はみ出し行政書士日記

破天荒(?)な行政書士が、遭遇する様々な事件に挑戦する日々の実態+α

NEW HOMEPAGE

2006年04月24日 11時24分01秒 | その他
以前、ドメインを取得した話をしておりましたが、ようやく新しいホームページをスタートさせることが出来ました。

我が家の家計に代々続いていた「鈴八」の屋号がドメインの由来です。
旧下谷区稲荷町にて間口八間という当時としてはかなり大きな建具屋でした。
祖父の代を最後に継ぐ人が居なくなり店仕舞いをしたのですが、復活させて建具屋としての仕事振り(細かいところまで行き届いた気配りと、綿密な組み立てプラン、そして技術)を復活させられたらと思っています。

これからどんどん充実させていこうと思っていますが、現在のページは、今重点的に取り組んでいる部分に限定しています。

日本語ページ、韓国語ページがありますが、韓国語ページは近いうちにリニューアル予定、そのほかにも、英語ページもつくろうかなと、構想だけは広がる一方。

でもそれをいつになったら実行するかは不明。
予定は未定ってか。

鈴木国際法務事務所

2006年04月16日 20時45分36秒 | その他
人間誰にでも、師と仰ぐ人はいるだろう。
それが何人いるのか、どういう人を師と仰ぐのかは様々。

師と仰ぐからには、人生の先輩であることが多く、出会いは喜びであるが別れは悲しみとなる。

学生時代から、私が師と仰ぐ人物が逝った。
まだ58歳の若さ。

先が長くないのではないかと言う話は1年ほど前から聞いていたが、そのころの様子を知っているだけに、今でも信じられない。

その師との出会いはもう10年以上前の話になる。
学生時代のことではあるが、今の人生を決定付けるような出会いだったかもしれない。
当時、大学だけの学生生活に飽き足らずひたすら外を目指し新しいものを吸収しようとし続けた私が飛び込んだボランティア活動の場に師がいた。

師の言葉は刺激的で示唆に富み、全てを吸収しようとする私にとっては大変大きな存在だった。

しかし、思えば、当時は自分が余りに幼く、師の言葉に納得しつつも、次第に反発を覚えるようにもなっていった。
そんな私は、あるとき師と袂を分かつことになった。
出会いから3年ほどが経ったころだった。

その原因はすごく単純なもの。組織の作り方や動かし方の方法論をめぐって、意見に折り合いがつかなかったという、ただそれだけだった。民主的な組織構造を作ろうと、意見交換が自由に行える組織構造を作ろうとがんばってきたつもりだった自分にとっては、組織の立ち上げからずっと関わりを持ってきた師がうっとおしかったのだ。その組織自体が師の力によって持っているということも知りながら、そのことに嫉妬していただけなのかもしれない。

その後、社会の波にもまれながら自分の幼さを思い知らされ、師や当時の事を色々と思い出す中、2年ほど前偶然にも師に再会する機会を得た。

自分にとってはとても大きな存在であった師との再会は望んでも望みきれないものだったのに、こうやって実現できたことは、大きな出来事だった。

しかも、師に対して迷惑ばかりかけていた私が何の非難もされず、昔のことなど何のことかとばかり、普通に接してくれる師の存在。私は今でも当時の自分の幼さを恥じるばかりだが、そんなこと一切気にしていない師には、ただただ敬服するのみである。

そんな師から半年ほど前もたらされた電話「おれなぁ、末期の癌なんだよ。今電話だから元気そうに聞こえるかもしれないけれど、かなり調子悪くて・・・。
何か難しい問題があったら、○○(当時のボランティアの会長。私は副会長だった。)に鈴木のところに連絡して相談しろって言ってあるから、よろしく頼むよ。」

そんな話だけだったのだが、自分のことを気にかけてくれていると言う、ただそれだけで自分の小ささを思い知らされ、胸が熱くなったことを思い出す。

そんな師の言葉どおり、当時の会長は私宛に連絡をくれた。師と袂を分かって以来、既に8年は経っていて、そのとき全ての関係者との縁を切ったので、声を聞くのは本当に久しぶりだった。それなのに、昨日のことのように当時のことが思い出されるのは不思議なものだ。

その電話は、声があまりに落ち着いている。
そう、それは一番聞きたくない現実を伝えるためだった。

「○○さん、死んじゃったよ。」

あまりに早すぎる死。
まだ自分の中でこのことを受け入れられないでいるのがわかる。
自分のライフワークとなる外国人との関係や、物事の考え方など多くを学んだ師との別れは余りにあっけなかった。

まだまだ話したりないことはたくさんあった。
本当に困ったときには力添えをして欲しいと思うこともあった。
これまでの自分のなかでどこか心の支えになってくれていたことへの感謝も伝えたかった。

