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田舎道

東電の町から各町を転々と・・やっと終の棲家を決めました

予想外に

2015-06-19 12:51:50 | 婆婆様の事

義母さんは術後順調に回復しております。

病気恐怖症の義母なので、血圧が高いんじゃないの?低いんじゃないの?と

スタッフ、ナースさんにご面倒かけておりますが、生き残りたい気持ちがデッカイ人なので、

そこはシビアにしております。

 

先日行った時には、ベットから起き上がり、靴を履いて、歩行器につかまるという所まで

驚きの回復をしておりました。

スタッフが上手いというか、おだてたり、諭したり、褒めたりと、さすがだなと見てました。

 

一人で歩けるまで、2~3ヶ月と言われてまして、本人も帰るのは秋になること覚悟しているようです。

戻る時には新しい家に入れます。

それを目標にね。頑張ってください、お義母さん。

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恐れていたことが・・・

2015-06-03 08:52:15 | 婆婆様の事

義母さんが、コタツ布団に足をとられ転倒。

結果、大腿頚部骨折してしまいました・・・

 

義母の母親も、年とってから大腿骨折し、それが原因で亡くなったそうです。

なので、大腿骨折はしたくないと常々言っており、歩く時も注意してたようなのですが・・・

 

翌日すぐに手術となり無事済みました。

ドクターの説明で、大腿骨頚部の所、粉砕していたと・・・

布団の上に転んだだけなのに・・・

金具を3本入れたそうです。

 

でも強いというか、なんちゅうか・・・

『これから、救急車で病院にゆくから!』と伯母様に電話したと!

なので、すぐに親戚中知る所となりました。。。。

伯母様はすぐの姉で、ほぼ毎日、状況(どんな按配だ?調子は?眠れたか?)をお互いに言い合ってる仲ですが。

 

「これから救急車で行くから~」と言われた伯母様、ドキドキしちゃっただろうに・・・

夫さんが、そのこと義母に言ったら  『そんなごど、わがんね~』と・・・・

人の事より、自分の事なですなぁ・・・あはは~

 

手術後、普通の人は、術後などなんも出来ない状態と思うのだが・・・

『いや~これは酷いもんだぁ~ だれもこんなごど経験させだぐね~』と話してると。

でも「このまま死ぬのかと思った・・」と義母。

大変な事だったね。

 

ナースが来た時は

『何やるの? 数値は?大丈夫?』といちいち聞いてるし・・・

 

『大丈夫だ!  元気だ!』と、みんな、安心した所です。

 

リハビリが待ってるので、大変なのはこれからなのですが。

震災後、手首、足の甲など骨折してる義母です・・・

我が家からは一時間ちょっとなので、義母を励まし・・・いや、応援に行こうと思っています。

 

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せまい、せまい!

2012-11-26 22:12:45 | 婆婆様の事
久しぶりに義母さんの所へ行ってきました。

雪降る前に。

いろいろ話もあるので。


行く予定の日の前日に、連絡もなしに突撃訪問しちゃった・・・・

私は、一応これから行く事電話すると言ったのですが、主人は「突然行ってびっくりさせよぉ~」と。



午後3時前に出発して、就いたのは五時半過ぎてしまい、暗くなってしまいました。

お年寄りって夕飯が早い。暗くなったら食べちゃうよなぁと思いながら、玄関に入りました。


「お義母さ~ん、こんばんわ~来ちゃったぁ~」と覗いたら、・・・食べてました。

あはっ、やっぱりね~(^^)


『!!・・なに~!来たぁ?・・明日でないのぉ~?!』とあせってました。

主人は、ニヤニヤ。

一緒に食べようと、コンビニ弁当買っていったのですが、暖かいご飯あるからと。

冷蔵庫からお漬物いっぱい出して、あったかいご飯で食べました。



四畳半二間の仮設住宅、狭い所に物がいっぱい。

お互いにあっちこっち向きながら、話しながらの賑やかな夕食となりました。





私達もいづれ仮設に住む予定なので、キッチン、バス、トイレ、眺めてきました。

四畳半に、テレビ、こたつ、他にも物があって、ここに二人で寝たのですが、かなりきつかったです。

ふ~~ん、これは大変ですなぁ・・・どうしたもんですかね~・・・

って言っても、みんなが暮らしてるんだから、出来ないことはないのでしょう・・きっと。


義母とは、これからの事など夜遅くまで話しました。

いやぁ~いっぱい話ししました。



主人、家に帰ってから、「家は静かだよな~・・・」と。

女同士、しゃべること山ほどあったからね・・・あはは~(^0^)
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元気でした

