はみ出し行政書士日記

破天荒(?)な行政書士が、遭遇する様々な事件に挑戦する日々の実態+α

時代の最先端を行く振りして実は・・・

2006年02月28日 23時38分28秒 | 業界裏情報?
最近、諸事情により電子定款などの準備をしなければいけなくなり、行政書士用の電子証明書の取得へと動き出した。

ある意味、時代の最先端を行っている部分なのだろう。ある意味・・・・・・
政府も電子政府の推進などと御大層な事を派手に宣伝している。

行政書士会はそれに乗っかる形で、電子手続の推進をしようということで、他士業に先駆けて電子認証システムに取り組んだ過去もあった(今となっては只のゴミと化した巨大システムだったようにおもうのは私だけではないはず。あのお金はいったいなんだったのだろう・・・)。
今では日本商工会議所におんぶに抱っこ。

そんなこんなで、時代の流れに巻き込まれるがごとく私もその準備をしなくてはいけなくなったのだ。

ここまではさして抵抗感あるものではなく、それなりに納得できる部分なので取り組むことになったのだが、大きな問題がその先に待ち構えていた。

電子申請をするための個人認証システムの電子鍵やらIDやらが、ふろっぴぃディスクを使用してやり取りするということらしいのだ。
認証を行う電子定款などの文書についても、原則ふろっぴぃディスクを使用する。

この数年、その存在すら記憶の彼方に消え去っていたふろっぴぃディスクを今更使うとは、いったいどういった魂胆なのだろうか。

あれほどデータ破損の危険性が高い記録媒体というのも他になく、記録容量が少ない上に、そもそもメディアが手に入らないという問題だらけのふろっぴぃディスク。

そうは言っても、文句を言っていられないので、本日仕方なくヨドバシカメラでバルク品のふろっぴぃドライブとふろっぴぃディスクを10枚購入してきた。

正直な話、これから消え去るようなツールに2000円もの金をつぎ込んだこと自体腹立たしく、また、そういったツールを今更買っている自分が恥ずかしくもあったが、背に腹は代えられない。

これから役に立つものにならいくらでも投資するが、あとどれだけ使えるかわからないものに金をつぎ込むことほど空しいことはない。

そして、購入したバルク品のふろっぴぃドライブを帰宅後PCに取り付けようとしたその瞬間。

私の思考は停止した。
え・・・・・・何でピンが34個しかないの???(・・?
ATAPIって、たしか40ピン、ダヨネ・・・・・
あれ?ふろっぴぃドライブって、専用の接続があったんだっけ??
ふろっぴぃドライブの接続規格などとうの昔に忘れ去っているので、今更思い出そうにもまったくわからず参った参った。

参考までに、購入したふろっぴぃドライブは、何かと自前規格を持ち出したがる(そして失敗する)日本のS社の製品(でもそのことと今回の問題は無関係だけどね)。購入する際に詳細の確認をしていなかった自分が悪いとはわかっているが、こういった事態は想定外。ヨドバシカメラの店員の「これなら大丈夫!」の太鼓判を鵜呑みにしてしまった自分がまたもや情けなく、更に無駄金をつぎ込まなければいけないことが腹立たしくてたまらない。
明日再び専用コードを買いに行かなければいけないのだ。ハァ

そもそもの問題の根源にあるふろっぴぃディスクでの情報のやり取りを早く改善してほしい。

経営者は孤独

2006年02月20日 19時58分16秒 | つぶやき
本日は、いつも懇意にしている取引先と、某法律の問題について官庁でのヒヤリングや会計上の打ち合わせ(税理士同伴で)をしてきた。
その会社は設立からちょうど一年。
この一年を振り返ると、よく頑張ってきた会社だと思う。
社長さんはまだ20代半ば。
一緒に仕事をしている仲間は1名(最近もう1人増えたが、この1年間は社長との二人三脚)で、会社を切り盛りしてきた。

