岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

満州事変と国柱会

2018-03-03 09:00:00 | 賢治と法華経
《『イーハトーブと満州国』(宮下隆二著、PHP)の表紙》
 ではここからは、石原と、法華経及び国柱会の関係についてである。まず宮下氏は、
 石原は幼年時代から霊感が強く、かつ神仏に関心が深かった。陸軍幼年学校時代(一七歳)に日蓮の烈々たる気迫や数々の予言、法難の話を聞いて大いに感動し、熱心に日蓮の研究をし、かつ学友にもこれを勧めたという。
            〈『イーハトーブと満州国』(宮下隆二著、PHP)69p〉
と教えてくれる。たしかに、賢治と似ているところが少なからずある。賢治も霊感が強かったっといわれているようだし、同様なことを学友にも勧めていたというからだ。
 そして、
 石原は陸軍大学校を卒業し、教育総監部に勤務していた。陸大出のエリート将校としての第一歩を、ようやく切り始めたところである。…(投稿者略)…
 そのよううな当時として最高のレベルの知識と教養を身につけていた男が、田中智学の教えのどこに惹きつけられたのか。その答は…(投稿者略)…石原自身が『戦争史大観』の中で、「日蓮聖人の国体観が私を心から満足せしめた結果」であると述べている。
 厳密に言うならば、これは日蓮の国体観というよりは、田中智学の国体観であろう。
            〈69p〉
とも宮下氏は述べている。ただしこの段階では、私には今一つ解りにくいのだが、引き続く同氏の次のような解説によって少し理解ができた。
 石原は、天皇に忠誠を尽くす義務のある帝国軍人である。その精神については幼年学校時代から、骨の髄まで叩き込まれている。軍人としての石原は、国体の護持こそ唯一無二の価値観とせねばならない。
 であるならば、日蓮の法華経至上主義的生き方とは、食い違いが生じるはずであった。それを解決したのが、「田中智学の国体観」だったのである。
            〈70p〉

 では、その「田中智学の国体観」とは、どのようなものだったのだろうか。それは以前〝「八紘一宇」と疲弊した社会〟にて引いてみたことだが次のようなものであり、
 簡単に言えば、天皇制と日蓮信仰の融合である。日本は神国であり天皇のしろしめす国である。一方、日蓮は、日本は法華経を流布すべく特別な使命を持っていると言っており、法華経の全世界伝道を通じて、天皇が世界の盟主となるのだ、ということである。…(投稿者略)…
 田中智学は、その著『宗門の維新』において「(日蓮)は世界統一の大元帥なり。大日本帝国はまさしくその大本営なり。日本国民はその天兵なり」と激しい思想を展開している。このような点が敬遠されて、戦後の智学はまともに論じてこられなかった。

            〈70p~〉
しかもそれが因となって、戦後論じられることがなくなったということも教えてくれる。言い方を換えれば、理崎氏が
  智学のこうした思想が石原莞爾の世界戦争論への示唆となり、軍国日本のアジア侵略の思想として使われたのである。
と指摘するところとなるのだろう。

 続きへ
 前へ 
 “『宮澤賢治と石原莞爾』の目次”へ。

********************************《三陸支援の呼びかけ》*********************************
 東日本大震災によって罹災したが、それにも負けずに健気に頑張っている(花巻から見て東に位置する)大槌町の子どもたちを支援したいという方がおられましたならば、下記宛先に図書カードを直接郵送をしていただければ、大槌町教育委員会が喜んで受け付けて下さるはずです。新設された小中一貫校・大槌町立『大槌学園』の図書購入のために使われますので、大槌の子どもたちを支援できることになります。

 〒 028-1121
   岩手県上閉伊郡大槌町小鎚第32地割金崎126
        大槌町教育委員会事務局
                  教育長 様
   なお、大槌町教育委員会事務局の電話番号は
        0193-42―6100
   です。
岩手の野づら”のトップに戻る。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