2011-09-26 12:14:05 | 婆婆様の事
朝から秋晴れの休日



車にいっぱい婆婆様の荷物をつけて、前日入居した仮設住宅に向かいました。


普通なら一般道でまっすぐ行けるのに、ぐるりと遠回りし高速を使い2時間半ほどかかって着きました。

ナビを見ながら、結構な山道を上ると一気に開けて住宅は見えてきました。

その住宅の傍に、仮設住宅がズラリと立ち並んでいました。

入り口の案内図で、義弟から聞いていた部屋番号を探し向かいました。



夕べは眠れたろうか。。。

寒くはなかったろうか。。。


心配な気持ちで、戸を開けて声をかけました。

婆婆様、うたた寝してました。


「お母さ~ん、来たよ~ 夕べ眠れた~ 寒くなかった~」と声をかけると

「早いこと~もう来た~! 寒くなかったよ。すぐ眠っちゃったよ。」


いつもの婆婆様らしく元気な姿がありました。



部屋は二間とキッチン、バストイレがついています。

これでも二人用らしいが、かなりコンパクトに作られている。

居間になっている部屋は四畳半、コタツ、テレビ置いたらもうギチギチ。

でも使い勝手は良さそうです。



昨日は孫達が来て「これはあ~だよ、こ~だよ」と賑やかだったとのこと。

同じ並びの部屋に知り合いの人がまもなく入居予定で楽しみにしてると。

ここの仮設はほとんどが町内の人であること。

名前を聞いただけで、あの人はどこから来た人で、何番目の娘はどこに嫁に行って、

その息子はこんな仕事して、などと何でも知ってるすごい能力の持ち主の婆婆様。


私も主人も、そんな事聞いても、右から左に通り抜けてしまうだけなのですが。。


その時も前を通った爺さんを見つけ、すぐさま

「もしかして〇〇町から来た人ですか~」と声をかけ、私達いるのに、しゃべること十数分。

主人と顔を見合わせ、「お母さんらしいね。ここに来たの正解かもね」と。


婆婆様には、おしゃべりと孫達の笑顔が必要であるので

仮設住宅ではあるけれど、国、県の方向が出るまで頑張って過ごしてほしいと思いました。


これで落ち着く所に落ち着いたという思いです。

義姉も同じ市内なので、前と同じような環境で婆婆様もほっとしてるのではと思います。





私達はまた二人暮らし、時々三人の生活になりました。

住んでる場所は違うけれど、いつもの生活に戻った気がしてます。

これからも自分達の生活を大事にしてゆこうと思います。

来年、転勤がないことを祈りながら。。。



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秋風

2011-09-23 22:02:27 | 婆婆様の事
朝方冷え込みました。


起きてカーテン開けたら窓のガラスが曇ってました。

寒い!



