はみ出し行政書士日記

破天荒(?)な行政書士が、遭遇する様々な事件に挑戦する日々の実態+α

Yahooに登録

2004年07月31日 23時06分07秒 | その他
本日、事務所HPがようやくYahooJapanに登録されました。
今まで何度か登録申し込みをしていたのですが、一般の申し込みでは埒があかず、数日前にビジネスエクスプレスで申し込んだところ、申し込みから3日で登録されました。たかが5万円といえど、お金の力は偉大だと思いました。

仕事とプライベート

2004年07月30日 17時58分45秒 | つぶやき
行政書士は周知のとおり自営業者である。自由業とも言う。(この違いはどこから来るのだろうか、未だにわからない。)
サラリーマン時代は、職場を一歩離れれば、その瞬間から自由人になれた。休日もしっかり定まっており、アフターファイブもあった(残業ばかりで本当はあまり無かったけど)。

ところが自営業者にはそれが無い。寝ても覚めても常に仕事のことが頭から離れない。プライベートと仕事をある瞬間で区切ることが出来ないのである。これを思うと、長く自営業者として仕事をしている人がどれだけ偉いかということがよく分かる。

一日全て仕事のことを考えず遊べる日というのは、我々には存在しないのだろう。最近そればかりが頭をよぎる。もうすぐ盆休みの時期だが、今年は盆休みが取れるのだろうか。

今一番の気がかりはそれである。

仕事量のムラ

2004年07月30日 10時23分00秒 | つぶやき
会社組織でない故か、仕事量にはムラがある。
ここ2,3日は比較的仕事が少ないのでゆっくり落ち着いて物事を考えられるのだが、忙しい時には、一日にアポ3件、手続2件などと、すごい状況になる。一見たいした仕事量に見えないが実は違うこの仕事。他人から見える部分はこういった相談や手続なのだが、その裏には膨大な量の資料調査と事実調査、そして調査に基づいた書類作りが待ち構えている。
とのんきに書いている場合ではないのだ。来週がまさにそういう状況に、、、嵐の前の静けさのような状態である。

恐ろしい体験

2004年07月29日 17時29分50秒 | 衝撃の事件
世の中に恐ろしい体験というのは沢山あると思うが、我々のような職業の者が出会う恐ろしい体験というのは、普通の恐怖体験とは全く異次元である。現実の恐怖なのだ。

自分の生命の危機を感じる。幸か不幸か、私はそこまでの体験をした事は無いが、下手すればそうなると思うような体験は何度かある。

今でも忘れられない事件があった。(ここから書くことはほとんどが推測であるが、私は確信を持っている)

年末も押し迫ったとある冬の日、突然事務所の電話が鳴る。そこまでは至って普通のことだ。
「はい、○○事務所です」
「あの~、知り合いの女の子が中国人と結婚したんで、ビザ取りたいんだよ」
「はぁ、そうですか。」
「書類は大体揃ってんだけど、頼めるかな?」
経験を積んだ行政書士でなければ、この会話に違和感を覚えることは無いだろう。
しかし、今まで何十人、何百人という外国人を相手にしてきた行政書士としては、この会話の不自然さを見抜けなければいけない。

そもそも、何で本人が問い合わせてこないのか。こういうケースは結婚紹介所などのブローカーが絡んでいる事が多いのだ。もし悪質なブローカーが絡んでいるなら、丁重にお断りしなければいけないケースである。(行政書士法では正当な理由無く依頼を断ってはいけないことになっているが、法律改正をぜひともしてほしいものである。仕事を選り好みしたいのは誰も同じだ。好き好んで危険に近付こうとする人などいない。)

しかも、書類が大体揃っているなら自分で申請すればいい。そもそも私たちの仕事は、書類の揃え方が分からない人への助言をしたり、忙しくて手続が出来ない、面倒だから誰かに頼みたい、何度やっても上手くいかない、などなど、それなりの事情がある人に代わって様々な手続をすることで成立っている。しかし、自分で書類も揃えて、ほとんど大丈夫と言うなら、わざわざ高い報酬を払って頼む必要は無いだろう。

