《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
さて、前回、『法華経』の構成は大体分かったのだが、その中身は実際にはどうなっているのだろうか。そのことを、テキストの著者植木氏は次に説明してゆくのだが、その最初の項が〝当時の仏教界の様子を描く〟であり、次のように書き起こしている。
まず第一章「序品(じょぼん)」について、
序品は次のような言葉で始まります。
このように . . . 本文を読む
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
さて、ではそもそも、『法華経』とはどんな中身から成り立っているのだろうか。
同テキストで植木氏は次のように紹介していた。
『法華経』は釈尊滅後五百年頃編纂されたものですが、釈尊が弟子に教えを説いて聞かせるという体裁をとっています。…(投稿者略)…釈尊が教えを説いた場所は、はじめは霊鷲山という山です。これは実際にインドにある低 . . . 本文を読む
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
では次は「大乗仏教の対応『法華経』の成立」という節に入るのだが、それは「そうした状況の中で、大乗仏教が興ります」で始まり、「小乗教団の内部から、改革派として興ったとする説が有力です」という。そして次のように解説は続く。
大乗仏教はまず「菩薩」をあらゆる人に開放しました。…(投稿者略)…しかし、彼らはそこに二つだけ例外を作りまし . . . 本文を読む
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
前回、次の五つ、
①修行の困難さの強調と釈尊の神格化
②釈尊の位置づけの変化
③覚りを得られる人の範囲
④仏弟子の範囲
⑤釈尊の〝遺言〟のうちの①~③について触れたので、今回は残りの二つについてである。
テキストの著者植木氏は「④仏弟子の範囲」において、
原始仏教では、出家・在家、男女の区別なく「仏弟子」と呼ばれていました . . . 本文を読む
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
では今度は、「全てのいのちは平等である」という章の中の次の節、「釈尊滅後の仏教の変容」に入る。
前回、仏教は釈尊滅後五百年の間に大きく変容したことを知ったのだが、何がどう変わったのかのポイントをこのテキストは五つ指摘していた。具体的には次の五つ、
①修行の困難さの強調と釈尊の神格化
②釈尊の位置づけの変化
③覚りを得られる人 . . . 本文を読む
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
では今回は本文に入って、「全てのいのちは平等である」という章を学びたい。
この章は最初「インド仏教史の概要」という項で始まっており、まずそもそも、『法華経は』釈尊(お釈迦さま)が亡くなってから五百年ほどだった頃(一世紀末~三世紀初頭)にインド北西部で編纂されたと考えられるのだそうだ。そしてテキストは、仏教史を次のように簡潔に . . . 本文を読む
《『100分de名著『法華経』』(植木雅俊著、NHK出版)の表紙》
去る4月23日、たまたまスイッチを入れたTV画面はNHK教育テレビの Eテレだった。そしてそれは法華経に関する番組だった。なかなか興味深い言葉が交わされていたがすぐ終わった。番組タイトルは『100分de名著『法華経』』だった。
そこで、止むなくそのテキストを買いに出掛けた。その表紙がこのブログのトップに掲げた写真である。早速目 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では今回は〝◎埋経について〟という節に入る。それは次のようにして始まっている。
「雨ニモマケズ手帳」の中で次に注目したいのは「埋経」についての記載が三ヶ所あることである。 〈『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)209p〉
ではそれらは具体的にはどこにあるのかというと、下掲の三ヶ所 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では今度は〝「常不軽菩薩」について〟という節に入る。まず田口氏は、「雨ニモマケズ手帳」の121p~124pに書かれている文言、
121p
あるひは瓦石さてはまた
刀杖もって追われども
見よその四衆
に具はれる
仏性なべて
拝をなす
122p
不 軽 菩 薩
123p . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では今回は〝教典について〟という節である。
周知のように、「雨ニモマケズ手帳」には曼荼羅の他に経典の引用も目立つ。このことについて田口氏は、例えば、
病気療養中に賢治の脳裏に去来したのは、法華経への帰依であったことと思わせる。この手帳の第一頁が妙法蓮華経如来神力品代二十一に由来していることでも、そのことがしれる。 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
ではここからは〝第四章 「雨ニモマケズ手帳」から臨終まで〟に移る。
この章はまず〝◎「雨ニモマケズ手帳」について〟という節で始まるのだが、この節には法華経と直接関連することは論じられていないので、次の節〝◎「雨ニモマケズ手帳」と法華経〟を見てみたい。それは、
賢治は大正十四年頃「法華堂建立勧進文」を記した後は、法華経につい . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
ではもう一人の代表的な同僚、白藤慈秀についてである。田口氏によれば、慈秀自身が次のように述べているという。
宮沢さんは法華経に熱心すぎたんだと思う。学校に来る前、うちわ太鼓をたたきながら花巻の街を歩いたといううわさがあったんです。宮沢の賢さんは気が狂ったのではないかとひそひそ話をする者もいた。学者だということはみな知っていた . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では今度は〝◎同僚達と法華経〟という節に入る。
まずは、田口氏も「農学校の同僚たちの中で、もっとも親しく交際した」と述べているとおりの堀籠文之進についてであり、
この文之進宅へ大正十年十二月下旬から週に一、ニ度時には三夜も四夜も連続して訪れ、日蓮宗聖典(柴田一能・山田一英編、無我山房版、一九一二年二月十日刊)を贈呈し、法華 . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
では、〝◎農学校教師時代〟に移る。田口氏はこの節を、
農学校教師時代には、賢治は、日蓮宗の布教活動をした形跡はないが、日蓮宗の信仰を捨てた訳では無く、折にふれて法華経を唱え、また唱題をしていたということが、当時の教え子たちの証言に残されている。 〈『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版) . . . 本文を読む
《『宮沢賢治と法華経について』(田口昭典著、でくのぼう出版)の表紙》
ではここからは〝第三章 農学校教師時代〟に入る。
この章は、まずは〝◎花巻へ帰宅し稗貫農学校教諭となる〟という節で始まる。そしてここには、例の「トシビョウキ スグカヘレ」の電報があって急遽帰花したということが述べられていた。このことに関連しては前に〝「トシビョウキ スグカヘレ」という電報〟において既に触れたことであるが、ここ . . . 本文を読む