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《『塔建つるもの-宮沢賢治の信仰』(理崎 啓著、哲山堂)の表紙》
さて理崎氏によれば、賢治は父に対して大正7年2月頃に法華経を主張し始めているという。そしてその頃賢治は父と何度もぶつかっているとも(前掲書64p~)。例えば次のような書簡からもそれが解るということで、
私の父はちかごろ毎日申します。「きさまは世間のこの苦しい中で農林の学校を出ながら何のざまだ。何か考えろ。みんなのためになれ。錦絵なんかを折角ひねりまわす不届千万。アメリカへ行かうのと考へるとは不見識の骨頂。きさまはたうたう人生の第一義を忘れて邪道にふみ入ったな」
〈67p~〉という〔1919年8月20日前後〕保阪嘉内宛書簡154を引用していた。確かに父親からすれば、「農林の学校を出ながら何のざまだ…(略)…錦絵なんかを折角ひねりまわす不届千万。アメリカへ行かうのと考へるとは不見識の骨頂」と父が怒り心頭に発するのは尤もなことだ。常識的に考えれば、それは多くの人も冷静になってみればすぐわかることだからだ。
あるいは、自分自身に対してもやり場のない怒りをぶちまけていたこともまた容易にわかる、
私なんかこのごろは毎目ブリブリ憤ってばかりゐます。何もしゃくにさわる筈がさっぱりないのですかどうした訳やら人のぼんやりした顔を見ると、『えゝぐづぐづするない。』いかりがかっと燃えて身体は酒精に入った様な気がします。机へ座って誰かの物を一言ふのを思ひだしながら急に身体全体で机をなぐりつけさうになります。いかりは赤く見えます。あまり強いときはいかりの光が滋くなって却て水の様に感ぜられます。遂には真青に見えます。
〈68p〉という、〔1920年6月~7月〕保阪嘉内宛書簡165を理崎氏は引用して、「賢治の言う修羅とは、こうした感情を指したのだろう」と斟酌していた。たしかに、この賢治の憤怒は度を超している。すると先に〝利己的で破壊的な性癖を思想によって飼いならす〟で触れた、
こうした欲望のままに生きる、利己的で破壊的な性癖を思想によって飼いならして晩年のような人格を作っていったのであろう。
という理崎氏の指摘がここで改めて頷ける。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/book_mov.gif)
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なお、ブログ『みちのくの山野草』にかつて投稿した
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。
・「聖女の如き高瀬露」
・『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
や、現在投稿中の
・『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』
がその際の資料となり得ると思います。
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宮沢賢治は詩の師匠と想っています。
色々な過去があったんですね。
でも師匠は師匠。
これからも尊敬して行きます(^-^)
所で私の詩如何でしたか?
私のブログ如何でしたか。
読者になっていただけないでしょうか。
失礼を承知でのお願いです。
本当は相互読者になりたいのですが、
私の読者がいっぱいになってしまい登録出来ません。
私のブログに来て(名前をクリック)
プロフィールの所の数字ではなく
「読者になる」をクリックして下さい。
どうか読者登録よろしくお願いします。
無理なようでしたら構いません。
お早うございます。
この度はご訪問ありがとうございます。
そして、先ほど読者登録させていただきました。
ただし済みません、私は詩に関する感性が乏しいのであまりよい読者にはなれないと思います。
それゆえ、例えば〝願いと具現〟につきましても気の利いた評はできませんが、その内容については頷きながら拝見いたしました。
強い想いを持ち続ければ、時々それが叶ってきましたし、これからもそうなることもあるのではなかろうかと思っております(ただし次は現実的な話になるのですが、欲張れば不幸になるとも一方で思っております)。
鈴木 守