今日、会計・税務申告の打合せをしてきて、この一年間を振り返る機会があったのだが、社長さんと話をしていて感じたこと、それは、「経営者は孤独」ということだ。

いくら二人三脚で会社を盛り上げてきたと言っても、社長とそれ以外の人では意識があまりに違いすぎることを改めて感じさせられた。

同時に、地位が人を作り上げるという言葉は本当だったということも感じさせられた。

起業する前の2人を見ていて、正直なところ「これから大丈夫だろうか。」という心配もしていたのだが、あれよあれよという間に立派な社長になり、会社のこと、従業員のこと、全体をよく見て、長い目で経営のあるべき姿、社業をどういう方向へ持っていくべきなのか、冷静に判断できるようになっていた。

打合せが終わった後、喫茶店で世間話も含めて、会社の話をとりとめもなくしていたのだが、「この人なら大丈夫」と思った反面、この人が居なくなると会社はどうなるのだろうという不安も感じた。小さい会社の社長は、自分ひとりで踏ん張り続けなければいけない。とても孤独な職業なのだ。

喜び一転寂しい気分

2006年02月13日 19時46分22秒 | つぶやき
先週末の喜びから一転、週明けはやや寂しげな月曜日となった。

どんな仕事でもいえることかもしれないが、仕事上の付き合いというのは、思いのほか大事なものだと思う。

この仕事をしていると、外国人が相手だけに、出会いは大きな驚きや喜びがある反面、別れもまた大きいものになる。
というのも、この仕事での別れは、ほぼ間違いなく今生の別れになるからなのだ。
色々な事情があって、母国へ帰る人達を見送ることは、想像以上に寂しい気分になるものだと、今日初めて気が付いた。

振り返ってみると、今まで独立してから数年間、出会いばかりで関係が途切れた人というのは全くといってよいほどいない。
むしろ、時間が経てば経つほど親密になり、仕事を越えた関係にまで発展するほどなのだ。
昨年から色々と相談に乗っていた人が、家庭の事情で帰国することになり、今日、最後の面会(といっても、普通に会ってお茶しただけ)をしてきた。
いろいろと話をした後、別れ際「今までお世話になりました。」と言われたときに、一抹の寂しさを感じた。

柄に無く、センチ(って、もう死語だよね)になった瞬間だった。

素直にうれしい日

2006年02月10日 20時49分08秒 | つぶやき
今日は素直にうれしい日。

1年少々前、私と仕事仲間である某行政書士とともに取り組んだ案件について、今年もチャレンジすることになったのだが、こちらから一切アプローチなどしていないのに、私の仕事振りを見て、再度指名してきてくれた人がいる。

その人の活躍する世界ではとても有名な人で、数年前の大会では世界チャンピオンにもなっている!(そんな人と交流を持つ機会が出来たのもこの仕事のおかげ。)

探そうと思えば、東京近郊を含めて、10,000人は居ようかという行政書士の中から私が指名されたのだ。

当然、プレッシャーも大きいし失敗も出来ない状況なのはわかるのだが、私に全幅の信頼を寄せてくれてしまっているから、依頼主の目指すべき目標地点を聞かされて、後は私の理想とする方法を取ってくれればよいとばかりに、プロセスについては全て一任されてしまった。

さてどうしたものかと頭を抱えつつも、これを商売にして「専門家だ!」とエラソウにしているのだから、弱音を吐くわけもいかず。

とりあえず、選択肢をいくつか提示して、それぞれの長所短所について検討課題を理解してもらったうえで、判断だけは依頼主に任せることに。

そして、その仕事に取り組んで、あれやこれやと準備を重ねて、本日良い結果が通知された。
トラブル無く一連の準備が完了したことに本当に感謝したいと思えたとてもうれしい日だった。

(抽象的でわかり難くって、スミマセンm(_ _)m )

元巨人監督・藤田元司氏が死去

2006年02月09日 22時13分41秒 | ニュース
元巨人監督・藤田元司氏が死去
(報知新聞)

サッカーよりも野球、総合格闘技よりも柔道&相撲が好きな私としては、ここのところ一時代を築いた野球人が相次いで他界することが残念でならない。
昨年末、仰木元監督が他界したばかりだが、またもや名将が逝かれてしまった。

