《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
お陰様で、『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』を通読したことにより、今までは端から法華経というものを遠ざけていた私だが、少なくともそのような抵抗感はなくなった。そして、この妹尾義郎なる人物の生き方を知り、しかも彼は「日蓮主義の社会主義者」であったということで、賢治の生き方と似ているところが結構あったので、今までよりも賢治の理解が私 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 では、最後の「七、悔恨の澱」についてだが、詳細は『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』をご覧になって頂くこととし、ここでは、この章において述べられている期間の妹尾年譜の主な記載事項を以下にリストアップさせてもらう。
昭和21年 松本市社会教育課嘱託となる。
昭和24年 社会党入党。
昭和25年 参院選、衆院選に立候補 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 では、ここでは新しい章「六、煉獄、焦土」についてである。
さて、昭和14年8月29日に判決、妹尾は懲役五年の言い渡しを受け、控訴していた訳だが、その後については、巻末の妹尾年譜によれば、
昭和15年 判決、懲役三年。下獄。
昭和17年 重症になって仮出所。
昭和18年 東洋乾電池に就職。
そして、
昭 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 そして理崎氏の解説は続くのだが、その幾つかをかいつまんで示すと以下の通り。
その頃、新興同盟の妹尾は無産政党の加藤勘十と共闘していて、急速な右傾化の日本であったが、左派はまだまだ意気軒昂であった〈132p〉。ところが、昭和11年2月26日に二・二六事件が起こり軍部は暴走、3日後の29日に妹尾は「予防検束」で目白署に連行されて27 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 ではここからは、新しい章「五、弾圧、転向」に入る。
理崎氏によれば、
昭和10年には、日本でもファシズムが流行したきた。在郷軍人会、青年団、消防団、各種学校団体から労働組合、農民組合までも国家主義化されて、ほとんど完全に近く軍事全盛、軍事万歳のファシズムの時代が到来しました、と機関誌『新興仏教』は報じている。…(投稿者略)…
. . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 理崎氏は、新興同盟が様々な取り組みをしたということを教えてくれているので、それらの中の幾つかを箇条書きにすると以下の通り。
・和合恒男が繰り広げていた三か条農民請願運動の署名活動に共に奔走し、臨時国会を開かせた。
・昭和7年の東北三陸大地震・大津波に見舞金を送った。
・関西風水害では東京無産団体協議会に所属し募金活動。
・エスペラ . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 さて、妹尾は新興仏教青年同盟を立ち上げ、その三大綱領の一つに「3 資本主義の改革」を掲げたからだろうか。理崎氏によれば、
次に「仏教無産政党」の設立を提唱した。 〈91p〉
という。そして、
なぜ自前でなければならないのか。政友会や民政党などの既成政党は利権やポストが目的、無産党はイデオロギー中心で、人 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
ではここからは、新しい章「四、独立、決起」に入る。
理崎氏によれば、
昭和6年4月5日、新興仏教青年同盟の結成記念会が、参加者30名余で行われたという。そして三大綱領は、
1 釈迦鑽仰 2 既成教団排撃 3 資本主義の改革 〈89p〉
であったという。私の今までの感覚からすれば、とりわけ「3 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』によれば、
昭和4年の山梨毎日新聞に「妹尾、赤化思想」と報道さ、その頃から、日蓮主義青年団では、上田や時友との確執が起こったという。そして、同年4月12日に上田と時友は退団し、団は名実共に妹尾を中心に独立することになったのだが、それに伴って生活が不如意になった。 〈82 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 理崎氏は教えてくれる。
妹尾は、日蓮の思想が、日生や智学のいうような国家主義的なものではなく、民衆中心主義であり、国際主義であると考えていた。こうした思想は、賢治ともよく似ている。賢治は国柱会で活躍した後は、ほとんど日蓮主義と没交渉になっている。信仰は変わっていないとの説もあるが、智学と対照的な思想から考えても、賢治が国柱会を乗 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 妹尾は、私からすれば意外な理想を持っていたということを知った。それは
新興同盟の目指す理想社会は、クロポトキンの無政府社会や共産社会の理想と本質的な違いはない、と妹尾は聴取書で述べている。違いは、制度を確立した時点で彼等の理想が実現するのに対して、同盟は報恩感謝や奉仕の精神の改造を必要とするという。資本主義の後に必ず社会主義にな . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 理崎氏は言う、
しかし、全体的には小作人の主張が正しい、と思えるケースが多かった。
〈階級運動は我らの取らないところだが、小作人の生活向上を図って行く平等に導くことは先覚者の努めである。いたずらに強調して現状維持をはかるよりも、それを進展させるべきだ。地主階級は早晩滅ぶべきものと思う〉 〈66p~〉
と妹 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 ではここからは新しい章「三、農村の廃亡」に入る。
理崎氏は、
日露戦争後、農産物の輸入増加、輸出減少で農村経済は停滞する。面積あたりの収穫量も減退、農産物の価格も物価の上昇に及ばなくなった。自給自足であった農村経済は解体し、資金は商工業に流出、商工資本家に農地を売却する者が増えていった。 〈64p〉
と解説 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 理崎氏によれば、在家として活動していた妹尾のそれをいくつか列挙すれば、
・謄写版という手刷り印刷器の外交員
・統一団の専務事務
・日生のカバン持ち
・大日本日蓮主義青年団組織
・自慶会の活動(暴動や争議の調停) 〈49p~〉
等を行っていたという。色々なことをしていたということがわかるし、妹尾は本多日生と一 . . . 本文を読む
《『大凡の日々-妹尾義郎と宗教弾圧』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》 理崎氏は、第一次大戦後は、
不況ににあえぐこととなる。激しい転変に、人々の不安は募った。宗教はブームとなって倉田百三の『出家とその弟子』がベストセラーとなり、親鸞ブームも興った。日蓮主義も、軍人や財界人の支持があって、ブームの先頭に立っていた。 〈48p〉
と解説していた。そうか、そういう時代背景があって . . . 本文を読む