この二つを理由に、私は偽装結婚であることを疑ったのだ。この日本人女性は、中国人がビザを取る道具にされてしまったのではないか。
そして電話の男は、一度事務所を訪れると言う。来たいという人を拒むことも出来ず、とりあえず詳しい話を聞くことにした。

翌日、若くてまだあどけなさすら感じられるような女性と、浅黒い中年の男が来所した。結婚に至る事情などは、プライバシーの問題や守秘義務などの問題がありご説明することは出来ないが、その様子の不自然さは言葉では表せないものだった。(これも経験を積んだ行政書士で無ければ感じることが出来ないであろう)

私は、自分の予感を確信にするために、幾つかの質問をした。いつもしている質問だが、偽装結婚かどうかを見抜くには効果がある。その女性のしぐさからも、偽装結婚であることがすぐに見抜けた。

ところが、断る口実が無い。非常に困った。前記したが、行政書士法には「正当な理由無く」依頼を断ってはいけないことになっている。私の疑問を相談者に聞く訳にもいかない。偽装結婚している人とブローカーに向かって「あなた偽装結婚しているでしょ」などとは言えない。

となれば、別の解決方法を探るしかないのだ。
私は、そのための材料を探すために、更に女性から話を聞いて必要な情報を引き出していった。

一通り話を聞き終わり、私はこの女性が偽装結婚をしているということを確信した上で、その裏づけ調査が必要であり、また、状況によっては女性を救ってあげなければいけないのかもしれないという思いにもなった。恐らく、その女性は相談を持ちかけてきた男の(あらゆる意味で)奴隷にされているのだ。理由は想像に任せる。

こういうケースは、事を荒立てると話がこじれ、自分の身にも危険が及ぶのだ(と言いながら、ブログに書き込みをしていてよいのかは分からないが)。周辺環境から調査をはじめ、数名の協力者を得た上で、間接的にその協力者を支援しながら偽装結婚から救ってもらった。

私が自分の無力さを感じるのはこういうときなのだ。自分の手で直接その女性を救うことは出来なかった。しかし、一人の女性を偽装結婚の道具、いや、そこから始まるもっと恐ろしい事態を考えれば、その女性が受けた傷を最小限で食い止めるきっかけとなれたことには、誇りをもっていいのだろう。

たかが行政書士、去れど行政書士。私は、去れど行政書士と呼ばれるようになりたい。
でも、持ち出しは勘弁願いたい。こういう事件は、大抵持ち出しである。

偽装結婚に至る経緯や、救出方法など、もっと詳細に書くことが出来れば、どんなドラマにも負けないストーリーになることは間違いないのだが、職務上これが限界なのが残念。

仕事でこんなに喜べるのは中々無い!

2004年07月28日 22時47分17秒 | ウレシカッタコト
数日前の話しです。

とあるS市在住の家族からの相談でした。その家庭には、ご主人が日本人で奥様はタイ人のご夫婦に、最近になって生まれた女の赤ちゃんがいました。その赤ちゃんは日本人です。
相談は、その奥様の連れ子についてでした。タイで生まれた16歳のタイ人の男の子です。
タイでは奥様の両親や兄弟の家庭に預けられたまま10年以上生活していましたが、最近になり、あまりに酷いいじめに遭っているため、何とかして日本で一緒に滞在したいと言うのです。
1月ほど前に、自分たちで書類を集めて申請してみたものの、日本での滞在が認められず途方に暮れていたそうです。通常、日本人と結婚した外国人が連れ子を日本に呼び寄せる場合、15歳ぐらいを境目に年齢が上がれば上がるほど難しくなります。それに加えて依頼者の場合は、10年ほどオーバーステイをしていて、3年程前に在留特別許可を得て合法的な在留資格を取得したばかりでした。入国管理局での審査はこの部分を理由に不許可にしたのです。

ところが、依頼者から話を聞いてみると、不許可になった理由は十分に承知しているが、子供のいじめは見捨てるわけにはいかないので、どうしても日本に滞在させてあげたいと言うのです。私も体に残された傷跡などを見させていただきましたが、目を覆いたくなるような酷い状況でした。いじめの域を越えて傷害事件になる可能性も考えられるほど酷い傷跡が体に残されていました。そんな酷い生活環境のところへ追い返すのはあまりにも非人道的過ぎる。私はそう思いました。

