしも効果があるわけではない。もう少し踏み込んで実効性を持たせるべきだ。罰則規定を設けるかどうかについて議論すべきだ」と話した。
安倍晋三首相は6日が期限の緊急事態宣言を、全都道府県で延長する意向で、詳細は4日に決定したいとしている。特措法を巡っては、西村康稔経済再生担当相も権限強化や罰則整備に言及。今回、半数近くの知事が現状の権限を不十分と考えていることが明らかになり、法改正に向けた議論が高まる可能性がある。
都道府県が事業者に休業の要請や指示をする際、政府の基本的対処方針が国との協議を求めている点に関しては、26人が「妥当だ」と回答。感染拡大を防ぐには各自治体が足並みをそろえる必要があり、国との調整には意味があるとの意見が多かった。14人は「各知事に任せるべきで、妥当ではない」とした。
休業要請に応じた事業者への補償については、ほぼ全ての知事が「財源の確保を含め、国が統一的に対応すべきだ」と答えた。緊急事態宣言の対象を7都府県から全国に拡大した政府の対応に関しては、大半が「妥当だった」と答える一方、愛媛など4人は、事前に説明や調整がなかったことを問題視した。
アンケートは4月下旬に実施し、主に文書で回答を得た。一部の知事は対面取材に応じた。
富山県の石井隆一知事は「要請を実効性のあるものとするためには、罰則を伴う法整備の検討が必要」と記述。一方、秋田県の佐竹敬久知事は「移動、営業の自由は国民に認められた権利で、現行の法体系では罰則規定を設けるのは困難だ」と記した。
国との協議に関し、三重県の鈴木英敬知事は「長い時間を費やせば、有効な措置も急速に陳腐化する」と懸念を示した。「字句修正にまで及ぶなど弊害が大きい」(山梨県の長崎幸太郎知事)との批判もあった。
共同通信の配信ではわからない部分を地方紙が補っていることになる。残念ながら、そのような地方紙は少数派である。
権限が不十分と答えた22自治体の詳細は不明で、それらの知事がどのような意見で「不十分」と主張したのかはわからないが、新潟日報が報じている花岡新潟県知事の意見がその理由なのであろう。彼は言う。「休業要請に応じないパチンコ店の名前を公表した措置を取っても、必ずしも効果があるわけではない。もう少し踏み込んで実効性を持たせるべきだ。罰則規定を設けるかどうかについて議論すべきだ」と。
この主張は、休業要請を行い、さらに店舗名の公表を行っても、休業しない店舗があるので、休業させるに足りるだけの権限を付与せよと言っているのであろう。
この論理には、一理あるように見られるが、それは、この法律の根本にかかわる問題である。新型コロナ特措法は、市民や業者の自主性を尊重し、自粛の要請や休業の要請を基本としている。それは、あくまでも要請であり、それに従うかどうかは、個々の判断にゆだねられている。これが、新型コロナ特措法の特徴なのだ。したがって、たとえ店舗名の公表をしたとしても、そのダメージは店舗側が受けることを前提に、公表すれば、多分自発的に休業するであろうことを前提としている。
これに対し、公表したけど、なお休業しない場合には、休業を指示することになるが、それについても罰則はない。その指示に従うかどうかは、各事業者の判断に任せられているのだ。
ここから明らかになることは、この新型コロナ特措法は、すべての処分に従うかどうかが各自の自主的判断にゆだねられているのである。
ところで、5月3日の朝日新聞は、「コロナ禍 市民をどう制限」と題した特集を組んでいる。
「米国 外出禁止 権限は国ではなく州に」「ドイツ ナチスの記憶 軍派遣する法の発動見送り」としてアメリカやヨーロッパの国口の現状を報告している。それに対して、「日本では 罰則なき特措法 人権に配慮」として、新型コロナ特措法の特色を報じている。
ここで考えなければならないのは、「自粛」の持つ意味である。
日本語の「自粛」の当たる言葉は、ヨーロッパ言語には存在しないということを聞いたことがある。今辞書で調べても、ぴったりとした訳語は出てこない。
個人の自由が社会の原点となっている欧米の国々では、権力の力で一定の方向性を指示しない限り、権力に従うことはないであろう。だから、より強い「禁止」という措置を取らざるを得ない。
それに対して、日本では、まだ「お上思想」が蔓延し、当局の言うことには従うものであることを前提としている社会ではないだろうか。だから「外出の自粛」を要請すれば足りているのだ。
そのことから、「自粛警察」という言葉が誕生した。
「自粛」に従っているものは、「自粛」に従わないものを白い目で見、自分たちとは異質のものであるという前提で、それらの人たちを当局に通報し、何らかの取り締まりを要求するようになる。これは、日本社会の悲劇である。
5月3日、共同通信は、「全国22知事、権限は「不十分」 コロナ特措法、8人が罰則に言及」と題した、次のような記事を配信した。
新型コロナウイルス特措法に基づく緊急事態宣言発令時の知事の権限について、全国47都道府県知事のうち22人が「不十分だ」などとして見直しを求めていることが2日、共同通信のアンケートで分かった。このうち茨城や京都など8人は、休業指示に従わない業者への罰則規定の必要性に言及した。一方で群馬や福岡など7人は、過度な私権制限につながりかねない権限強化や罰則に慎重な姿勢を示した。