実は、私が物心付いたころ、当時の巨人軍監督をしていたのが藤田監督。
原辰則を育てた人といってもよいかもしれない。
王&長島というスーパースターの陰に隠れてしまい、巨人の主役ではなかったかもしれないが、近年の巨人の監督では最も優れた監督だったのではないかと思っている。
どちらかというと燻銀のような人に惹かれる私としては、藤田氏にはもっと活躍してほしいと思っていた。

昨年の人身売買事件、被害者は過去最多の117人

2006年02月09日 18時46分41秒 | ニュース
昨年の人身売買事件、被害者は過去最多の117人(読売新聞)

いわゆる「トラフィッキング」といわれるもので、実は日本は世界最大のトラフィッキング加害国といわれている。
国際的な批判が強まる中、政府もようやく重い腰を上げて、人身売買の罪を刑法に盛り込んだほか、入管法での取り締まりを強化したという次第。

実は、今までこういった犯罪は、組織側は摘発されず、「不法滞在をしている外国人」という画一的なものの見方だけで対処していたため、被害は拡大するばかり。
人身売買の被害者となる女性は、海外でうまい口車に乗せられて、日本で秘書の仕事があるということを信じて来日するのだ。

それが来日するとすぐにパスポートを取り上げられ、人身売買の対象となってしまう。
明らかに被害者なのだが、これまで日本の入管当局は、こういった人たちも入管法違反の犯罪者の一部という考え方にのっとり、「摘発」することに主眼を置いていた。
ようやく政策転換がなされたのだが、救済されるべき人はまだまだ多いと思う。

この世界では、シェルターと呼ばれる駆け込み寺のような施設があり、既に10年以上の活動実績を持つ。しかし、保護する女性の安全性を考え、団体の名称ぐらいはある程度知られているものの、シェルターの実態はまったく明らかにされていない。

こういった地道な活動のおかげで、今までわずかだけではあるが帰国することが出来た人もいる。政府も、こういった活動をもう少し見習って、もっと強力な保護活動に乗り出してほしいと思わされたニュースだった。

今年もOB会

2006年02月05日 22時20分09秒 | その他
昨日は、大学のゼミOB会。
出来の悪い私を見捨てず指導してくださった恩師との再会や、2年間の貴重な時代を共にすごした同期の仲間、そして、各界で活躍されている大先輩やこれから社会にはばたこうとする現役ゼミ生まで、総勢100名ほどのパーティーとなった。
数えてみると、この春から新しくゼミ員になる予定の学生は33期生。
私が23期生なので、既に10年が経過したことになる。
時の流れの早さを痛感させられる。
同期の中には、主任クラスまで昇進して、地位をきちんと築いている人もちらほら出てきた。

そんな中、開会の挨拶をされた5期の大先輩(税理士をされている)が言われた「ゼミ(OB会)は私たちの帰る場所」と言う言葉に、強い共感を覚えた。

思えば、数あるゼミの中からI教授のゼミを何故選んだのか、それを考えると、当時からの自分の目指すべきもの、ライフワークにすべきものの原点があったように思われる。

当時は、学外でのボランティア活動に大学の授業以上のエネルギーを注ぎ込み、そこでの問題意識を持って大学での専攻との関連からI教授のゼミの門を叩いたのだ。
そんなことを考えているそばから、ゼミOB会に一緒に出席していた妻から「学生の頃からこんなこと(当時の私の論文テーマが「外国人の公務就任に関する問題についての考察」であった)やっていたのね」と言われてしまった。(過去のゼミ論文集がズラリ勢ぞろいしていたのだ。)
そう言われてみれば、NPO法が可決成立した時を見計らって、NPO法とNPOの可能性について発表をするなど、少なからず今の仕事と関係することをやっていた。

社会人になると、学生の頃の専攻とは関係ない仕事をすることが一般的なことを考えると、自分の関心ごとについて、未だに「ああでもない、こうでもない」と騒いでいられるというのは幸せな事かもしれない。