社会の鑑

社会で起きている出来事にコメントを加えています。

『無知の涙』を読んで

2009-01-23 16:47:07 | ノンジャンル
 今年度の2年生ゼミでは、『無知の涙』の輪読を行いました。全10章を、すべての人が分担して報告し、それについての議論を行いました。また最後には、それぞれが全体を通しての感想を述べ合い、それも一つにまとめました。
 それらすべてを、ホームページにアップしましたので、是非お読みください。
 それについての批評や意見等がありましたら、ここにお書きください。
 多分、ゼミ員の誰かが反応してくれると思います。

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6 コメント

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Unknown (伊豆川)
2009-01-31 21:23:56
永山則夫の『無知の涙 増補新版』(河出文庫、1990年)と、ゼミ生の皆さんの『無知の涙』輪読記録を読みました。ゼミ生の皆さんが、『無知の涙』を丁寧に読んでいることに感心しました。
永山が獄中で自分なりに学問に励むことによって、永山が「自分自身を表現する能力」と、「自己反省する回路」を獲得していくプロセスを知ることができ、勉強になりました。
ただ、いくつかゼミ生の皆さんの輪読記録を読んで気になったことを書きます。
第一に、「ノート3」の輪読記録において、「でも私は、社会主義国家になったからといって、みんなが裕福になれる訳ではないと思うので、彼のこの思想はちょっとおかしいのではないかと感じました」と述べている部分がありますが、これは、永山に対する批判としては不十分です。なぜなら、永山は自分が資本家の都合によって「金の卵」という安上がりの労働力として動員され、自分を否定されたという怒りから社会主義を支持しているからです。永山が社会主義を支持していることがおかしいとするのであれば、社会主義を基礎とする社会よりも、資本主義を基礎とする社会の方が、人は幸福に生活することができるということを論証する必要があります。
第二に、「ノート10」の輪読記録において、「内閉症=孤独者=自閉症者これを考慮しても、自分は孤独でいたいと述べている」と述べていますが、「自閉症」とは、強度のこだわりや問題行動を起こす知的・気質的障害のことであり、「自分の殻に閉じこもる病気」ではありません。いわゆる「永山的な理解」として先述のように書いたのかもしれませんが、説明なしに先述のように書くことはまずいです。
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Unknown (伊豆川)
2009-01-31 22:09:01
追記
永山則夫についての論考として、社会学者のM先生による「まなざしの地獄」があります。
M先生は、永山を「存在の飢えを充たすことができなかった人間」だとします。永山が「存在の飢え」を充たすことができなかったのは、第一に「都市のまなざし」によって自分が貧困者・地方出身者であることを常に自覚しなくてはならず、自分の主体性を創出できなかったこと、第二に自分が希望を持っていた「上京」で、自分の希望を挫折したこと、の2点が重要であると、M先生は論じます。
若い人間が「存在の飢え」を充たすことができる社会を創出することは、なかなか難しいですね。けれどもゼミ生の皆さんには、その若い力を生かして、「自分の存在」を確立できるようにしてほしいです。
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Unknown (晦冥の狩人)
2009-02-06 17:29:34
遅くなりましたが,伊豆川さんの御意見を読ませて頂きました.

今回の感想文において,不適切な表現や解釈があったことを,ゼミ員一同に代わってお詫びいたします.また、稚拙な内容であるにも関わらず,伊豆川さんがお読み下さった事,御指摘をして下さった事に御礼申し上げます。

まず,ノート3の輪読記録においてのご指摘して下さった点については,私も疑問を感じるところがありました.というのは,伊豆川さんが御指摘して下さっている通り,永山の社会主義を理想とする深層心理が,如何なる部分からきているか?という観点からです.永山則夫という人を考察するにあたって、彼には彼が淘汰されながら生きてきた社会があり,それが資本主義という形体の社会であった.社会主義だけを考察するのではなく,永山則夫という一個の人間を考察しなければ,永山の思想を批判する事は到底不可能であると考えられます.資本主義という,いわゆる実力主義,永山が引き合いに出している資本主義を考察し,資本主義を絶対的な存在として確立させなければ,批判にはならないと私も思います.

ノート10の自閉症についての解釈は伊豆川さんが御指摘して下さった通り,説明をしないで決めつける行為であって,評価できないものであると思います.永山は己の脳内で自分自身の世界を作り出し,社会というカテゴリーに存在する「人間」として,考察或いは記述をしているので,病気として扱っていてはダメですよね.永山を特別視しないことが,永山を理解するということであり,人は誰しも犯罪者になる可能性を秘めているという事を認識しながら,考えを纏めなければならないと思います。

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Unknown (晦冥の狩人)
2009-02-06 17:31:06
追記

M先生の「まなざしの地獄」という本,実に興味があります.存在の飢えを充たすことができなかった人間というのは,大きく言ってしまえば、「生きる意義を掴めなかった」という解釈でしょうか?

この解釈で間違っていないとすれば,確かに自分に対しての負い目や環境の格差,自分の自我を否定される苦しみを感じ,自分という存在が分からなくなり,焦燥感や憎悪などの感情が生じそうですね.そうしたジレンマから犯罪を起こしてしまい,自分の望んでいなかった未来を創出してしまうのかもしれません.

伊豆川さんの言う「存在を飢えを充たす事の出来る社会とを創出することは,なかなか難しい」というのは,心で創出するものなのか,形で創出するものなのか,どちらの観点での意見でしょうか?どちらか片方ではなく,形で創出した上で心にも創出させるという意味でしょうか??

ちなみに,どこまでいっても結局は社会というカテゴリーは実力主義であると自分は考えているので,真の平等だとかを実現させる事は不可能であると考えています.よって,私の考える「存在の飢えを充たすことができる社会を創出する」というのは,自分自身の力を十分に発揮できるように,己が努力する事から始まる事であると思います.

そう考えると,獄中においての永山則夫は,数々の本を読みあさり知識を得て,世の中のことを考察して,己の思想や世界を描く事で,存在の飢えを充たす事が出来ていた,或いは,飢えを満たしている段階であったのであろうと考えられます.
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Unknown (晦冥の狩人)
2009-02-06 17:36:42
最後に,投稿者のhumanpeaceさん(先生)へ質問なのですが,「ホームページにアップしましたので」とは、どこを指しているのでしょうか?;;見方が分かりません><
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Unknown (伊豆川)
2009-02-06 23:15:20
輪読記録をアップしたことは、メニューのMAINの「ゼミナール」を指していると思われます。なお、「まなざしの地獄」については、下記のリンクを参照してください。なお、昨年「まなざしの地獄」は書籍化されています。
http://plaza.rakuten.co.jp/kenjihashimoto/diary/200708150000/
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