安倍晋三首相は6日が期限の緊急事態宣言を、全都道府県で延長する意向で、詳細は4日に決定したいとしている。特措法を巡っては、西村康稔経済再生担当相も権限強化や罰則整備に言及している。
同日の新潟日報は、より詳しく、次のように報じた。
花角英世新潟県知事はアンケートに対し、緊急事態宣言発令時の知事の権限について「不十分」と答えた。
理由として新潟日報社の取材に対し、「例えば、休業要請に応じないパチンコ店の名前を公表した措置を取っても、必ずしも効果があるわけではない。もう少し踏み込んで実効性を持たせるべきだ。罰則規定を設けるかどうかについて議論すべきだ」と話した。
安倍晋三首相は6日が期限の緊急事態宣言を、全都道府県で延長する意向で、詳細は4日に決定したいとしている。特措法を巡っては、西村康稔経済再生担当相も権限強化や罰則整備に言及。今回、半数近くの知事が現状の権限を不十分と考えていることが明らかになり、法改正に向けた議論が高まる可能性がある。
都道府県が事業者に休業の要請や指示をする際、政府の基本的対処方針が国との協議を求めている点に関しては、26人が「妥当だ」と回答。感染拡大を防ぐには各自治体が足並みをそろえる必要があり、国との調整には意味があるとの意見が多かった。14人は「各知事に任せるべきで、妥当ではない」とした。
休業要請に応じた事業者への補償については、ほぼ全ての知事が「財源の確保を含め、国が統一的に対応すべきだ」と答えた。緊急事態宣言の対象を7都府県から全国に拡大した政府の対応に関しては、大半が「妥当だった」と答える一方、愛媛など4人は、事前に説明や調整がなかったことを問題視した。
アンケートは4月下旬に実施し、主に文書で回答を得た。一部の知事は対面取材に応じた。
富山県の石井隆一知事は「要請を実効性のあるものとするためには、罰則を伴う法整備の検討が必要」と記述。一方、秋田県の佐竹敬久知事は「移動、営業の自由は国民に認められた権利で、現行の法体系では罰則規定を設けるのは困難だ」と記した。
国との協議に関し、三重県の鈴木英敬知事は「長い時間を費やせば、有効な措置も急速に陳腐化する」と懸念を示した。「字句修正にまで及ぶなど弊害が大きい」(山梨県の長崎幸太郎知事)との批判もあった。
共同通信の配信ではわからない部分を地方紙が補っていることになる。残念ながら、そのような地方紙は少数派である。
権限が不十分と答えた22自治体の詳細は不明で、それらの知事がどのような意見で「不十分」と主張したのかはわからないが、新潟日報が報じている花岡新潟県知事の意見がその理由なのであろう。彼は言う。「休業要請に応じないパチンコ店の名前を公表した措置を取っても、必ずしも効果があるわけではない。もう少し踏み込んで実効性を持たせるべきだ。罰則規定を設けるかどうかについて議論すべきだ」と。
この主張は、休業要請を行い、さらに店舗名の公表を行っても、休業しない店舗があるので、休業させるに足りるだけの権限を付与せよと言っているのであろう。
この論理には、一理あるように見られるが、それは、この法律の根本にかかわる問題である。新型コロナ特措法は、市民や業者の自主性を尊重し、自粛の要請や休業の要請を基本としている。それは、あくまでも要請であり、それに従うかどうかは、個々の判断にゆだねられている。これが、新型コロナ特措法の特徴なのだ。したがって、たとえ店舗名の公表をしたとしても、そのダメージは店舗側が受けることを前提に、公表すれば、多分自発的に休業するであろうことを前提としている。
これに対し、公表したけど、なお休業しない場合には、休業を指示することになるが、それについても罰則はない。その指示に従うかどうかは、各事業者の判断に任せられているのだ。
ここから明らかになることは、この新型コロナ特措法は、すべての処分に従うかどうかが各自の自主的判断にゆだねられているのである。
ところで、5月3日の朝日新聞は、「コロナ禍 市民をどう制限」と題した特集を組んでいる。
「米国 外出禁止 権限は国ではなく州に」「ドイツ ナチスの記憶 軍派遣する法の発動見送り」としてアメリカやヨーロッパの国口の現状を報告している。それに対して、「日本では 罰則なき特措法 人権に配慮」として、新型コロナ特措法の特色を報じている。
ここで考えなければならないのは、「自粛」の持つ意味である。
日本語の「自粛」の当たる言葉は、ヨーロッパ言語には存在しないということを聞いたことがある。今辞書で調べても、ぴったりとした訳語は出てこない。
個人の自由が社会の原点となっている欧米の国々では、権力の力で一定の方向性を指示しない限り、権力に従うことはないであろう。だから、より強い「禁止」という措置を取らざるを得ない。
それに対して、日本では、まだ「お上思想」が蔓延し、当局の言うことには従うものであることを前提としている社会ではないだろうか。だから「外出の自粛」を要請すれば足りているのだ。
そのことから、「自粛警察」という言葉が誕生した。
「自粛」に従っているものは、「自粛」に従わないものを白い目で見、自分たちとは異質のものであるという前提で、それらの人たちを当局に通報し、何らかの取り締まりを要求するようになる。これは、日本社会の悲劇である。