《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では、今回は〝◎上京中の法華経の布教活動〟という節に入る。そこでは例えば、
賢治は折角意気込んで上京したが、お昼の道路布教や、施本、毎夜講演の聴講や会場の手伝い、それが終わってから最初のうちは夜十時頃まで会員事務の応援など、これは主に天業民報の地方購読者への宛名書きのような仕事であったらしい。国柱会の仕事の他に、この時期知友 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では、ここでは〝◎上京中の生活〟の節よりである。
まずは大正10年2月24日付政次郎宛書簡189を引いて、田口氏は、
『一応帰宅の仰度々の事実に心肝に銘ずる次第ではございますが御帰正の日こそは総ての私の小さな希望や仕事は投棄して何なりとも御命の儘にお仕へ致します。それ迄は帰郷致さないこと最初からの誓ひでございますからどうかこ . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
節〝◎家出上京〟は次のように、
自分の進路の行き詰まり、父親の処世法への疑問、折伏の失敗など、大正九年の末から大正十年の始めにかけて、賢治は二進も三進もゆかず、『進退谷まったのです』という心境であった。 〈『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)69p〉
と続いていた。さらに大正10 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では次は「宮沢賢治の国柱会入会」という節に入る。
先の〝◎法華経との遭遇〟により、賢治が法華経に出会った経緯等については知ったが、ここではその後国柱会へ入会するまでの法華経とのかかわりについておおよそ次のような事柄等が述べられている。
盛岡高等農林時代だが、潮田豊の思いでによると、「大正五年の早春毎朝北寮から力強く読経の声 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
ではここでは、〝◎なぜ国柱会か〟という節に入る。この節の前半は、賢治が日蓮宗に走った理由が述べられているのだがそこは割愛し、後半のなぜ国柱会を選んだのかという点に注目したい。
田口氏は、
賢治が国柱会を選んだのは、国柱会を創設した田中智学の個性によるであろう。宮沢賢治が傾倒した田中智学とはどんな人か。
田中智学は、法華経 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
続けて田口氏は、賢治がなぜ国柱会に入会したのかを論ずる前にその時代背景として廃仏毀釈のことを知る必要があるということで、〝◎廃仏毀釈の嵐と仏教〟という節においてあらまし次のようなことなどを述べていた。
明治政府は慶応三年「王政復古の大号令」ということで、神武天皇の建国の昔に返り、天皇を現人神とし、絶対的な天皇制とすることにし . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
周知のように、賢治は
大正四年
△九月、初めて妙法蓮華經を讀む。爾後同教典を座右に置き讀誦す。当時の感想を「只驚喜し身顫ひ戰けり」と語る。 〈『宮澤賢治研究』(草野心平編、十字屋書店、昭和14年)所収「宮澤賢治年譜」〉
であったとばかり私は思っていたが、どうやらそうとばかりも言い切れないようだ。『宮沢 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
〝『宮沢賢治と法華経について』より〟の目次
・法華経こそが賢治の思想の中核
・法華経との遭遇
・廃仏毀釈の嵐
・智学と国柱会を抜きにしては迫れない
・賢治の国柱会入会
・家出上京
・上京中の生活
・上京中の法華経の布教活動
・家出解消帰花
・農学校教師時代
・同僚達と法華経(堀籠文之進)
・同僚達と法華経(白 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
ではここからは、〈『宮沢賢治入門 宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)を読み進めながら、法華経という観点から賢治のことを学んでゆきたい。
同書の「序章」は次のようにして始まる。
◎宮沢賢治思想の中核を探る
盛岡高等農林学校で賢治を育んだものは、一つは農芸化学の知識技術であり、もう一つは同人誌「アザ . . . 本文を読む
《『宮沢賢治 その理想社会への道程 改訂版』(上田哲著、明治書院)》
『敗者学のすすめ』は、この後に
過激な夢想家―――宮沢賢治と石原莞爾
という項が続いていたので、この項についても少しだけ見てみたい。そこには、
牧野 賢治が入会した頃(一九二〇年代)の国柱会は、大正デモクラシーの風潮に対抗して、日本の国体を護持するための思想宣伝活動をさかんに展開していました。賢治は純粋に日蓮信仰の側面か . . . 本文を読む
《『宮沢賢治 その理想社会への道程 改訂版』(上田哲著、明治書院)》
先の投稿〝田中智学の文学作品〟において、山口昌男の『敗者学のすすめ』から引いたが、その折に同書の中にあった「祝祭性」という用語が気になったので、今回はそのことについて次に少し触れてみたい。
実際には、牧野立雄氏のインタヴューに山口氏が答える際の次のようなやりとりの中でのことである。
山口 僕は石原莞爾について書いたときに田 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治 その理想社会への道程 改訂版』(上田哲著、明治書院)》 それでは、ここでは佐藤勝治の『宮沢賢治入門』(十字屋書店)における法華経関連の記述を調べてみたい。
例えば佐藤は、
彼(賢治)は大正七年三月(一九一八)農学科第二部を卒業し、さらに二年間研究生として地質・土壌・肥料の勉強をします。こういう方面に強い関心を持ち、その点はずっと変わらなかったのです。しかしその間に、法華経信仰の心 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治 その理想社会への道程 改訂版』(上田哲著、明治書院)》 さて、田中智学は文学にも深く関わっていたこと知ったし、文才もあったということも知った。さりながら、智学の場合の文学とは教化や布教の為のものであったであろうことは、上田の次のような言説からも覗える。
賢治の法華文学は、高知尾が<田中智学先生から平素教えられている>ような信仰箇条があからさまに表面に出ている教化の方便、布教の手段と . . . 本文を読む
《『宮沢賢治 その理想社会への道程 改訂版』(上田哲著、明治書院)》 では今回は、山口昌男が執筆したという田中智学についてのある記述を紹介したい。それは、『戦後の田中智学論を糾す』(平成10年)に載っているもので、次のようなものである。
《田中智学 お釈迦さまもびっくり「牛乳びん布教」のたくばつ
ふつう宗教家といえば、頭の堅い朴念仁か、世間知らずの夢想家というイメージがあるけれど、田中智学はア . . . 本文を読む
《『宮沢賢治 その理想社会への道程 改訂版』(上田哲著、明治書院)》 さて、前回私は、上田は「その作品についても紹介していたのがここでは割愛し、それは次回に回す」と述べたが、今回はそのことについて投稿する。ただしここでは、山口昌男の『敗者学のすすめ』から引く。それは、以前私は〝上田哲の「Ⅰ 賢治と国柱会」〟において、「調べてみたならば智学について論じている著書等はあまりないということを知った。そこ . . . 本文を読む