最近、自分の身の回りで色々なことが起きていて、冷静でない自分がいるのを分かっているのだが、この事実をどう受け止めたらよいのだろうか。

正直なところ、今の仕事ですら、師に道しるべを付けてもらったようなもの。
師の志をどう受け継いでいったらよいのだろうか。

もうそろそろ限界

2006年04月13日 03時31分06秒 | つぶやき
時計の針を見ると午前3時を回っている。
こんな時間にブログ書いている場合じゃないだろ・・・・・ってのは他人の考えなのか、自分の中にいる別の自分が言っているのか。

ここ3週間ぐらい、本当に限界に近いものがある。
例年なら比較的時間に余裕がある3,4月。

実は、普通の社会人なら一番忙しいこの時期は嵐の前の静けさのように比較的時間に余裕があった。

そう、去年までは。

しかし今年は違う。
土日はかろうじて休みを取れる日もあるが、アポ、アポ、アポ、そしてアポ。

前から気付いていることなのだが、多くの人と会って多くの悩みを聞き、その解決の糸口を見つけともに努力しなければいけないこの商売。
精神的ストレスは思いのほか大きく、心の洗濯にかなりの時間が必要なのに、その時間がない。

一日アポ3件を毎日連続して1週間続けたら、多分、気が狂うのではないかと最近本気で考えるようになった。
でも、先週だけで見ても、アポ15件は軽くこなしている。
一番多い日で6件。
もうそろそろ限界。
(参考までに、通常、アポ1件当たりの平均面談時間は1時間程度。それを終えて下調べなり書類作成なりをして、各種手続をするところまで考えると、どんなに少なく見積もっても、アポ1件当たり5時間程度の事務処理時間を必要とする。てことは、70時間から80時間ほどの労働時間を必要とする仕事が残されている計算になる。(--# )


どこか遠くへ逃げ去ってしまいたい気分。
しかし、目の前の机に高く積み上げられた(というより、ただ単にきれいに整理できていないだけかも)仕事の書類を見ると、やらなければいけないという強迫観念にだけ取り憑かれ、気が滅入るばかり。

何を隠そう(いや、隠していないかな)、私はO型。

血液型占いを信じているわけではないが、能天気でずぼらで適当で、でも、押さえるべきツボだけきっちり押さえているから、比較的トラブルを起こしにくく、世渡り上手といわれるO型。

私もその典型だとよく言われるのだが、こうも仕事から逃げられない毎日が続くと、いい加減うんざりしてくる。
出かけても帰っても、どこへ行っても仕事、仕事、仕事。

例年時間に余裕があった今の時期は、長期的なプランを立てたり、普段取り組むことが出来ない仕事(HPの更新や、各種情報収集、自分の知識のブラッシュアップなど)に時間をつぎ込めたのだが、今年はどうも様子が違う。

仕事のない時間を得るためには、サラリーマンに戻るしかないのだろうか。

でも多分無理だな。

自分の仕事の分析結果

2006年04月03日 20時08分54秒 | その他
たまたまヤフーのトップページで見つけた「成分分析」なるソフト。
試しに自分の仕事を分析してみたところ、下記のような解析結果が出ました。
興味ある人は、やってみてください。

成分解析

行政書士の成分解析結果 :

行政書士の59%はむなしさで出来ています。
行政書士の22%は時間で出来ています。
行政書士の7%は華麗さで出来ています。
行政書士の6%は柳の樹皮で出来ています。
行政書士の3%は黒インクで出来ています。
行政書士の1%は言葉で出来ています。
行政書士の1%は見栄で出来ています。
行政書士の1%は波動で出来ています。

つくば?筑波?

2006年04月03日 13時00分48秒 | つぶやき
昨日は日曜日だというのに、仕事でつくば市まで行ってきた。
そう、話題の「つくばエクスプレス」に乗って。
ついでに話題の萌え文化の秋葉原も経由して。

で、行ってみたつくば。
疑問は、何で「つくば」なの?
茨城県は、何故か平仮名の自治体名が多い。
「ひたちなか市」「かすみがうら市」「つくばみらい市」

市町村合併で、特徴を出せないのか、読みやすくしようとしているのか。
そうそう、社会保険庁も解体されて「ねんきん何とか」という組織に変わるらしい。

日本人はいつから漢字が読めないようになったのだろうか。

国内の地名が平仮名ばかりになってしまったら、一体漢字で築いてきた日本の文化はどうなってしまうのだろうか。それとも、一億層愚民化政策でも取ろうというのだろうか(って、そんなわけ無いだろ!)。

お隣韓国では、ハングルでの教育に重点を置き過ぎた結果、言語文化が衰退したという反省の基に、最近では漢字教育に力を入れるようになってきていると聞いている。

もうちょっと自分たちの文化を大事にしたほうが良いと思うのは私だけではないはず。

※ひらがな、カタカナ、漢字で同じ言葉を表現したときの語感の違いがあると言う議論は承知しております。