岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

共通の師・田中智学

2018-03-02 09:00:00 | 賢治と法華経
《『イーハトーブと満州国』(宮下隆二著、PHP)の表紙》

 そして宮下氏は言う。
 石原に対してどのような距離をとるか、あるいはどのような角度から見るかによって、まったく違う像が、見る人の心の中で結ばれるのである。それはもちろん、石原の人物の大きさを示すものだが、同時に様々な毀誉褒貶を呼ぶことにもなった。
             〈66p〉
(私は宮下氏のこのようなものの見方を知って、どうも私は単純だなということを改めて思い知らされる)さらに宮下氏はこのことに関連づけて、賢治については次のように論じている。
 そしてそれは、石原ほど極端ではなくとも…(略)…賢治にもある程度共通することである。賢治は、愛と奉仕に生きた農民詩人である一方で、経済的には無能力者で、花巻で高利貸しを営み地元の議員なども務めた父に生涯依存していた。また、花巻の町を「南無妙法蓮華経」の唱題をしながら練り歩くなど、奇行でも知られたいた。
 ただ賢治の場合は、健康上の問題もあって、生涯軍事と無縁で過ごしたために、平和主義者と誤解されているに過ぎない。
             〈67p〉
おっ、宮下氏はこんな言い方までしていたのだとちょっと驚く。この度の門井氏の『銀河鉄道の父』が直木賞を受賞したことが大きな切っ掛けとなって、今までは憚られていた表現がやっと公的にも許されつつあるということを実感している私だが、宮下氏のこの著書は2007年(平成19年)発行だから、少なくとも約10年程も既に吉田司青江舜二郎以外にもこのような表現を用いていた賢治研究家が現れ始めたいたのだということを私はこの度初めて知ったからだ。

 そして同氏は、
 軍人と農民。一見正反対とも見えるこの二人に共通するもの。それは法華経の信仰であり、さらにいえば、ともに田中智学を師と仰ぐ国柱会の会員であったことだ。
 結局のところ、この関係に踏み込まなければ、石原にしろ賢治にしろ、その実像は見えてこない。
           〈67p〉
と断定していた。ということであれば、これから同書がどのように踏み込んでゆくのか、その展開がますます楽しみになってきた。

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