そのような状況を初回面談時に聞いてから、私の闘志はむらむらと燃え上がり、どうしても入国管理局に首を縦に振らせてやりたいと思うのでした。しかし、出来るかどうかは全く自信が無いのです。なにしろ、オーバーステイという覆しようが無い理由で不許可にされているのです。思わず、「諦めるべきでは・・・」という言葉が口から出てしまいます。

それでも立ち向かわなければいけないのがプロとしての立場でもあります。野球で言うなら、直球ど真ん中に剛速球を投げ込むことを覚悟したのです。
そこで、現在の状況や、入国管理局へのアピールの仕方、そして、今後の手続へ向けた準備やその方針について依頼者に詳しく説明して、すぐに準備に取り掛かりました。当然、私が提案した方針は全て納得してくれた上でです。

これから出来ること、それは①少年が日本で生活することがどれだけ有意義なことであるか、②少年が日本で生活することが、日本政府にとって何ら悪影響を与えるものでないこと、そして、③何の落ち度も無い子供に母親のオーバーステイの責任を押し付けるのは酷であること、の3点を訴えることです。

一度失敗していることなので、次は無いという気持が焦りを呼び、短期滞在の在留資格で滞在している少年の在留期限が1ヶ月を切っている中で、失敗は許されない状態でした。私は、依頼者の自宅に何度も足を運び、生活環境の調査や近所の状況を確認し、依頼者からの事実の聞き取りを繰り返して、書類をまとめ上げて行きました。
都合5、6回は行きましたでしょうか。何度も訪問して話を聞き、依頼者家族との交流をしているうちに、仕事の域を超えて何とかしてあげたいという気持にもなりました。本来、プロであれば許されないことかもしれません。冷静な判断が出来なくなります。

2週間ほど費やして、ようやく書類をまとめ上げることができ、入国管理局に申請に行きました。しかし、このときは審査官の言葉「受理してもすぐに不許可にするから。」に立腹し、同時にそのような状況で私の一存で申請してよいのか(お金の問題が絡むので)という問題を判断できず、その日の状況を説明しに依頼者宅を訪問しました。私の思ったとおり、依頼者はどんなに不利な状況でも諦めたくないと決意の程を伝えてくれたので、私もその気持ちを受けて、翌日依頼者家族全員と一緒に入国管理局に再度申請に行きました。
そこでの審査官の言葉もまた同様で、「明日にでも結論を出すから」でした。つまり、書類をほとんど審査しないまま不許可処分とすると暗に言っているのです。

しかし、一度受理した書類は、全て審査の上で判断しなければならず、今回提出した100ページ以上にわたる書類に即日目を通し切ることは出来なかったようで、結論が出るまでには1週間を要しました。とはいえ、通常の申請であれば1ヶ月かかることを考えれば、信じられない速さで審査が終わったことになります。おそらく、大見得を切った以上すぐに結論を出さざるを得なかったのでしょう。

そして結論は

許可

信じられません。
このような結論が出ることを誰が予想したでしょう。
私は、パスポートに「在留資格変更許可」と書かれたスタンプを貰うまでは信じられませんでしたが、受け取った瞬間は、本当に嬉しかったです。私は依頼者と固く握手をしました。これほど嬉しい結論はありません。9回裏、3点差からの逆転満塁ホームランを打ったような気持です。
元々ほとんど可能性が無いのを承知の上で、それでもどうしても子供を自分たちの手元に住ませてあげたいと願う親の強い気持が叶ったのです。最後まで諦めないこと、それはとても素晴らしいことだと思いました。

仕事柄、可能性が低いものについては、しばしば「諦めた方がいい」ということを口にしますが、これからは慎むべきだと思いました。少しでも可能性が残されるならそれにかけて挑戦することの大切さを教えてもらった素晴らしい経験でした。

本日は研修

2004年07月27日 22時48分27秒 | 業界裏情報?
本日は、所属する東京都行政書士会八王子支部の研修会でした。

専門とする在留資格関係の研修会で、東京入国管理局立川出張所から講師を招いて和やかな雰囲気で実施されました。近年入国管理行政は大きな転換を迫られており、そういった意味からも最新の情報を常に入手しつづけ、専門知識といえども錆び付かないようにブラッシュアップすることを心がける必要があります。