《東ニ病気ノコドモアレバ行ツテ看病シテヤリ》(「賢治詩碑」、平成27年10日5日撮影) この三陸被災地支援募金に関しては、賢治学会イーハトーブセンター定期総会のあった平成29年9月22日、宮澤賢治学会副代表理事の一人に対して私が、
今回の顚末については私のブログに経過等を載せます。
と言ったところ、同理事は
いいですよ。
という返事だったので投稿する次第である(ついでながら、その際 . . . 本文を読む
《1 西根山》(平成29年11月7日撮影)
《2 》(平成29年11月7日撮影)
《3 》(平成29年11月7日撮影)
《4 八方山等》(平成29年11月7日撮影)
《5 夏油三山等》(平成29年11月7日撮影)
《6 江釣子森山等》(平成29年11月7日撮影)
《7 早池峰山等》(平成29年11月7日撮影)
《8 》(平成29年11月7日撮影)
《9 》(平成29年11月7日撮影 . . . 本文を読む
《1 》(平成29年10月30日撮影)
《2 》(平成29年10月30日撮影)
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なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更 . . . 本文を読む
イギリス海岸にも春の訪れが見られる。
《1 オオイヌノフグリ》(平成28年2月3日撮影)
《2 ヒメオドリコソウ》(平成28年2月3日撮影)
《3 キュウリグサ》(平成28年2月3日撮影)
《4 そして相変わらず咲いているノボロギク》(平成28年2月3日撮影)
《5 》(平成28年2月3日撮影)
《6 》(平成28年2月3日撮影)
《7 》(平成28年2月3日撮影)
《8 》(平成 . . . 本文を読む
12月27日に訪れた「イギリス海岸」である。
《1 瀬川との合流地点へ行く散策路は》(平成27年12月27日撮影)
《2 閉鎖中》(平成27年12月27日撮影)
《3 しょうがないから、ここを八幡神社方向に下って向こうに見える「イギリス海岸←」の標識のところから左折》(平成27年12月27日撮影)
《4 》(平成27年12月27日撮影)
《5 》(平成27年12月27日撮影)
《6 キ . . . 本文を読む
12月2日に訪れたイギリス海岸である。
《1 》(平成27年12月2日撮影)
《2 芦原》(平成27年12月2日撮影)
《3 ヒメジョオン》(平成27年12月2日撮影)
《4 セイタカアワダチソウ》(平成27年12月2日撮影)
《5 セイヨウタンポポ》(平成27年12月2日撮影)
《6 》(平成27年12月2日撮影)
《7 早池峰山》(平成27年12月2日撮影)
《8 》(平成27 . . . 本文を読む
先に逆コースで下見をした権現堂越えだが、11月18日に参加者8名(講師1名、会員7名の計8名)で心配された雨に降られることもなく、八重畑→権現堂山→亀ヶ森へと越えることができた。なお、賢治は大正7年(1918年)五月十九日付宮澤政次郎宛書簡(62)においては、
《表》花巻川口町 宮澤政次郎様
五月十九日夕 大迫町 石川旅館ニテ 賢治拝
本日は葛の渡しを経、八重畑役場にて案内を得て . . . 本文を読む
では今回は、
権現堂山を超(ママ)えその東の廻館山を廻りて亀ヶ森村八幡館に出で
ということだから、八幡館を訪ねてみよう。
【八幡館周辺(国土地理院地図より抜粋)】
八幡館ということではあるが、上掲の写真が亀ヶ森の八幡神社の鳥居であり、ここから小高い丘に登ればその社殿があり、その境内にある
《1 「亀ヶ森城跡」の由緒案内》(平成27年11月12日撮影)
によれば、この「亀ヶ森城」のこと . . . 本文を読む
さて、
本日は葛の渡しを経、八重畑役場にて案内を得て権現堂山を超え…
ということだから、次は「権現堂山超え」ということになる。したがって、本来ならば八重畑から亀ヶ森に越えるべきなのだが、その越え方は今度の11月18日予定の本番にすることとし、今回はその下見ということなので先輩のA氏と先輩の知人H氏に教えていただきながら下図地点〝S〟→〝E〟という逆コースで越える。
【権現堂山周辺(国土 . . . 本文を読む
『新校本宮澤賢治全集第十五巻書簡本文篇』(筑摩書房)によれば、
大正7年(1918年)の書簡(62) 五月十九日 宮沢政次郎あて 葉書
《表》花巻川口町 宮澤政次郎様
五月十九日夕 大迫町 石川旅館ニテ 賢治拝
本日は葛の渡しを経、八重畑役場にて案内を得て権現堂山を超(ママ)えその東の廻館山を廻りて亀ヶ森村八幡館に出で候処、未だ午後二時にて更に大迫に参り当地に泊致すべく候。…(以 . . . 本文を読む
小岩井農場の一本桜等である。
《1 》(平成27年11月4日撮影)
《2 》(平成27年11月4日撮影)
《3 》(平成27年11月4日撮影)
《4 》(平成27年11月4日撮影)
《5 》(平成27年11月4日撮影)
《6 》(平成27年11月4日撮影)
《7 》(平成27年11月4日撮影)
《8 》(平成27年11月4日撮影)
《9 》(平成27年11月4日撮影)
後々 . . . 本文を読む
小岩井農場の一つの牧野と牛舎。
《1 》(平成27年11月4日撮影)
《2 ヒメジョオン》(平成27年11月4日撮影)
《3 セイヨウタンポポ》(平成27年11月4日撮影)
《4 》(平成27年11月4日撮影)
《5 》(平成27年11月4日撮影)
《6 牛舎》(平成27年11月4日撮影)
《7 》(平成27年11月4日撮影)
《8 》(平成27年11月4日撮影)
《9 》(平成 . . . 本文を読む
小岩井農場の「植木植物園」である。
《1 》(平成27年11月4日撮影)
《2 》(平成27年11月4日撮影)
《3 》(平成27年11月4日撮影)
《4 》(平成27年11月4日撮影)
《5 》(平成27年11月4日撮影)
《6 》(平成27年11月4日撮影)
《7 》(平成27年11月4日撮影)
《8 》(平成27年11月4日撮影)
《9 》(平成27年11月4日撮影)
《 . . . 本文を読む
小岩井農場の本部とその周辺である。
《1 》(平成27年11月4日撮影)
《2 》(平成27年11月4日撮影)
《3 》(平成27年11月4日撮影)
《4 》(平成27年11月4日撮影)
《5 》(平成27年11月4日撮影)
《6 》(平成27年11月4日撮影)
《7 》(平成27年11月4日撮影)
《8 》(平成27年11月4日撮影)
《9 》(平成27年11月4日撮影)
《 . . . 本文を読む
そして、大石権現を見た後は、賢治がハンマーを叩いて「オパール」を採ったという場所もA氏から教えてもらい、最後に「大瀬川小学校跡」も教えてもらった。
《1 》(平成27年10月26日撮影)
《2 》(平成27年10月26日撮影)
当時は、このビニールハウスとその手前の草地辺りに校長官舎があり、向こう(写真左側)の杉林の前に校舎があったということをこの案内板の隣のお家のおじいちゃんが教えてくれ . . . 本文を読む