起業20周年のスエレです。
資料を整理していて、2~2年半前のものが出て来ました。ライターさんに取材をして貰うための事前資料だったと思います。
ちょっと熱くて、結構クールにまとまっていたので、ココに出してみます
Essential Life~エッセンシャルライフ~
【スクール型メソッドを創った理由と経緯】
サロンへみえる方々のカラダ(疲労度)が酷かった。不自然な肥満や肌荒れ、生理不順に始まり、営業年数を重ねるごとにカルテの「不定愁訴」項目がどんどん増えていきました。それは後に住環境の化学物質・食品添加物・化粧品等の日用品が原因の一つと判明します。
当時は専ら「カラダ」のケアに努めていたのだが、お客様より受け取る施術後談から「精油」や直接肌に触れる「ボディワーク」「セラピー環境」(音楽・リネン・色を利用した内装・建材に備長炭等かなり気を配っていました)が「ココロ」にも確実に影響を及ぼしていることを実感する。その頃日本では文献で目にするよりも遥かに早く私達は現場で確信していました。
そこから暫くは「カラダ」「ココロ」が同時に快方へ向かうサロンとして営業を続けます。そして私はサロンプロデューサー・経営者と同時に、セラピストとしても現場で接客する中、ある短期間に同じようなお客様に立て続けに遭遇します。
一時的には心身そのどちらも不調が改善されるのに、日常に戻ると途端に不調へ傾いてしまう。その循環を解消すべく身体・心を超えた領域にアプローチし始めました。
もうそうなると、私がサロンプロデューサーとして持っていた「サロンの定義」からは外れてしまい、所謂「駆け込み寺」となっていきました。
独自の定義では、サロンとは自分へのご褒美に訪れる城。最高のサービス空間であり、場所・時間・プロフェッショナルな技術とおもてなしを堪能できる。その為に高額な料金でサービスを受ける。
経営者としても、アロマセラピストという職業を社会的に認知させることに遣り甲斐を感じていました。実際に、新宿の新築ビルワンフロアを6エリアに分け、内装1000万円掛けプロ集団を作り、分厚い接客マニュアルと長時間の技術研修などを行い営業していた。売上も社員の給与も当時のOL平均額より遥かに高額でした。多店舗展開もしていました。
それに対して駆け込み寺は、トラブルや不調の解消を第一目的とする場所で、マニュアル化・システム化とは縁遠く、熟練した専任者が常に待機し、時に利益土返し、サービス業には収まらないイメージです。
話は更に続きますが、当時のお客様の状態には明らかに「駆け込み寺」が必要でした。必要というのは、結果が出て行ったということです。しかしここは日本ですし、西暦2000年代です。現実を整えるため、スクール型メソッドを創造しました。お客様が知識と技術を身に付け「ホームケア」や「意識の変換」に向いていくよう仕向けたのでした。僧侶や牧師のお告げや説法だから聞ける。というような内容は、美容系サロン寄りのサービス業であり、技術者であるセラピストという立ち位置から、変更する必要がありました。
それもこれも、サロンやセラピスト依存型から脱出して欲しい!という一心でした。
インプットするモノの質や、日常生活を見直さなければ、毎日のようにサロンへ通っても永遠にクリアしないお客様の現実は変えたかったのです。
サロンは繁盛しても、お金を使えない人、時間が取れない人はこのまま病気になっていくのは違うと思ったからです。
そして何年か駆け込み寺を運営した後に今度は「駆け込み寺使用」を外していく仕組みを創り始めます。
精油も化粧品も食事もレスキューではなく、ご褒美であり、より上がっていく為のものに!!という核があります。 依って本質的な生き方=エッセンシャルライフを自分のものにするしかないと考えているわけです。