《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 ところで言い遅れたが、妹尾義郎の生家は、〝一、大望、蹉跌〟の冒頭に
老舗の造り酒屋であったということが記されていて、しかも、
大正3年、仕込んだ酒がだめになって実家の酒造業は傾いた。米価の暴騰で、今後の仕込みもできなくなりついに倒産、一万円の負債を抱えた。現在の金額では数千万円であろう。ということであった。 . . . 本文を読む
《1 》(平成29年11月28日撮影)
《2 》(平成29年11月28日撮影)
《3 》(平成29年11月28日撮影)
《4 》(平成29年11月28日撮影)
《5 アキグミ》(平成29年11月28日撮影)
《6 コムラサキ?》(平成29年11月28日撮影)
《7 》(平成29年11月28日撮影)
《8 早池峰山》(平成29年11月28日撮影)
《9 》(平成29年11月28日撮影 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 智学は静岡県三保に最勝閣を建立して、そこを本拠地として活動し、衆院選に出馬したということも理崎氏は紹介していて、
この時、智学は落選するが、妹尾も政治に注目して、後年、無産政党を応援したり、東京府会に立候補している。こうした政治重視の思想は、当然日蓮に由来する。 〈41p〉
と解説してくれる。私は今まで、法華 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 では今回からは「二、信仰の光」の章に移る。最初に次の記述を知って私は自分の無知を改めて認識した。
江戸時代の檀家政策などで牙を抜かれ、寺は権力の走狗となっていた。明治初期に廃仏毀釈が起こったが、寺を破壊する権力に対して、守ろうとする人はいなかった。民衆にとって寺は金がかかるだけの邪魔な存在に他ならなかった。真に信仰を求める人は、 . . . 本文を読む
《1 左中岳、右早池峰山》(平成29年11月28日撮影)
《2 薬師岳》(平成29年11月28日撮影)
《3 権現堂山の向こうに鶏頭山の頭》(平成29年11月28日撮影)
《4 毛無森》(平成29年11月28日撮影)
《5 夏油三山等》(平成29年11月28日撮影)
《6 八方山等》(平成29年11月28日撮影)
《7 岩手山》(平成29年11月28日撮影)
《8 ミヤマ?ガマズミ》 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 さて妹尾義郎は、
帰郷後は、母と寮生活をする。母は生来読書好きで…(投稿者略)…念仏に熱心で、極楽往生のために、絶え間なく念仏を唱えたいた。日蓮宗の僧になった妹尾は、それを看過できななっか。 〈35p〉
と理崎氏は述べており、続けて日蓮宗と浄土教の違いを次のように説明している。
日蓮宗は、念仏は無間地獄と . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 大正2年、東亜同文書院の県費派遣留学生試験に合格した妹尾は新たな道に進むこととなり、新たな光明が見えてきたはずだったが、理崎氏によれば、
その後も次々に病魔に襲われ続けたという。そのために休学して帰郷。しかし病状は改まらず退学。大いなる希望は砕かれてしまった。
病状回復後は、南洋の雄飛を目指して今度は台湾に渡航せしもまた病状が . . . 本文を読む
《1 エノコログサ》(平成29年11月28日撮影)
《2 麦畑》(平成29年11月28日撮影)
《3 》(平成29年11月28日撮影)
《4 (私にとっての)初氷》(平成29年11月28日撮影)
《5 》(平成29年11月28日撮影)
《6 》(平成29年11月28日撮影)
《7 》(平成29年11月28日撮影)
《8 》(平成29年11月28日撮影)
《9 霜柱》(平成29年11 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』によれば、妹尾は明治44年9月正式に第一高等学校を退学し、月給十三円の東城小学校の代用教員になったという。その勤務振りについて理崎氏は、
尋常科三年を担当、8時出勤で6時退校の毎日となった。
〈教授案やら何やらで、まことに多忙極まる。給料から考えるとばかげた仕事で、不平が出ても当然かもしれない . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 では今回は「如来使」についてである。理崎氏は、妹尾は「如来使」という言葉に強く打たれたということで、次のようなことを紹介していた。
法師品の、
「能くひそかに一人のためにも、法華経の乃至一句を説かん、当に知るべし、是の人則ち如来の使なり」
この中の「如来使」という言葉に強く打たれた。人は何かの使徒として生きて行くが、自分は金や . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 さて、第一高等学校に入って「生きたる理想の人物新渡戸稲造」を見つけた妹尾の未来は明るかったはずだ。ところが皮肉なことに、2年になると重い病気に罹り、郷里に帰って療養する羽目になったという。その辺りについては、理崎氏によれば、あらまし、
絶望した妹尾は何度か自殺を企て、母に誡められたのも一度や二度でなかった。それを心配した兄が空気 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 そして理崎氏は次のようなエピソード、
一高の自治祭は校長や教授の講演などがあり、その後茶話会が開かれた。その折、一人の学生が壇に上がって新渡戸の八方美人を激しく批判した。…(投稿者略)…一高が退廃的になったのは校長の責任、と追及したのである。 〈23p〉
があったことを紹介し、続けて、これを受けた校長新渡戸 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 理崎啓氏は『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』の「序」を、
妹尾義郎は日蓮主義の社会主義者、という希有な存在として知られている。と始めているということは先に述べたが、実はこれに続けてもう一つの「稀有」についても述べいた。妹尾義郎は、
もう一つの稀有は日記で、明治42年から昭和36年の逝去直前まで、五十年に及ぶ厖大な日記を書き遺し . . . 本文を読む
《1 早池峰山も真っ白になった》(平成29年11月22日撮影)
《2 》(平成29年11月22日撮影)
《3 シラサギ》(平成29年11月22日撮影)
《4 マガモ》(平成29年11月22日撮影)
《5 コガモ?》(平成29年11月22日撮影)
《6 瀬川との合流点のあの岩は消滅?》(平成29年11月22日撮影)
《7 クリ》(平成29年11月22日撮影)
《8 クマイチゴ》(平成2 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 そして理崎氏は次のようなことを述べて「序」を閉じていた。
「流行」というものが妹尾を読み解くヒントとなったからである。妹尾の人生には、理由のわからない転身が何度か出てくる。第一に新興同盟の結成、第二に転向、第三に死の直前の共産党入党である。それらを、当時暴風のように荒れ狂っていたイデオロギーと重ね合わせると理解が容易になるのであ . . . 本文を読む