岩手の野づら

『みちのくの山野草』から引っ越し

釈尊滅後の仏教の変容(前編)

2018-05-08 09:00:00 | 賢治と法華経
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》

 では今度は、「全てのいのちは平等である」という章の中の次の節、「釈尊滅後の仏教の変容」に入る。

 前回、仏教は釈尊滅後五百年の間に大きく変容したことを知ったのだが、何がどう変わったのかのポイントをこのテキストは五つ指摘していた。具体的には次の五つ、
①修行の困難さの強調と釈尊の神格化
②釈尊の位置づけの変化
③覚りを得られる人の範囲
④仏弟子の範囲
⑤釈尊の〝遺言〟
なのだが、今回はその前編である。

 まずは、「①修行の困難さの強調と釈尊の神格化」についてだ。テキストは、
 原始仏教の経典『スッタニパータ』では、覚りは「目の当たり即時に実現され、時を要しない法」とされていました。…(投稿者略)…即身成仏、一生成仏が説かれていました。ところが部派仏教の時代になると「歴劫修行」という言葉が出てきます。…(投稿者略)…非常に長い時間をかけて修行したやっとブッダになれるということを意味する言葉です。…(投稿者略)…そんな、想像を絶するよう長い時間をかけて修行して、釈尊はやっと仏になったのだと神格化したわけですね。釈尊を祭り上げることによって、ついでに自分たち出家者を、それに次ぐ者として権威付けをしたのです。
            〈『100分de名著『法華経』』13p~〉
と解説する。そうか、神格化されて祭り上げられたのか。そこで私は、なんとなくな~るほどなと頷く。デジャブ感がある。どっかで観た風景とそっくりであったからだ。
 なお、『スッタニパータ』とは、
 パーリ語による教典で、現在伝わる経典中で最も古く、歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)のことばにもっとも近いとされる千百四十九の詩句の集成。
だという。

 次に「②釈尊の位置づけの変化」についてだ。著者の植木氏は、
 原始仏教の教典を読むと、釈尊自身が「私は人間である」「皆さんの善知識(善き友)である」と言っています。「ブッダ」はサンスクリット語で「目覚めた」という意味の言葉ですが、原始仏教の教典では複数形で出てきます。つまり、ブッダは釈尊だけではなかったのです。…(投稿者略)…
 ところが、説一切有部の論書ではそれが「私は人間ではない、ブッダである」という言葉に変わります。部派仏教においては、釈尊は三十二相という特徴を持つとされます、…(投稿者略)…釈尊を人間離れした存在に祭り上げたのです。また、説一切有部の論書には「私を「長老やゴータマなど度呼ぶ輩は激しい苦しみを受けるであろう」という言葉を、釈尊が言ったかのように書き足しています。
            〈『100分de名著『法華経』』14p~〉
と正直に教えてくれていた。そして私はまた既視感を感じた。どこかの世界と同んなじだと。いつの間にか、実はそうでもないのにある人物が神格化されて奉られ、そして今でもそれが続いている世界とだ。言い換えれば、私には、このテキストはそのような扱い方に警鐘を鳴らしているのだと思えてしょうがなくなってきた。
 
 では今度は「③覚りを得られる人の範囲」についてだ。ここでも意外なことを教えてくれる。
 原始仏教では、出家・在家、男女の区別なく覚りを得ていました。釈尊が初めて教えを説いたときのことが、「そのときじつに世に五人の尊敬されるべき人(阿羅漢あり、世尊を第六とする」と記されています。阿羅漢とは…(投稿者略)…もともとブッダの別称でした。ですからこの五人は覚りを得たということです。そして六番目が世尊、つまり釈尊だと言っている。
            〈『100分de名著『法華経』』14p~〉
というからだ。釈尊だけがブッダではなかったのである。また、これに続いて植木氏は、
 在家のままで聖者の最高の境地に達した王について、森林に住んで精励する必要はなかったと言う記述も原始仏典にみられます。
とか、
 釈尊は「女性も阿羅漢に到ることができます」と答えています。
ということも教えてくれる。
 併せて同氏はそうしたわけを次のように解説していた。
 ところが部派仏教になると、ブッダに到ることができるのは釈尊一人だけということにされてしまいます。出家者も阿羅漢にまでしか到ることができないとして、ここで阿羅漢のランクをブッダより一つ下げるという操作がなされます。…(投稿者略)…そして、在家者は阿羅漢に到ることもできないし、女性は穢れてていて成仏もできないと言い始めました。これは、小乗仏教の差別思想でした。
            〈『100分de名著『法華経』』16p〉
どうやら、釈尊の想いとは別に、後々の人が勝手に創ったいったんだ、それも彼らにとって都合よく。本当に、どっかと全く同んなじだ。

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