久しぶりに晴れて洗濯日和となりました。

あまり綺麗に晴れると、なぜか物悲しくなるのは、私だけかな・・・



婆婆様、仮設住宅に移る事になりました。


義弟家族が先月から住み始まった仮設住宅の中の1Kの部屋に。


私のいる所は宮城県に近い所、婆婆様が行く所は茨城県堺。


遠い・・・


それでもやはり孫達がいる義弟の傍がいいんだ。



「83才になって初めて一人暮らしをするなんて、お母さんの事思うと・・・」と言ったら



「可愛い孫達の顔はいつでも見れるし、近所の人とおしゃべりできるからいいんだよ」


「一番は、弟と近くにいられることだよ。俺じゃダメだから・・」


「また急に、『泊めてなぁ~』って戻ってくるかも。だから心配しなくていいよ」と主人。




婆婆様がいろいろ考えて自分で決めた事だから。


先が見通せない今だから、好きなようにするのもいいかも知れない。


また嫌になったら、いつでもここに戻ってくればいいし。


一緒にいた4ヶ月間、私、頑張り過ぎちゃって・・・婆婆様、苦しかったかも。。


心をリフレッシュして待ってますからね。


いつでも。



明日、主人と、置いていった婆婆様の荷物を届けに行ってきます。







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限界だったかな・・・

2011-08-06 20:38:48 | 婆婆様の事


婆婆さま、義姉家族がどんな所に住んでどんな生活してるか一度見てみたいとこの頃言い始めた。

義姉家族は、大震災当時同じ町内ですぐ近くにいて被災し、今いわき市の借り上げ住宅に住んでおります。


糖尿病も、眼底出血もかなり落ち着いてきたので、日曜日に送って行く予定にしていました。


ところが、夕方散歩の後、なんか様子がおかしくて、聞いてみたら、

『なんだか手がしびれるような感じがして心配で気分良くない』と。


(ん?しびれるような、感じ・・・感じ?)

よく聞いてみるも、゛感じがする゛だけなのだが、不安で不安で心臓ドキドキすると。。



血圧も気にするほどの数値でもないのだが、『朝より20も上がった!』と

病気に対して異常なほどの心配症な婆婆さま、顔つきが変わり、いつもの情緒不安定になってるようだ。




婆婆さまと同居が始まったのが4月、この家に移って来たのが5月。

82歳にして生まれて初めて地元古里を離れたわけで、周りご近所誰も知ってる人がおらず

無趣味なのだが、唯一衣類を買う事とおしゃべりだけが楽しみだという婆婆さまにとって

かなりの苦痛と寂しさだったようです。


昼間ずっと私と二人っきり。

話題も途切れる事が多くなり、お互いに限界ギリギリだったようです。



それと、一番の寂しさは、かつて同居していた義弟家族、特に孫達と離れてしまったこと。

義弟と孫達は愛おしく離れてもなお募る思いのようです。


義姉などは、結婚しても実家のすぐ近くに住まわせ、孫達を赤ちゃんの頃から面倒みてました。

義姉、義弟のことは特別な思いがあるようです。

嫁は・・・嫁はいくら頑張っても嫁なんですよね。




というわけで・・・本日、婆婆さまは義姉家族の所へお泊りとなりました。

いつまでいるかはわかりません。


義姉とも相談し、婆婆さまの気が済むまで、したいようにさせようということになりました。

義姉の所で、心のケアが出来て心が落ち着いたらいいなと思ってます。


迎えに来てというまで待つ事になりました。




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婆婆様の事

2011-08-02 15:27:12 | 婆婆様の事
大震災で多くの方々の生活が一変したと思います。

我が家でも、長男家族は茨城へ、次男は郡山へと離れ離れとなっています。

特別に変わった事、それは婆婆様(主人の母)と同居する事になったことです。




穏やかな家族の中でひときわ大声で言葉のキツイのが婆様。

今までは、なんかあっても、『また来ま~す』と向こうの家を出てしまえば、もうこっちのものでした。

自然体でいられる我が家があったから。




あの大震災後、何箇所かの避難所を弟家族と共に移動していた婆婆様でしたが、

私が当時お世話になっていた親戚の家に突然電話してきて『今から行くから泊めてな!』と。

『え?!・・・』

何があったのか、理由もわからないうちに、車いっぱいに荷物を詰めて弟に送られてやってきました。

アタフタと説明しても唖然としてる親戚の人達でした。






親戚といえ、肩身の狭い私(叔父叔母従兄弟・・)

今の社宅に移るまでの半月間、農家である親戚の田畑の手伝いでクタクタになり

婆婆様にも気を使う日々でした。



今となり、弟の嫁の気持ちも、あ~なるほどと、わかる気がしてます。。。。







  想定外で同居となった婆婆様の事、いろんな思いを書いてみようかと思いました。
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